将門の帰国が知れわたると、何となく、以前、身を寄せていた郎党や家人が、ぼつぼつ、豊田の館へ、もどって来た。
かれらは皆、大掾国香や、良兼、良正などの叔父組が、肚をあわせて、ここの田産や財物を、将門が在京中に、分け奪りしてしまった非道な事実を、知っている。
「あんな非人情な者を、主人とするのはいやだが、御子がお帰りになったと聞いたので、戻って来たのだ」
いい合わせたように、仲間同士で、語りあっている。
将門は、うれしかった。同時に、よしっ、と何か、力づよい、自信をもった。
むかし程にはゆかないが、市で、奴婢奴僕も購い、馬も買い、附近の耕作や、未開墾地へも、手をつけ出した。
が、人が殖えれば、すぐ食糧がいる。その稲すらも、稲倉にない。
「麦秋《むぎあき》だ。毛野川《けぬがわ》の河原畑は、もう真ッ黄色だ。刈入れして来い」
いいつけて、ここ、四、五日にわたり、刈るそばから、麦束の山を、豊田の館へ、運ばせていた。
その日、将門は、奴僕と一しょに、足場の上で、土倉の上塗りをやっていた。
夏ちかい薄日照りが、この地方特有な土の香を蒸している午ごろだった。物々しい人声に、将門が、ふと、足場の上から、柵門の外をのぞくと、毛野川へ刈込みにやった郎党や奴僕たちが、怪我人をかついで、後から後から入って来る。
「どうしたっ?」
将門の声を仰いで、郎党の一人が、
「やられました。——やられました」と、子が親へ、訴えるような、声を投げた。
「喧嘩か。あいては、どこの、たれだ」
「喧嘩はしません。いきなり、向うから、大勢して、討ってかかって来たのです。——麦は、たれに断わって刈入れるぞ。ここの河原畑は、どこの所領か、知っているかと」
「相手を訊いているのだ。相手を」
「筑波の郎党たちです」
「なに。良正の家来だと」
将門は、足場を降りて、
「どの辺だ。たれか、案内しろ」
と、血相をかえて走りかけた。
「兄上。およしなさいっ……」
三郎将頼や、ほかの小さい弟たちは、抱きついて、ひき止めた。
「毛野川の河原畑は、去年の暮、叔父御の召使が、胚子《た ね》付けしたのですから——もともとそれを刈入れるのは、こっちが、悪いのです。兄上は、御存知ないから」
「ばかっ、ばかっ。知らないのは、おまえ達だ。あの河原地はな、父上が生きていた頃、毎年毎年の出水を、やっと、堰止《せきど》めして、それこそ、十年がかりで、麦でも作れるような土地にしたのだ。——おれは、小さい頃、それを見て、覚えている。父上や家人や、たくさんな召使の、血と汗とで、土らしい物になった畑地なのだ。——それを、父の後継ぎのおれが刈入れるのに、何の、ふしぎがある」
将門は、弟たちの耳に聞かすには、必要以上の大声で、そうわめいた。どうしても、いちどは、天へむかって、わめきたがっていたような声だった。
「それっ、お館に、ついて行け。相手は、大勢だ」
奴僕も、郎党も、得物をもって、彼の駈け出したあとにつづいた。しかし、毛野川べりの、長い畑には、どこを眺めても、すでに、相手の影は、見えなかった。
ただ、そこに、制札が立っていた。見ると、こう書いてあった。
河原地、西南、二十七町、総テ、筑波水守ノ住、平良正《タイラノヨシマサ》ガ所領ノ一地タリ。盗ミ鎌ヲ入ルル者、見付ケ次第、訴人アルベキコト。
良正家人 景 久
「笑わすな。盗人の高札《こうさつ》とは」
将門は、それを、蹴仆《けたお》した。
なお、腹がいえないように、把《と》って、毛野川の流れに、投げ捨てた。
彼につづいて来た十数名の顔は、それを、小気味よしと見るよりも、何か、さっと、血の色をひいたように、口をつぐんだ。殊に、性格のおとなしい三郎将頼は、
「……ア」と、驚きの声すら放って、まっ蒼な顔をした。
「将頼っ」
「はい」
「案じるな。いつかはと、おれは、肚のうちで、いい出す時を待っていたのだ。——ちょうどいい。おれはこれから、叔父共へ、談《はな》しに行ってくる」
「な、なんの、お話しにですか」
「知れている。——叔父共が、おれから預かっている広大な土地を、おれに返してもらうのだ。こんな、猫の額《ひたい》みたいな、河原地などの掛合いではない」
「でも。……、ああ兄上。今となって、そう仰っしゃっても」
「だまって見ておれ。将門は、叔父共が、望みどおりに、都へ出て、少しは、育って帰って来た。いちど、石田の大叔父にも、ごあいさつを、したい事もある。かたがた、預けた物を、返してもらうだけの事だ。行って来る。……なに、一人でいい。数日は帰らなくても、心配するな」
歩き出してから、将門は、なお、憂い気な弟や郎党たちを、振りかえって、いいつけた。
「かまわぬから、つづいて、麦を刈れ、麦を館の土倉へ、どしどし運んでしまえ。なにも、他人《ひ と》の物じゃないぞ。天地も照覧あれ、将門は、おまえたちに、ケチな盗み鎌など唆《そそのか》すものか。おれと暮すなら、おれを信じろ」