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サオネツヒコを家来に

时间: 2018-08-30    进入日语论坛
核心提示:それからまたその国を出立し、東に進んでいたときのことです。速汲門(はやすいのと?豊予海峡や明石海峡の説が有力)で、亀の背
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それからまたその国を出立し、東に進んでいたときのことです。速汲門(はやすいのと?豊予海峡や明石海峡の説が有力)で、亀の背中に跨って釣りをしながら服の袖を振っている人に出会いました。
 神武天皇は彼を呼び寄せ、
「あなたは誰です?」
と尋ねました。彼は、
「私は地上に住む神です」
と答えます。さらに神武天皇が、
「あなたは海の道に詳しいのですか?」
と尋ねたところ、彼は、
「よく知っています」
と答えました。
 
さらに神武天皇は、
「私に従って仕えてみませんか?」
と訊きました。彼が、
「お仕えしましょう」
と答えたので、棹を彼に差し渡して船に引き入れ、サオネツヒコ(槁根津彦?椎根津彦)と命名したのでした。彼は大和国造(今の奈良県知事)の先祖にあたります。
 
こうしてまたさらに東に進み、浪速の渡(なみはやのわたり?大阪府大阪市)を通って、白肩津(しらかたのつ?大阪府東大阪市)に船を泊めました。
その際に登美(とみ?奈良県生駒市、奈良市)の豪族である長髄彦(ながすねひこ)が兵を率いて待ち受けていたので、交戦します。神武天皇は船の中から盾を取り出し、船から降りて立ち向かいました。
そんなわけでその地は盾津と名付けられました。今では日下の蓼津(くさかのたでつ?大阪府東大阪市)と呼ばれていますね。
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