——日
昨日、大阪へ着きました。すぐに舞台稽古、今日はもう初日——スケジュールの忙しいことはいつもの通りです。
東京から持ってきた舞台でつかうネクタイが、どうも気に入らないので、今日は朝から町へ買物にでかけました。今度の芝居は大阪が初演なので、こういう所がはなはだ不便です。一体、衣裳やかつらや持道具は、いろいろ工夫をして準備しておいても、装置や照明のととのった舞台稽古にのぞんでみると、どうしても変更しなければならない場合が起ってくるものです。東京でならば、衣裳屋かつら屋との連絡もあり、知合いの誰彼の持物をあらかじめ予備として借りておくという手もあり、急ぎの変更にも事は欠かないのですが、旅先の悲しさには、その無理がきき兼ねるというわけです。初日前のこまごました買物は、むろん東京でもしないわけではありません。しかし、十分勝手を知らない町では、忙しい時間の中で是非とも必要なものを探しださなければならぬという心の緊張は、たちまち焦りと疲れとに追い抜かれてしまいます。僕はとうとうネクタイを買うことを諦め、K君のふだんのネクタイを借りて間に合わせることにしました。
旅とはいっても、大阪や名古屋での公演は、興行日数が少なくなるだけで、東京とあまり変りはありません。自宅が宿屋にかわるだけです。一日ごとに町から町へと移ってゆく中小都市公演にくらべれば、身体はずっと楽ですが、それだけに生活の変化の乏しいことも事実です。重い行李をトラックに積みこんだり、未明に起きて始発の列車に乗込む苦労のない代りには、自然を愉しむ機会もなく、劇場の楽屋で化猫芝居の一行と同居するという愉快な体験もできません。東京でのように、毎日、休息所と仕事場との間を往復するだけです。劇場人の生活も、その中へ入ってしまえば、あらゆる生活のように、単調な、不気味な法則に支配されているようです。
——日
芝居はうまく行っています。
ソーントン・ワイルダーの一幕物の幕がおりると、観客席からの長い拍手が、この地下室の楽屋へも聞えてきます。何十年か前にアメリカで書かれた芝居が、今夜、大阪の観客の共感を喚んでいるのです。
もう一つの芝居——僕はそちらの方へ出ているのですが——七年前に夭折した日本の劇作家森本薫の作品も、同様に観客に支持されています。どちらかといえば初期に属する作品ですから、書かれたのは、これも十何年の昔になるはずです。
芝居にかぎらず、こういう種類の現象に僕等は馴れっこになっていて、滅多なことでは驚かなくなっていますが、考えてみれば、これはやはり驚くべきことではないでしょうか。
「二十の扉」で、交通に関係がありますかという質問が成り立つのは、それが動物・植物・鉱物の三つの「界」に分類することの可能な現象に限るからで、またそうでなかったら、このゲーム自体がそもそも成り立たなくなってしまいます。
ところが、精神の「界」にも交通があり、一つの精神が他の精神に次々に触れつつ、さまざまな抵抗や屈折を受けながら、しかも遠い距離と長い時間とを超えて現に生きているということは、驚くべきことではありませんか。
シェイクスピアやモリエールの芝居が、今夜、世界中の何処かで、何万人かの観客の共感のうちに、あらためてというより寧ろ、依然として生きているという事実は、不安な世界に生きている僕達に勇気を与えてくれる事実ではありませんか。
こうして見れば、僕達俳優は日々を旅に過しているようなものです。作家の魂を求める旅は俳優にとって、地上のどんな旅にもまして、不断の、冒険に満ちた旅に他ならないのですから。
——日
やっと芝居が終りました。皆は昨日の夜行で帰り、僕は三人の友人と一緒にラジオ・ドラマの為に残りました。夕方、その放送が終り、夜行へ乗る迄の三時間が、自由な時間になりました。旅の終りになって、はじめて、それこそ旅行者らしい気分になれたわけです。
ひとりでぶらぶら歩いていると、グレアム・グリーン原作の「第三の男」をやっている映画館があり、この映画の評判はかねてから聞いていましたし、戦後のウィーンを訪れた一外国作家の冒険談は、旅先で見るのにふさわしいとも思ったので、早速見ることにしました。
なるほど、噂にたがわず、面白い映画でした。演出や演技のうまいことは論外といってもいい位です。いつもはこけおどかしめいた演技をするので大きらいなオーソン・ウエルズまでがこの映画では淡々とした表現で役の人物をみごとに浮彫りにしていました。一番感心したのは憲兵少佐になるトレヴア・ハワードです。「逢びき」の主人公の時にも感心しましたが、今度はもっと立派です。割に演り所のない役を、あそこまで深く表現することは、容易なことではありますまい。
主人公が秋の並木道に佇んで、遠くから歩いてくる女を待っている、女はだんだん近づいてくる、そして遂に彼の前を通る、が彼には一瞥も与えず去ってゆく、その長い間カメラを据え放しにしたラスト・シーンの美しさは、いまでも眼底に灼きついているようです。
——一九五二年一二月 旅——