根治したはずの病気が、三年後に再発した。テレビドラマの格闘で、肋骨にひびの入ったのが原因らしい。二年あまりの暗澹とした病院生活中には、いろいろなことが起った。同じ病院に入っていた遠藤周作氏が、ある時は真面目に、ある時はふざけながら、私を励ましてくれた。救急車で同じ病院に入った久保田万太郎先生が亡くなられ、同じ病院から他の病院へ移った十返肇氏が亡くなられた。そして、私は友人たちと共に文学座に辞表を出し、あたらしい劇団「雲」をつくった。それは二回目の手術の直前で、私はあたらしい劇団の成否と、私自身の生死とについて、賭をするような気持で、踏み切ったのである。
いろいろとつらい二年あまりの病院暮しであったが、この四月の半ばに、そろそろ退院してよろしいという事になった。私は、二十三日に退院したいと申し出た。シェイクスピアの四百回目の誕生日に退院というのは、覚え易くもあり、縁起直しのようで何となく面白い。
同じ頃退院許可の出たS氏とは、入院中いろいろと共通の話題が多く、いわゆるうまの合う間柄だったので、一緒に退院しようという事になったが、S氏は私より大分慎重で几帳面な質だから、主任教授の回診のある三十日にしようと言う。第一、切りがいいではないかと言う。それも一理ある。
しかし病院暮しに飽き飽きしている事は、S氏も私と同様だから、話し合っている内に向うが折れて、では二十三日にしよう、という事になった。現金なもので、決った途端にS氏は晴れ晴れとした顔になり、床屋へ出かけて行った。
さて退院と決ると、しなければならぬ事が沢山ある。まだ日があるから急ぐには及ばない、と思うのは間違いで、病み上りは何事によらず根が続かないから、早手廻しにその日から少しずつ片付け始める事にした。いつもならば夕食後、S氏を誘って散歩に出るのだが、その日は雨模様だったのをいいことにして、長い間溜まった雑誌や本やノート類を整理した。なかなかの重労働なので、途中で何度も休み、漸く一区切りついたところでちょうど消燈時刻になった。九時である。灯を消し、カーテンを引こうとして、見ると、外には大変な煙霧が立ち籠めている。
私の部屋は四階にあって、昼間は上智大学の塔がよく見える。九時はまだ宵の口だから、神宮外苑から四谷塩町へかけての車の往来や、町のネオンや、ナイターのある日には遠い後楽園野球場の照明が夜空に映えているのまでが、はっきり見える。それが、その晩は、何も見えぬ。すぐ目の前の病理学教室の建物さえ見えない。長い入院生活の内には、ひどい煙霧の夜が幾度かあったが、これほど猛烈なのは初めてである。
眠れない夜、私はよくこの窓に凭《もた》れて、病院の構内や灯の消えた町の荒涼とした眺めに見入ったものだ。
病理学教室の建物の向うには、別の病院がある。そのまた向うには、別の病院に遮られて見えないが、私が長い間そこで学び、去年の一月、この部屋のベッドの上で辞表を書いて脱退した文学座のアトリエがある。私の想像はついそこへ向いがちであった。
深夜一時、あのチュードル風の建物の、がらんどうの闇の中には、稽古に使った薄縁《うすべり》や、支木《しぎ》や、座の紋章の入った肱掛椅子や、机が、ひっそりと明日を待っていることだろう。しかし私は、もうあそこへ帰ることはない。あそこで、戯《ざ》れ歌をうたいながら押した「ワーニャ伯父さん」の軋む扉。あそこで、短剣の幻を追って踏んだ「マクベス」の危ない階段。燭台を持ち呼吸を整えて狂乱の出《で》を待った「守銭奴」の、舞台の袖の傷だらけの柱。叩き落した相手の剣が乾いた音を立てて転がった「ハムレット」のあの舞台の床。あのアトリエ。あそこで、一緒に稽古をした、かつて仲間であった人達……
そんな事を取り止めもなく考えている内に、私は何だかますます眼が冴えてくるような気がして、急いでベッドに引き返すのが常だった。
この窓からの眺めとも、そろそろお別れだ、今は何も見えないが、最後の晩には眺めも利くだろう、二十三日退院の前夜には。
シェイクスピアの誕生日という考えがまた私を捉え、同時にふと、かつて演じた「ジュリアス・シーザー」のキャシアスの終幕のせりふが心に浮んだ。キャシアスは誕生日が命日になった男である。
