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なぜぼくはここにいるのか37

时间: 2018-10-26    进入日语论坛
核心提示:  御嶽行 この夏、家族と共に知人の講に加えてもらい御嶽山に参ることになった。御嶽山の名は子供の頃からよく耳にしていたが
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   御嶽行
 
 この夏、家族と共に知人の講に加えてもらい御嶽山に参ることになった。御嶽山の名は子供の頃からよく耳にしていたがぼくにとってはおよそ遠い存在だった。それだけに御嶽山に参るようになった時ぼくはわれながら随分変ったなあという気持だった。信仰心の強かった両親がもし生きていたらきっと腰を抜かして驚いたことだろう。
 ぼくが御嶽山に参ろうとした理由は別にない。ただ知人が十数年来の御嶽山の熱心な信者で以前から何度も御嶽山についての神秘な話を聞されていただけに、機会があれば一度参ってみたいと考えていた。最近のぼくの創作の方向はかなり強い宗教色をおびてきているが今だにこれといった特別の信仰の対象を持っていなかったので、実をいうとこのような修験山に登ることにより、よりもっと深く創作や生活が宗教的なものとかかわってくるのではないかと想像していたことは確かだった。
 ぼくの作品が次第に宗教色を帯びるようになってきたのはしばらく仕事を休んだ後に再開した楽園のシリーズからである。この楽園の一連はどこかの航空会社の観光ポスターのようなものだったが、ぼくはこの南の島の大自然と一体の人間の姿を想像し、ここに神の存在性を結びつけたかったのである。この南の楽園シリーズは、その後宇宙からインド的になり、具体的な神仏の登場から光のシリーズへと変化してきたが、ぼくの内部には少しも神の存在を知覚することができなかった。作品が宗教的になればなるほどぼくの自我がよりはっきり姿を現し、この内と外との矛盾にぼくは引裂かれるような想いをしなければならなかった。
 だから作品の宗教的なものを支えるためにぼくは信仰の力が欲しかった。しかし、ぼくの中にはまだ信仰を求める単純な素朴さが準備されていないことを知っていた。各種の教典から神は汝の内に存在することを知ったが、その神を生かす術《すべ》がどうしてもわからなかった。神を知る教えは沢山あるが、どれひとつ実行できない自分が情ないような気がした。こんな時ぼくは一層のこと宗教的な世界の事柄などに頭をつっこまなければよかったのではないかとさえ後悔することがあった。
 頭で神を求めるのではなく、理屈を超えた内なる行為が欲しいのだが、この欲しい[#「欲しい」に傍点]という欲望がまた心を曇らすのである。宗教書ばかりにかじりついていることがいつの間にかムードになってしまいまるで宗教マニアという最悪の泥沼にいる自分を発見して愕然としてしまうのだ。
 少し話が外れたが御嶽山参りにしたって宗教趣味といえばそうかも知れない。しかし次の段階は別として現在のぼくにとっては身の周りを宗教的なもので埋めつくすことがぼく自身から離れることの第一歩になるのではないだろうかと考えている。こんなぼくを他人から見ればまるで頭が変になったのではないだろうかと思われるかも知れないが、人一倍我執の強いぼくがたどらなければならない過去生からのカルマ(因果)の道だから仕方ないとあきらめている。
 しかし御嶽山参りは趣味にしては非常に厳しいものだった。たかが山登りくらいと思っていたのが実際大間違いで、ついに足の爪を剥すに至るほどの苦痛を味わなければならなくなった。カルマを多く背負った者ほどこの山は苦しいという。時には死者が出るというだけあって、途中で何度挫折したくなったかわからなかった。われわれの講の人達は皆熱心な御嶽信仰に裏づけられているだけあって音を上げている人は誰もいない様子だ。山を登るにつれて首の数珠までが重くなって来た。これはいよいよ大きなカルマを背負ったせいだと観念し、何とか六合目までたどり着かなければならないと思った。六合目まで登れた人はカルマの荷が落ちて後は頂上まで楽に行けるというのだ。このことは実に不思議で、六合目から宿泊予定の九合目までは本当にスムーズに登ることができた。
 その夜ぼくは九合目の山小屋で不思議な夢を見た。この夢はビジョンをともなわない観念だけのものだった。その内容は、〈ぼくが現在この世に生を受けているのも偶然ではなく全て必然のなせるわざで、ぼくの過去生からのカルマと先祖、そしてあらゆる時間と空間がからんだ結果である〉といった内容のものと〈時間には長短がなく、したがって時間が存在しないともいい、例えば幼児の死と老人の死の時間にはその差異はなく、人の一生内では皆同じ時間分量が働いているといい、今後は時間の単位が少しずつ変り、季節感さえ混乱し始めるだろう〉という少々予知めいたものだった。
 山小屋から拝む御来迎《ごらいこう》は格別だった。まだ下界は雲海の下で夜のとばりに黒く塗りつぶされたままだった。濃紺の空にはまだ沢山の星が残っている。やがて東の空の一部が血を流したように一筋の赤い帯を空と雲海の境に引始めると、足もとの岩肌が濃い紫から虹のようなオレンジ色に変っていった。ぼくのすぐ前の大きな岩陰から一羽の鳥が影絵のように飛びたった。下界の綿のような雲海が次から次へと万華鏡を見るような不思議な波状を光の中に展開している。突然光線銃を浴びたような眩しい光が雲海の彼方からぼくを目がけて撃って来た。一瞬辺りは黄金色に包れ、無数の小さな光の粒子が飛散った。御嶽山の劇的な夜明である。ぼくは来てよかったと思った。
 頂上を越えての下山は登りよりも厳しかった。足の爪を剥したので体重がかからないために始終後向きになって下りなければならなかった。登りに七時間、下山に四時間かかった。下山して頂上を見ると二、三十分で走って登れそうに見えた。御嶽山から立去るのが何だか惜しいような気がしたが、一方早く体を横たえたい気持でいっぱいだった。握りしめたままの杖を見ると二、三センチ短くなっていた。ぼくの作品がぼくをここまで導いたという実感が急に起って来た。
 
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