日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 阿刀田高 » 正文

三角のあたま10

时间: 2018-03-31    进入日语论坛
核心提示:悪意あり ゲーテの最期の言葉は、「もっと光を」 だったとか。 うーん、さすがはゲーテ。ありがたいことを言うわ。無《む》知
(单词翻译:双击或拖选)
 悪意あり
 
 
 
 ゲーテの最期の言葉は、
 
「もっと光を」
 
 だったとか。
 
 うーん、さすがはゲーテ。ありがたいことを言うわ。無《む》知《ち》蒙《もう》昧《まい》な私たちに対して適切な教訓を残してくれたんだ、と思いたいところだが、実際は臨終の部屋が暗かったせいらしい。
 
 この言葉のすぐ前に、
 
「窓を開けてくれ」
 
 と、召使いに頼んでいる。それに続けてこれを言っているのだから、
 
「もっと明るくしてほしい」
 
 くらいの意味だったろう。
 
 なーんだ。
 
 なにしろ〓“ゲーテの語らなかった真理は一つもない〓”と言われたくらいの人だから、なにげない日常の台詞《せりふ》も、りっぱなアフォリズムにされてしまう。
 
 
 
 しかし、ゆっくり考えてみると、このエピソードそのものが、ゲーテの残した教訓なのかもしれない。
 
 つまり、言葉というものは、それが語られる情況、前後の文脈を抜きにしては本当の意味は伝わらない。ゲーテ本人はなんの意識もなかっただろうけれど「もっと光を」は結果としてその典型的な例となった。
 
「窓を開けてくれ。もっと明るくしてほしい」だけだったものが、その一部を引用して、そこにゲーテに対する敬愛の念が加われば、
 
「もっと光を」
 
 ありがたいなあ、になってしまうのである。
 
 
 
 これは私たちの日常生活でもしばしば経験することである。ゲーテの場合は、なにげない言葉がよい意味にされているから救われるけれど、たいていは言葉の一端をとらえて、
 
「あの人、こんなひどいこと言ったのよ」
 
 と誹《ひ》謗《ぼう》の材料として引きあいに出される。
 
 言った当人としては、
 
 ——そういう意味で言ったわけではないんだがなあ——
 
 と、いくら弁明してみても、たいていはもう遅い。悪意で引用されたら、正反対の意味にもなってしまう。
 
 一例を挙げよう。
 
 ひところ私はカルチャー・センターで小説の書き方を教えていた。
 
「××さんの文章は、一般的に言えばけっしてよい文章ではありません。私はそう思います。ぎくしゃくしているし、ちょっとわかりにくいところもある。滑らかじゃない。でも、その文章が、××さんの描く世界と微妙に呼応している。よくあっている。やっぱりこの文章でなければ××さんの世界は表現できないなあ、と思う。それが小説家の文章であり、名文なんです」
 
 ××さんのところには、著名な小説家の名前が入る。
 
 私としては、ほめているのである。これは本当だ。歯《は》応《ごた》えのある思想は、歯応えのある文章で書かれたほうがよい。
 
 だが、聴講生の一人が、あちこちで、
 
「阿刀田先生が言ってましたよ。××さんの文章はいい文章じゃないって」
 
 吹《ふい》聴《ちよう》しているらしい。
 
 これは困った。××さん自身の耳にも入っているのではあるまいか。月夜の晩ばかりがあるわけではない。
 
 さりとて、××さんに電話をかけ、
 
「あのう、私があなたの文章はよくないって言ってると、そういう噂《うわさ》が流れているらしいですけど……」
 
 と釈明するわけにもいかない。この手のことは弁明の機会さえ与えられないのが普通である。
 
 以来、この講義はやらないし、この誌面でも××さんと名前を隠しておく由縁である。
 
 似たようなことは、世間でもひんぱんに起こっているだろう。
 
 
 
 野球場というところは、耳をそばだてて聞いていると、本当にすさまじい。
 
「この野郎、北別府、死んじまえ」
 
 ひどい野次が飛ぶ。
 
「岡田、あほんだら。顔がわるい」
 
「中畑、どこ見てる。わるいのはお前だ。せんずりかいて寝ろ」
 
 引用するのもはばかられてしまう。
 
 これだけの罵《ば》詈《り》雑《ぞう》言《ごん》を面と向かって言ったらどうなるか。ただですむはずがない。
 
 野球場だから、まあ、許されるわけである。
 
「王様の耳はろばの耳」という童話があったけれど、野球場の野次はほら穴に向かって叫んでいるようなものだ。少なくとも叫んでいる人の意識はそれに近い。言葉だけ取り出して、
 
「あなたは、北別府投手に〓“死んじまえ〓”と言ったそうですが……」
 
 と言われたら、困ってしまうだろう。
 
 
 
 一番誤解されやすいのはジョークのたぐいだろう。当人は冗談のつもりで言ったのに、相手はそうは取らない。よくあることだ。
 
 それと、政治家……。舌禍のたぐい。つい本心がこぼれ出てしまうケースもたしかに多いのだが、
 
 ——聞いた人がことさらにわるく取ったんじゃないかなあ——
 
 と思いたくなるケースもけっして少なくない。新聞、雑誌の記者の中には、悪意に解釈する癖を持った人がいないでもないから……。
 
 最悪の例を一つ。
 
 もう七、八年ほど前のことになるだろうか。私のデスクの上の電話が鳴った。
 
「もし、もし」
 
 相手は、ある週刊誌の名を挙げ、その取材記者だと名のった。風俗関係の取材らしい。
 
「なんでしょう」
 
「このごろ女性相手のソープランドっていうか、女性客が行くと、若い男がセックスの相手をしてくれる店があるそうですが、ご存知ですか」
 
 どうして私にそんなことを聞くのか、わからなかった。けっして気取って言うわけではないけれど、私はその方面にとくにくわしくはない。なにかのまちがいだろう。
 
「知りません」
 
 と答えて、電話を切った。
 
 後日、雑誌が送られて来た。記事の冒頭に太い活字で書いてある。
 
〓“女性相手のソープランドが東京にあるかどうか、作家の阿刀田高氏は「知らない」と言うが、これはたしかに実在するのだ!〓”
 
 取材の内容にはなんの嘘も混《まじ》っていないけれど、私はその道の権威になってしまった。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%