独居は独語の癖がつく。私は窓硝子越しに濃い煙霧を見つめながら、口の中でぶつぶつとせりふを呟いた。
「今日だつた、おれがこの世の大気を始めて吸つたのは! 時はやうやくその輪を一巡りしをへたらしい。さうだ、おれはここから始めて、それ、かうして同じところで終るのだ……」
せりふを口ずさんでいると、ちょっとしぐさが欲しくなる。あの時、私は「さうだ、おれはここから始めて」と言いながら、痛手を負って丘の中腹に横たえた身体を右肱で支え、上半身を僅かに起す動きで左腕を挙げた。暗い虚空へ、「虚無」へ、もう定かには見えぬ眼を向けたまま、差し伸べた腕をゆっくりと輪を描くように動かして。……だが今はそんな真似は出来ぬ。私はせりふを呟きながら、煙霧に向って軽く左手をあげてみた。心外なことに、招き猫の形になった。その途端に、巡視の看護婦の懐中電燈が、背後から私を照らした。私はあわててベッドに飛込んだ。
眼を閉じる。今度は、最後のせりふが浮んでくる。
「シーザー、貴様、みごとに復讐を遂げたぞ、しかも、おのれを斃《たふ》したその同じ剣で」
大好きなせりふである。キャシアスは、シーザーの羅馬《ローマ》に生きるという屈辱から、「奴隷の境涯」から脱け出すために、謀叛を企て、シーザーを暗殺する。激越な革命家であり、友誼に篤《あつ》い武人だが、情に脆く、癇癪持ちで、いろいろ欠点も少なくない男だ。その最後の戦いで、彼は、親友が敵の捕虜となったという誤報を受ける。彼は痛手を負ったまま救援に赴くことの出来なかった自分を恥じる。それは彼にとって、耐え難い屈辱なのだ。彼は奴隷に剣を与え、己れの胸を刺し貫けと命じる。
だから、「同じ剣」は、必ずしも同一の物体を示しているだけではない。キャシアスは、言わば、生きるに値しない二人の男を同じ理由で刺したのだ。初めはシーザーを、次に自分を。そして奴隷の手を借りることによって、かつて自分があれほど熱烈に望んだ自由を、彼にも与えてやるのである。
この最後のせりふは、いかにもキャシアスに相応《ふさわ》しい。
「お前もか、ブルータス? それなら死ね、シーザー!」という、有名なシーザーの最後のせりふも、帝王の最後を飾るに足る、いいせりふだが、キャシアスのせりふもそれに劣らずいい。
残る二人、ブルータスとアントニーの最後のせりふは……
どうも思い出せない。気にしているとますます眠れなくなるから。これはなかなか良い理由だ。枕元の灯をつけ、先刻片付けた福田恆存訳のシェイクスピア全集の中から、「ジュリアス・シーザー」を抜いて来て、ページを繰った。
シーザーへの愛よりも羅馬への忠誠を選んだ「正義」の人、理想家、「高潔」なブルータスは、戦いに破れ、自決しようとして、言う、「シーザー。今こそ心を安んずるがいい。おれは、その胸を刺しはしなかつたぞ、今ほど明るい心をもつて」
現実主義の政治家、煽動と雄弁術の名手、観劇の好きな「快活」なアントニーは、勝利者として、敵将ブルータスの屍を全軍に示しながら言う、「その一生は和して従ひ、円満具足、中庸の人柄は、大自然もそのために立つて、今も憚ることなく全世界に誇示しうるものであらう、『これこそは人間だつた!』と」
二人とも、それぞれに、随分いい気なものだと思う。ブルータスは、彼自身の「明るい心」を、良心を、露ほども疑っていない。その裏に潜んでいる自分の権勢欲には、まるで気付いていないのだ。アントニーはまたいつもの手口で、「大自然」を引合いに出してブルータスに頌《しよう》を捧げている。ブルータスを高めているように見えて、実は自分を高めて見せようとしているのである。自分の演じた役への欲目からばかりでなく、私はこの二人よりもキャシアスの方がずっと好きだ。しかし、二つとも、実にうまいせりふである。それぞれ二人の人物の本質を捉えている上に、喋る役者にも、聴く観客(は変だが)にも、ちゃんとその人物の劇的行動の最後を締め括《くく》るせりふを、言い終えた、聴き終えたという満足感を与えるように出来ているところが、見事である。
「ジュリアス・シーザー」ばかりではない、シェイクスピアは最後のせりふ、最後の一句の名人だったように思われる。
返り血を浴びた幽鬼のようなマクベスは——「途中で『待て』と弱音を吐いたら地獄落ちだぞ」
