この両者に共通しているのは、私的空間から公共空間に( )ことであり、「家の中」主義とでも表現すべきスタイルだろう。異なるのは、「家の中」の範囲をどれだけの広さとみなすかだけであって、一旦その縄張りを決めてしまうや、そこからなかなか足を踏みだそうとしない点では見事に一致している。どちらのタイプに属する者も、その転機が思春期の自我の芽生えるころにやってくるのは確実なようだ。自我の芽生えとは自己実現への願望が生まれることを意味する。この自己実現をなすためには「( ア }」へ出かけていかなければならない。だが、そこには「( イ )」にはない軋轢があり、軋轢は挫折を生む。このとき、挫折した自分を許せないと自己否定的になれば、「ひきこもり」へ向かう確率が高くなる。反対に、思い通りにならないのは社会のせいであり、非は自分にいないと居直れば、「( ウ )」という環境までも家の延長とみなして今までどおりやっていこうという態度になり、公共空間での地べたに座ったり、化粧をしたりなどの行為となるのである。
(正高信男「携帯を持ったサル」より)
1、( )に入るものとして、最も適当なのはどれか。
①出ることを拒絶する
②出なければならない
③出ようとしている
④まだ出たことがない
2、ア~ウに入る適当な語はどれか。
①ア:家の中 イ:家の外 ウ:家の中
②ア:家の中 イ:家の中 ウ:家の中
③ア:家の外 イ:家の外 ウ:家の中
④ア:家の外 イ:家の中 ウ:家の外