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平の将門47

时间: 2018-11-24    进入日语论坛
核心提示:分 野 常陸、下総を両岸にして、武蔵へ流れる他の諸川《しよせん》と、上総の海へ吐かれてゆく利根川とに、この毛野川の末は、
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 分 野
 
 
 常陸、下総を両岸にして、武蔵へ流れる他の諸川《しよせん》と、上総の海へ吐かれてゆく利根川とに、この毛野川の末は、水口《みなくち》(今の水海道の辺)のあたりで結びあっている。
 この大水郷を繞《めぐ》って、結城《ゆうき》、新治《にいばり》、筑波、豊田、猿島《さしま》、相馬、信太《しのだ》、真壁《まかべ》の諸郡があり、その田領《でんりよう》の多くは——というよりは、ほとんどが、この地方の源平二氏の分野になっていた。一半は、将門の叔父たち——常陸の大掾国香、羽鳥《はとり》の上総《かずさの》介《すけ》良兼《よしかね》、水守の常陸六郎良正など、いわゆる平氏の族が持っていた。
 もちろん、その中には、都の摂関家《せつかんけ》領や、社寺の荘園や、国庁の直接管理している土地や、たれの領とも知れない未開地などが、複雑に、混み入ってはいるが、要するに、勢力範囲といえる形になっており——また、いうまでもなく、将門の亡父良持が、遺産として、将門以下の遺子たちのために、三叔父に托しておいた田領の面積が、少なからず加わっている。そして、それが、今ではそっくり、叔父三家の物となってしまい、所詮《しよせん》、黙っていたひにはいつまで、返してくれそうもない。
 分野の、もう一半はというと。
 これは、新治郡大串に住む源護に属する所領や管理地であった。その版図《はんと》は、さきにあげた諸郡のうちの四郡にわたり、武族としても、勢威、国内を圧するという一族である。
 一族はみな、嵯峨源氏のように、一家名をもっている。護の子、扶《たすく》、隆《たかし》、繁《しげる》など、それぞれ、領土を分けて、門戸をもち、総称して、この一門のことを“常陸《ひたち》源氏《げんじ》”といい囃している。
 将門の父良持の健在だった頃には、まさに、常陸源氏に応ずる“坂東平氏《ばんどうへいし》”の概《がい》を以て、両々、相ゆずらない対峙をもっていたものであったが、いつのまにか、良持亡きあとは、叔父三家とも、護の門に駒をつないで、常陸源氏の下に従属してしまった——おそらくは、そうして辛《から》くも、旧門旧領を、保ち得てきたものにちがいない。
 護は、肚のふとい、武力もあり、政略もゆたかな男にちがいなかった。常陸大掾なる官職は、実は、彼がもっていた役だが、自分は退《ひ》いて、平国香に代らせてしまった。また、自分の女子を、良正に嫁がせ、次のむすめも良兼の後妻に与え、さらに、末の姫まで、いまは都にいる国香の子、常平太貞盛の嫁にやっている。
 こうして、名利と、結婚政策の両面から、護は、平氏の三家を、手もなく、常陸源氏の族党に加えてしまい、そしていまや、この地方随一の豪族中の長老として、たれも、威権をくらべうる者もない。
 ——こんな、現状の中に、将門は、何も知らずに、帰っていたのだ。十三年も、都にいて、ただ、親ののこした広大な土だけはあると信じて帰って来たのである。ところが、残っていたのは、何もない豊田の古館《ふるやかた》と、去勢されたような弟たちだけだった。世の推移と頼みがたい人心を、都では、いやというほど見て来たが、彼はまだ、生れ故郷では——悠々として変化のない大自然にごま化されて——眼に見るほどには、痛感できなかった。どこかにまだ、郷土を信じたい気もちがあった。この美しい水や田野や山に朝夕染められて住む人間には、都人のような軽薄や悪さはないという信念が抜けなかった。——いくら狡《ずる》い叔父たちでも、これから行って、誠意を訴えれば、案外、はなしはわかるにちがいない。なお、欲は張っても、たとえ幾分でも、返してくれないという話はない。——どうしても、そう思いたかった。
 しかし、どうしても、返さなかったら、どうするか。
 将門は、もちろん、この場合も、途々、ずいぶん考えた。が、すぐ命をかけても、というような結末の怒りが血に沸《たぎ》ってしまうだけで、事前に、その場合の考慮をもって臨むことは不可能だった。ただ、自分の性格の弱点が、もっとも、危険な羽目にぶつかるのだという反省は、充分にしていた。前もっての反省などが、役にたつ程ならば、なにも、弱点とはいえないし、将門が、怖れているのは、むしろ相手ではなく、自分であった。
「……おう。そうして、おいで遊ばすと、まこと、よう似ておいでなされますぞや。お亡くなり遊ばした良持様と。……血はあらそわれぬ。瓜二つじゃわ」
 武具作りの野霜の翁《おきな》は、客を上座にすえて、さっきから、見とれてばかりいる。見とれてはまた、一言一言、平伏してばかりいる。円座に坐って、将門は、あいさつのしようもなかった。余りに、ここの主も、家族も、自分を拝して、丁重にするからだった。都で、牛輦の輪を洗ったり、滝口へ勤めてからも、禁門で出会う衣冠の人には、いちいち頭ばかり下げていた癖がまだ抜けていない。まるで、これでは、自分があの忠平大臣になったような気もちがする。
 実のところ、腹がへっていてたまらないのだ。礼儀よりは、飯を食いたい。そして、先の夜道も急がれる。
「なあ、梨丸」
 将門は、きゅうくつそうに、横へ話しかけた。
「何でもいい。ざっと、粟でも稗《ひえ》でも、馳走になって、暇《いとま》しようじゃないか。——帰り途にでも、また、寄らせてもらうとして」
 
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