饒舌な王子、ハムレットは——「もう何も言はぬ」
高貴な恋人、武将のオセローは——「今、おれに出来ることは、かうしてみづからを刺して、死にながら口づけすることだ」
高利貸、シャイロックは——「証書のはうは送つて下されば、いつでも署名いたします」
じゃじゃ馬、カタリーナは——「もし主人が望むなら、あたしは踏みつけられてもかまはない」
登場と退場——出と引込《ひつこ》みの演技は、役者にとって、もっとも難かしい、面白いものの一つだが、最初のせりふと最後のせりふの難かしさ、面白さも、なかなかそれに劣らない。そういう役者の「欲」を満たしてくれる点でも、シェイクスピアはずば抜けている……
私は全集の他の一冊を取りに行こうとして、思い直し、枕元の灯を消した。もう眠らなければならぬ。横になって眼を上げると、カーテンの間から、相変らず立ち籠めている白い煙霧が見える。気のせいか、部屋の中の空気までが、少しいがらっぽくなってきたようである。
シェイクスピアという人は余程丈夫な人だったろう。何となくそんな気がする。
モリエールは肺病やみで、医者や偽善者や才女に悪態をついた優れた芝居を沢山書き、座頭役者として劇団の経営にも当り、長い間悪戦苦闘した揚句、自作の上演中に舞台で倒れた。近頃の研究によると、経済的には大層恵まれていたそうだが、どうも悪戦苦闘の趣は免れ難い。
シェイクスピアも、同様に多くの優れた作品を書き、劇団の仕事にも携わったが、初老に達すると引退して、傍目には平和な晩年を送ったようである。
戦争中、学生時代に、モリエールの最後の作品「気で病む男」とシェイクスピアの同じく最後の作「あらし」とを読み較べたことがある。その時の印象は忘れ難い。「気で病む男」で、モリエールは随所に、「タルチェフ」などのかつて成功した作品の笑劇的対話を再び採用していた。しかもその対話は、常に前作の方が引き締っていて、優れた効果を挙げているように私には思われた。要するにモリエールは疲労困憊《こんぱい》していたのだ。疲れ切った役者が、色艶の失せた顔を隠そうとして、厚化粧をし、頬や眼の下や唇に明るい色を塗るように、モリエールは、創造力の衰えを保証つきの笑いで補おうとしている。そうに違いない、と私は決めてしまった。
モリエールの痛々しい白鳥の歌に較べると、シェイクスピアの「あらし」は——私は坪内逍遙訳で読んだので、「颶風《テムペスト》」と書くべきかも知れないが——格段に澄みわたって明るく、晴朗な気分が満ち溢れていた。創造力の衰えどころではなかった。醜悪な化物キャリバンの発散する幻怪な雰囲気は、殊に私を魅了した。
しかし同時にまた、いかにも引退芝居然とした「あらし」を書いたシェイクスピアに、いくらか反撥を感じ、自分の健康を信じない男と、健康な人間を喰いものにする医者とを、いつもの通り徹底的に笑いのめそうとした肺病やみのモリエールに親愛を感じたのも事実だった。
モリエールは常に人間を、というより人間だけを書いた。シェイクスピアの扱う世界は遥かに広大で彼の筆は人間の世界から、自然界、超自然界にまで及ぶ。
シェイクスピアは人の世の愛を、喜びを、滑稽を、愚劣を、美しさを、悲惨を、絶望を書いた。天上的な生活や、そのまま地獄である人生を書いた。犬や馬を、暁や微風を、ヒースの茂みや川の面に枝を垂れた柳を、黒つぐみや尺取虫や牡蠣《かき》を書いた。そしてあの迸《ほとばし》り出る洒落、地口、語呂合せ、機智問答や歌や悪態の数々……
確かに、シェイクスピアは丈夫な人だったに違いない……看護婦の二度目の巡視の来る前に、私は眠りに落ちた。
おどろいたことに、私は四月二十三日に退院できなかった。主治医が退院用のレントゲン写真をとるのを忘れていたのである。
S氏は予定通り二十三日に退院した。私は玄関まで見送った。縁起直しはできなかったが、S氏が丈夫なシェイクスピアにあやかってくれれば、それでよい。
私は一週間遅れて、はじめS氏が予定していた三十日に退院した。今度はS氏が出迎えに来てくれた。万事、逆になった。「間違いつづき」である。しかし、とにかく二人とも退院できたのだから、「末よければ総てよし」ということにしておこう。
——一九六四年七月 学鐙——