昨日、あるオカルト関係の本ばかりを出版している編集者にあった。一連のユリ・ゲラー現象で、一時はものすごいオカルト・ブームを起した日本中も、例の「週刊朝日」事件? 以来四次元のものの書籍の売行がめっきり減少したとその編集者は嘆く。
ぼくはこの話を聞いて、——やっぱりあれも単なるブームだったのかと、またしても日本人の底の浅さを痛感した。
ぼくは少なくともあのブームは単なるブームではなく、大衆の眠れる潜在意識下の合理主義に対する不信が、あのような非合理な現象や世界を信じることにより、過去の概念を否定した全く新しい生き方を求めようとするエネルギーの表れだろうと考え、日本人もまんざらではないぞ、と日本の未来に大いに明るい希望を抱いていたのに、今ではユリ・ゲラー効果やスプーン曲げのことを口にする人々はほとんど見当らなくなってしまった。
何もブームになることがいいということではなく、むしろこのことは逆に危険なことではあるが、あの「週刊朝日」の超常現象否定キャンペーンのせいで、いとも簡単に再び惰性的な日常生活に帰っていった多くの大衆は非常に重要なものを目前にしながら見失ってしまったような気がする。
ぼくはあの一連の超常現象ブームは日本を大きく変革させてしまうのではないかと思ったくらいだった。このために今まで出逢わなかった新しい友人達も随分沢山増えたし、この非合理な世界の意識の輪を社会的に拡大していくための大きなチャンス到来だとさえ思った。
このことは終末を迎えた人類や地球を再びもとの素晴しい新天地にさせる力になるとさえ本気に考えていただけに、ぼくや新しい仲間はがっかりしてしまった。
しかし、あのブームがきっかけで多くの少年や若者達が、本気で自分自身の問題として超常現象に取組もうとしている姿勢をあちこちに見ることができるのがせめてものなぐさめである。
だから、これからがいよいよ期待できる時代に入ろうとしているのにもかかわらず、大人の世界があまりにも可視の世界だけを信じこんでいるのが、非常に腹立たしい。