筑波山の西南のふもと、筑波平野と、毛野川の方へ向って、水守の庄、石田の庄、羽鳥の庄などが、二里おき、三里おきにある。
どれも皆、筑波を背にした麓の人里だ。
その日、将門は、まず水守の良正のやしきへ行ったが、叔父はいなかった。居留守をつかっている様子でもない。
しかし、家来たちの顔つきには、将門を見たとたんに、さっと、うごく色があり、
(来たな!)
といったような反撥が、あきらかに見られた。そして、将門が小冠者をひとり連れただけでやってきたことに、むしろ、気抜けを食ったほどな緊張ぶりが窺《うかが》われた。
「お留守だ。お館は、昨夜から御不在だ。何ぞ、御用か」
と、家人郎党は、幾人も、大きな櫓門《やぐらもん》から顔を出して、通しもせず、切り口上でいうだけだった。
おそらくは昨日、毛野川の河原畑で、わが家の奴僕や郎党を傷《いた》めつけたのは、この連中にちがいない。あとから、河原の麦畑へ、横領宣言みたいな高札を立てた家人景久《けにんかげひさ》とやらいう良正の家来もこの中にいるのかもしれない。しかし、将門は、こういう雑人共をあいてに喧嘩する気になれなかった。かれらの不遜な態度には、腹はたったが、笑い流して、ここは立ち去った。
道程からいえば、大掾国香《だいじようくにか》の居館、石田の里の方が、そこからは近い。しかし、あの大叔父こそは、いちばんの怪物であり、元兇であると、将門は観ている。すでに、都にいたときから、それは国香の子、常平太貞盛の行動でも読めていたし、また、上京の初めから、しまいまで、自分にたいする国香父子の態度は、腑に落ちない事だらけである。
「……後にしよう。さいごの対決として」
将門は、さきに、羽鳥の上総介良兼を訪うことにきめた。
この叔父も、食わせ者かもしれないが、一族の中では以前から、いちばん信仰家であった。仏法に帰依《きえ》ふかく、館の内にも、寺のような持仏堂を建てているともいう。そうした人ならば、いくらかの仏心はもち合せているだろう。いちばん、手強《てごわ》そうな大叔父へぶつかるよりは、まず、その信心家の叔父と話してみるのが、良策というものだ。将門は、なお、決して、冷静を欠いたり、分別を失ったりはしていないつもりである。
羽鳥の叔父の館は、山荘だった。麓からすこし山へ食い入った高所に構え、屈折した石段の山に、さながら大寺院のような門が、自然の老杉や松を美しく冠《かぶ》っていた。
馬は、麓で降り、梨丸も、下に待たせておいて、ただ一人で、門をはいった。大玄関を見まわしていると、横の家人小屋から、武士が出て来た。初めは、つまみ出しそうな権まくだったが、彼が、毅然として、小次郎将門だと告げると、さすがに気押《けお》された気味で、ことばも改めだした。
取次ぎに去ったまま、家人は、なかなか出て来ない。夕ぐれ近い陽が、針葉樹を虹のように透いて、もう裏の山ふかい所では、蜩《ひぐらし》が啼いていた。どこかに、ふと、水のせせらぎも聞え、将門は、喉の渇《かわ》きを覚え出した。
「遅いなあ。何をしているのだろう?」
取次にかくれた家人は、主が、いるともいわず、いないともいわなかった。ここにも、昨日の毛野川原の事が、聞えているものとみえる。とすると、ある覚悟はしていなければならない。叔父の館へ来て、危険を猜疑《さいぎ》する気もちに努めるのは、将門の性格には、骨の折れることだった。けれど野霜の武具師も、それとなく、注意を与えてくれていた。——何せい、あなたは、まだお若いでなあ、といかにも心もとないように、しげしげと自分を見てつぶやいたことだった。
「よし。何が、突然起っても、おれは決して、驚きはしないぞ。それ程なら、毛野川を渡って来はしない」
将門は、自分へむかって、そういっておく必要を覚えた。大股に、広前《ひろまえ》を斜めに歩き出していた。さらに、山庭へはいりこんだ。さっきから、喉の渇きが求めている水を——どこかに、岩清水の落ちている音を——探しに行ったものらしい。
きれいに、手のとどいている灌木や、岩苔や、松の巨木は、目につくが、水は、どこを通っているのか、見つからなかった。そのかわりに、彼は、思いがけないものを、ふと、彼方の木蔭に見出した。
先でも、いぶかるように、将門を見ていた。
「あ。……?」
将門は、理由なく、顔をあからめた。いま以て、彼は、美しい女性と感じると、理由の生じない前に、顔はもちろんだが、体じゅうに反射が起った。
彼が、うっかり立ち入ったところは、女の住居のある壺であったかも知れない。都の忠平左大臣の小一条の壺が思い出された。大臣が、そこに秘して可愛がっていた紫陽花の君によく似ていて、それよりはやや小づくりで年も若い女性が、じっと、なおまだ木蔭から、彼の姿を、見すましているのだった。