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三角のあたま29

时间: 2018-03-31    进入日语论坛
核心提示:アメリカ讃江 昭和二十年代、私はアメリカに三度負けたと思った。 私はまだ十代の子どもだったけれど、敗北の記憶は今でもはっ
(单词翻译:双击或拖选)
 アメリカ讃江
 
 昭和二十年代、私はアメリカに三度負けたと思った。
 
 私はまだ十代の子どもだったけれど、敗北の記憶は今でもはっきりと心に残っている。刷り込み現象の一つと言ってもよいだろう。
 
 まず戦争で負けた。これは、もう、なんの説明もいるまい。歴史的真実。完全なノック・ダウン。負け惜しみも出ないほどの完敗である。
 
 ずっと後になって知ったことだが、大日本帝国の陸軍大学では(海軍のほうは知らない)戦争の負け方についてなにも教えていなかったとか。陸軍大学と言えば、軍の最高の指揮官を養成するところであり、事実太平洋戦争をとりしきった陸軍の最高幹部にはここの出身者が断然多かった。
 
 日本の軍隊は神軍で、絶対に負けないことになっていたのだから、負け方を教えるなんて言語道断、必要のないことと思っていたのだろう。
 
 このこと一つを考えてみても理性を欠いた教育機関であったとしか言いようがない。負け方がどれほど大切か、歴史を少しでも眺めてみればすぐにわかる。勝負を本気でやったことのある人はみんな知っている。
 
 ——今の自衛隊はどうなのかな——
 
 防衛大学校では教えているのだろうか。憲法により日本国は戦争をしないたてまえになっているから、負けることもないのだろうか。
 
 でも攻めて来たら戦うつもりだろう。そのために仮想敵国を設けて、いろいろ訓練をしているはずである。
 
 で、そのときは……どういう敵がどう攻めて来るのかわからないけれど、自衛隊はなんだか負けそうな気がする。だから軍備を増やせと言ってるのではない。どう負けたらよいか、今度こそしっかりと必修科目に入れて教えておいていただきたい。
 
 
 
 話を元に戻して……つぎに私はアメリカ製のチョコレートを嗅《か》ぎ、それを食べたとき、負けたと思った。
 
 この芳香、この味わい……。
 
 ——むこうはこんなもの食べていたのか——
 
 こっちは芋づるを食べていたのに……。
 
 昭和二十一年。ハーシーのチョコレートだったと思うが、たった一かけらのチョコレートが、彼我の力の差をはっきりと教えてくれた。
 
 つまり、物資で負けた。
 
 これもほとんどなんの説明もいるまい。戦後数十年、日本はずいぶん豊かになったけれど、それでも物資の力ということなら、アメリカの足もとにも及ばない。日本が豊かになったといくら言われても、
 
 ——本当かなあ——
 
 と、頬《ほお》をつねりたくなるのは、このせいである。土地もなければ石油もない。太陽エネルギーの飛躍的な利用法が発明されない限り、日本はいつまでたっても資源のない国であり続けるだろう。アメリカには絶対に勝てない。肩を並べることさえ絶望的である。
 
 
 
 以上二つの敗北は自明であり、あまりにも明白過ぎて、それだけにかえって、
 
「まいりました」
 
 と、この一言であきらめることもできた。
 
 だが、最後の一つ、
 
 ——人間としても負けたな——
 
 そう悟ったときはつらかった。
 
 アメリカの占領政策はみごとなものだった。
 
 荒廃した日本国をなんとか立ち直らせようとして幾多の援助をほどこしてくれた。あのときアメリカから運び込まれた食料や衣料がどれほど日本人を助けてくれたことか。
 
 もちろんそれらは余剰物資だったろうし、むこうはむこうで日本を自立させることがアメリカの利益になると、そういう判断があってのことだったろうが、それをさし引いてもなお余るものがあったように私には感じられた。
 
 弱い者に手をさし伸べて立ちあがらせてやろうと、人間としてすこぶる大切な精神がアメリカにはあった。
 
 万に一つ、日本がアメリカに勝ってアメリカを占領していたら、日本軍はどうアメリカ大陸に跋《ばつ》扈《こ》しただろうか。侵略、略奪、殺《さつ》戮《りく》、凌《りよう》 辱《じよく》……考えただけでも恥ずかしい。恥ずかしさを通り越して真実恐ろしい。ろくでもないことを、私たちはまたもう一つ、太平洋のむこうの大陸でも犯してしまったにちがいない。
 
 このあたりの事情が子どもの目にも見えて来て、私はしみじみと人間としても負けたと思ったわけである。 
 
 世界連邦が誕生するとして、どこの国が盟主となってくれたらいいだろうか。私は時折そんなことを考える。意見はたくさんあるだろう。
 
 意見がたくさんあること自体、世界連邦がまだ遠い夢であることの、なによりの証拠と言ってもよい。
 
 だが、一つの茶の間談義として言うならば、私は、
 
 ——アメリカ人がいいな——
 
 と思う。
 
 昭和二十年代の印象が今でも続いている。
 
 どの民族も、どの国民も、みんな利己的だが、それでもアメリカ人は人柄のいいところがある。正義とか、公平とか、民主主義とか、そういう理念について自分が多少の損をすることを承知の上で、道義を貫いてくれそうな、そんな気配を帯びている。西部劇の保安官は、映画ではいつもそうだった。その片《へん》鱗《りん》をアメリカ人とアメリカ社会は今でも少し持っているように見えるのである。
 
 ——フランス人やロシア人は厭《いや》だな——
 
 これは私の、私だけの偏見だろう。
 
 フランス人はすぐれた文化の担い手であり、作り手にちがいないが、私の見たところでは、いろいろ理屈を言ったあげく、結局はフランス人だけが得をする策を選びそうな気がする。ロシア人は……民族としては好人物も多いだろうが、あの官僚制、あの独善性、戦後の東側衛星国との関係を見ていると、ソビエトはなんだかもう一つ信頼ができない。
 
 もう一度言うけれど、これは私の、ほんの印象、ほんの偏見……。ごめんなさい。
 
 それよりもなによりも、
 
 ——日本人は駄目だろうな——
 
 私が言うのではない。
 
 だれよりも世界の人々が、日本人を見て知っている人たちが、そう思っているにちがいない。
 
 盟主になんかならなくてもいいけれど、そう思われていることは熟慮に値する。ゆゆしい問題である。これも私の偏見ならいいのだが。
 
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