確かに、誰にとっても死は恐怖である。だが、生まれながらの難病と闘いながら、短い命を精一杯生きた人たちもいるし、癌を告知された後も自分の夢に命を捧げ続けた人もいる。人の死には事故死もあれば、老衰もあり、病死もあるが、大切なことは与えられた命を精一杯生き抜くことではないだろうか。「あなたなら、そのような場合、どう生きるか」と質問されても、今の私には答えようがない。だが、その時は必死で答えを探すだろう。事実を知らされていなければ、それさえもできないのである。
(B) 私はもし自分が治る見込みのない癌だとしたら、知らせないでほしいと思う。というのも、私は、自分が治しようがない癌だと知って、冷静でいられるほど強い人間ではないと思うからだ。最近、医者はどのような場合でも本人に事実を患者に告知すべきだという考えが広まっていると聞く。しかし、多くの人は、自分が不治の病だと知らされたら、どうしていいかわからず、苦しみ悩み、絶望に陥るケースがほとんどではないだろうか。そんな人にまで「真実」を伝えることは、二重の苦しみを与えることであり、残酷だと思う。
おもしろいのは、自分が治る見込みのない癌であった場合は告知してほしいと答える人が多いのに、家族が同様の癌であった場合、たぶんしらせないだろうと答える人が多いことだ。このことが意味しているのはなんだろうか。
1、АとBのどちらにも触れられていることは何か。
①人は治る見込みのない癌の告知に耐えられるほど強いか。
②見込みのない癌にかかったとき、残された命をいかに生きるか。
③もしあなたが治る見込みのない癌だったら知らせてほしいか。
④家族が治る見込みのない癌だったら、あなたは知らせるか。
2、もし自分が治る見込みのない癌だとわかったとき、Аが最も大切だと考えていることはどれか。
①最後まで自分の夢に命を捧げること。
②与えられた命を精一杯生き抜くこと。
③治癒を信じて、精一杯癌と闘うこと。
④家族に囲まれ穏やかな死を迎えること。
3、Bの文章に「自分が治る見込みのない癌であった場合は告知してほしいと答える人が多いのに、家族が同様の癌であった場合、たぶん知らせないだろうと答える人が多いことだ」とあるが、Bがこの文で述べたいことは何か。
①治る見込みのない癌だと告知されても、自分は耐えられると信じていること。
②治る見込みのない癌の場合、患者に告知するべきではないと考えていること。
③自分は治る見込みのない癌の告知に耐えられるほど強くないと考えていること。
④人は治る見込みのない癌の告知に耐えられるほど強くないと考えていること。