第二次大戦後、コッペパンと脱脂粉乳を中心に始まった学校給食は、すっかり様相を変えた。改正された学校給食法が昨春実施され、給食の目的自体も、「栄養改善」から「食育」へ、やっと転換した。
米飯給食が正式に登場したのは1976年だ。余ったコメを食べてほしいという狙いがあった。いまや日本の伝統的な食生活を学び、食材について考える絶好の教材ではないか。
米飯給食の週5回完全実施をしている学校は全国でまだ5%だ。そのなかで新潟県三条市は03年、米飯を原則にすることだし、08年からは月に1、2回あったパンやめんもやめた。
「子どもがご飯に飽きて食べ残しが増える」と心配する声もあった。だが、食べ残しの量を調べると、今年度は03年度より小学校で8.8ポイント、中学校で9.2ポイント少なくなった。子どもたちも受け入れているのだろう。
「身土不二」という言葉がある。人間の体と土とは一体だという意味だ。明治時代に軍医の石塚左舷らが起こした「食着道運動」のスローガンに使われ、「自分の住む土地の四里(16キロ)四方以内でとれた旬のものを食べる」ことを理想とした。
地元の魚や野菜を食べる「地産地消」に通じる考え方だ。給食でコメを主食にすれば、おかずも和食が増え、地元でとれる野菜や魚介類をより多く利用することにつながる。
輸入食材ではなく身近なものを選べば、輸送時に輩出される二酸化炭素の量を抑えようという「フードマイレージ」の考え方にも適う。給食を地場農産物の利用などを学ぶ機会とするためにも、これまで以上に地場食材を使っていきたい。
文科省は85年に米飯給食の実施の目標を「週3回程度」と決めた。それが達成されたことから、昨年からは「週3回以上」にしている。「週4回」とならなかったのは、「設備負担が増える」という自治体や「打撃を受ける」というパン業界からの反対が強かったためだ。
地産地消を考えるなら、米粉を使ったパンを導入するなど、工夫の余地もまだあるだろう。1人当たりのコメ消費量は、昨年度59キロである。消費が最も多かった半世紀近く前の半分だ。食料自給率も65年度の73%から昨年度は41%になった。100%を超える米飯などとは対照的に、先進国の中では最低水準だ。
コメ離れに苦しむ農家や食料自給率のことを考えるもの、食育である。
(「米飯給食――「食の教育」のためにも」2010年2月15日付朝日新聞「社説」による)
1、今の、「米飯給食」について筆者はどう考えているか。
①米飯給食を増やすと、自治体への負担増につながる恐れがある。
②米を主食にすると、パン業界には悪影響が出るようになる。
③日本の伝統食や食材について学んだり、考えたりするよいきっかけになる。
④おかずも和食が増え、栄養改善にかなり役に立つ。
2、「子供たちも受け入れているのだろう」とあるが、何を表しているか。最も適当なものを一つ選びなさい。
①ご飯の食べ残しは礼儀に反するということ。
②ご飯に飽きても、義務として市の方針に従わなければならないということ。
③ご飯の旧y測のよさが分かるようになったのではないかということ。
④めんやパンよりご飯の方が飽きないということ。
3、「地産地消」で得られる結果として、最も適当なものを一つ選びなさい。
①すべての食材を地元で調達できるようになり、輸入に頼らなくなる。
②食材の輸送時に排出される二酸化炭素の量を減らすことができる。
③農家の家系に寄与し、経済格差問題の解決にも役に立つ。
④米を原料としてパンが作れるから、国民の健康にもかなり役立つ。
4、この文章で筆者が言いたいことは何か。
①米の消費量を増やし、食糧自給率ももっと高めるべきである。
②米の消費量はこのままでいいが、食糧自給率はもっと高めるべきである。
③食の教育をアメリカやフランス並みに活性化させなければならない。
④食の教育は学校給食に焦点をあわせて行わなければならない。