神武天皇は彼を呼び寄せ、
「あなたは誰です?」
と尋ねました。彼は、
「私は地上に住む神です」
と答えます。さらに神武天皇が、
「あなたは海の道に詳しいのですか?」
と尋ねたところ、彼は、
「よく知っています」
と答えました。
さらに神武天皇は、
「私に従って仕えてみませんか?」
と訊きました。彼が、
「お仕えしましょう」
と答えたので、棹を彼に差し渡して船に引き入れ、サオネツヒコ(槁根津彦?椎根津彦)と命名したのでした。彼は大和国造(今の奈良県知事)の先祖にあたります。
こうしてまたさらに東に進み、浪速の渡(なみはやのわたり?大阪府大阪市)を通って、白肩津(しらかたのつ?大阪府東大阪市)に船を泊めました。
その際に登美(とみ?奈良県生駒市、奈良市)の豪族である長髄彦(ながすねひこ)が兵を率いて待ち受けていたので、交戦します。神武天皇は船の中から盾を取り出し、船から降りて立ち向かいました。
そんなわけでその地は盾津と名付けられました。今では日下の蓼津(くさかのたでつ?大阪府東大阪市)と呼ばれていますね。