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平の将門39

时间: 2018-11-24    进入日语论坛
核心提示:帰 国 純友の、こんどの上洛は、何の為だったか、わからない。彼自身も、その事は、小次郎に、何も語らなかった。 まもなく、
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 帰 国
 
 
 純友の、こんどの上洛は、何の為だったか、わからない。彼自身も、その事は、小次郎に、何も語らなかった。
 まもなく、彼は、ふたたび、南海の任地へ、帰った。
「不死人の生死が分ったら、分り次第、便りをくれ……」
 それが、彼の残して行った頼みだった。
 しかし小次郎の聞き探りぐらいでは、刑部省の内秘は分るはずもない。
 彼は、一案を思いついた。ある日、手土産を調えて、唐突に、刑部省の獄司、犬養善嗣《いぬかいのよしつぐ》を、訪ねて行った。
「お見忘れで、ございましょうか……」と、小次郎は、耄碌《もうろく》しているようなその老典獄へ、土産を出しながらいった。
「もう、十年も前になります。私は、東国から上洛《の ぼ》って来たばかりで、八坂の辺で、賊に出あい、その夜、賊の召捕りと一しょに、私も、この獄舎に、一晩、置かれたことがありました。その時の、田舎出の小冠者ですが」
「え。……もう十年も前にとな? ……。ふウむ、して、何といわれるの、おん許の、姓名は」
「相馬の小次郎といい、小一条の大臣へあてた叔父平《たいらの》国香の書状を持っていた者です」
「おう……思い出した。あのときの、小冠者でおわすか。思い出せぬはずよ。余りな、お変りではある」
「その折は、獄舎の内でも、また小一条まで、お下役に、案内を命じて下さったり、ご親切を、忘れぬつもりでしたが、つい、ご無沙汰しておりました」
「いや、よう見えられたな。……そして、今も、左大臣家に、お仕えかの」
「近頃は、滝口の武者所に、仕えています。実は、きょうは、ちと、お伺いしたい儀があって、出向きましたが」
 小次郎は、ここで「八坂の不死人」の名をもち出した。——近頃、内裏の更衣殿を冒《おか》した賊があり、それは、不死人の仕業という者があるが、聞けば、不死人は、刑部省の獄で、とうに獄死したともいわれている。果たして、どっちが真で、どっちが嘘か。貴方なら御存知にちがいない。御内秘ではあろうが、そっと、もらしていただきたい——と、巧みに、かまをかけてみたのである。
「えっ、更衣殿へ、不死人らしい賊がはいったとな。もうそんな大胆を、働きおるか……」
 犬養善嗣は、眼をまるくして、自分からしゃべり出した。
「いや、たしかに、不死人の身は、左大臣家から差し廻され、いちどは、獄へ入ったが、二晩と、ここにいず、獄を破って逃げてしもうたわ。……そのため、わしも百日の慎みをうけ、つい四、五日前から出仕したばかりでな」
 髭《ひげ》の中から、口をあいて、笑ったが、急にまた、真顔に返って、
「——が、一切、内秘という事になっておるのに、おん許には、どこから聞いて参られたか。左大臣家から、何ぞ、いいつかってのお越しかの?」
 と、不審がった。
 足もとの明るいうちにと、小次郎は、いい紛《まぎ》らして、すぐ帰った。——そしてただちに伊予の純友へ、書状を送った。
 どうしたのか、純友からは、それきり何の便りもない。
 翌、延長八年は、世上に、いい事が、一つもなかった。
 前年の、近畿一帯の水害で、春から、都の両京は、路傍に、餓死者の空骸《なきがら》がみちた。
 小次郎始め、滝口の兵は、毎日、死骸片づけに、忙しかった。死骸捨ツベカラズ——の制札など、何のききめもなく、夜が明けると、あちこちに、また、捨ててあった。
 京職は、病人や飢餓の者を、洛外の施薬院《せやくいん》と悲田院《ひでんいん》に、収容したが、すぐ入れきれなくなり、さらに、関をこえて、地方の飢民まで、都にはいり込んでくる。
 もう、食物のある所は、寺院と、公卿と、禁裡《きんり》しかないと、いい騒がれた。
 その上、夏、疫痢の流行があり、清涼殿に落雷があって、大火を起した。
 人心、恟々《きようきよう》などというも、おろかである。暴動が起らないのは、暴動を起すほどな数がみな、飢え臥しているからで、元気な者は、群盗と化し、夜々の洛内を、荒し廻った。
 こういう世態のうちに、醍醐天皇は、崩御せられ、まだ八歳の朱雀帝が、皇位につかれた。——左大臣、藤原忠平を摂政として。
 改元して、承平元年。——春になっても、京師の群盗横行はやまなかった。
 その中に、不死人や、八坂の一味共が、ありやなしやも分らない。うわさに依れば、公卿朝臣の家人すら、それらの仲間にいるという。
 にも関わらず、小一条の大臣の館では、盛大な、摂政就任の祝いが、三日にわたって催され、それをしおに、諸家の権門でも、春の淡雪に、また、春日《しゆんじつ》の花に、巷をよそな管絃の音がもれはじめた。
「世の中が、分らなくなった。いちど、元の坂東平野へ帰って、弟たちの顔も見たり、父の遺産も整理して、郷土で終るか、なお都で生きるか、考えてから、人生を出直そう」
 滝口の小次郎は、今年になって、こう決心した。
 そこで、官を辞し、都門《ともん》を去って、十三年ぶりで、郷里下総の豊田郷へ、二十九歳で帰って来た。
 
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