環境問題とは、人間が自然をすべて脳に取り込むことができ、脳のルールでコントロールできると考えた結果、起こってきたとみることもできる。それと裏腹に、自然のシステムはとても大きいから、汚染物資を垂れ流しても、「自然に」浄化してくれるだろうという過大な期待もあった。人間は自然を相手にするとき、理解できる部分はコントロールし、理解を越えた部分には目をつぶってきた。一言で言うなら、相手に対する謙虚な姿勢がなかったのである。自然をコントロールすることで、経済が発展し、生活は豊かになった。だが、あんなことまでやる必要がどこにあったかということも、たくさん行われた。田んぼのコンクリートの側溝から、ゴルフ場の開発、河川の改修など、その例は枚挙にいとまがない。相手を理解してコントロールしているつもりが、いつのまにか( )。環境問題の多くは、そのために深刻化した。
(養老孟司「いちばん大事なこと」より)
1、「人間が自然をすべて脳に取り込むことができ、脳のルールでコントロールできると考えた」とあるが、それはどういうことか。
①自然をすべて把握できると考え、人間の力で変えたり制御できると考えたこと。
②自然の秩序を尊重して、自然をできるだけそのまま保護しようと考えたこと。
③一方で自然を制御しようと考え、一方で自然の回復力に頼ったこと。
④自然界のバランスを保つためには、人間が制御する必要があると考えたこと。
2、「理解を越えた部分には目をつぶってきた」とあるが、どういう意味か。
①目の色を変える
②見栄を張る
③目に角を立てる
④見て見ぬふりをする
3、( )に入るものとして、最も適当なのはどれか。
①コントロールされるようになる
②コントロール不能になる
③コントロール過剰になる
④コントロール可能になる