将門は捷《か》った。大いに捷った。
彼の部下は、声をからして、勝鬨《かちどき》をあげ、狂せんばかり、常陸の国土を、蹂躪し廻った。
「捷つには捷ったが、これはちとやり過ぎたな」
将門がそう気づいた時は、すでに狂兵の乱舞も終っていた後である。
たれが火を放ったのか、将門さえ知らないまに、常陸の国庁は、焼け落ちていた。そのほかの官衙官倉と、あとかたすらない。
敵の死屍は、累々と、辻にみだれ、町を舐めつくした炎は、遠い野を焼いて行き、土民の小屋や寺や森までが煙を吐いている。
「何という脆《もろ》さだ。これが強兵を誇っていた常陸勢ですぞ。いや、こちらの兵が強過ぎるのかも知れん」
「あははは、いうもおろかよ。今や、わが相馬殿の御威勢の前に、立ち得る敵があるものか」
将門の耳に、そんな声高な話が、ふと聞えて来た。
彼が、振り向いてみると、相馬軍の帷幕の将星として、自ら任じ合っている興世王や不死人や玄明などが、国庁の焼け跡に、早くも幕を張って、祝いの酒瓶をあけ、各意気軒昂《けんこう》と、杯をあげている。
将門もいまそこで、一杯、勝祝いを飲み干して来たところだが、余りに、荒涼たる戦火の焼野原に対して、何か、自分のした事ではないような気もちにつつまれながら、茫然と、独《ひと》りそれを眺めていたのである。
(……しまった。何も、これ程までに、やる事もなかったのに)
彼の心は、呟いていた。
淡《あわ》い悔いに似たものが、心の底からにじみ出してくる。
明らかな侵略行為だ、官衙や官倉の焼打ちは、官への叛乱である。乱賊といわれても弁解の余地はない……。
「殿。将平様の兵が、生捕った敵を、曳きつれて来ました。すぐ首を打って、領民の見える所に梟《か》けましょうか」
興世王が勢い込んで、彼の前に告げた。
「待て待て。——そう、やたらに、首ばかり斬りたがるな。どんな捕虜か、おれが見る」
将門は、幕《とばり》の内へ戻った。
二人の縄付の敵が、悄然と、地上にうなだれていた。
将門は、弟の将頼や将平や、また不死人、玄明などの幕僚をふり顧《かえ》って、
「この敵は、誰だ。——敵の何者だ」
と、たずねた。
「ひとりは、都の使者、藤原定遠です。そして、もう一名は、常陸介維茂にございまする」
と、誰かが答えた。
すると、将門は、急にいやな顔をして、まるで唾を吐くようにいった。
「なんだ! 為憲でもなければ、貞盛でもないのか。おれが、斬らんと欲しているのは、第一に右馬允貞盛、次に、為憲なのだ。こんな者に、用はない。縄を解いて、追ッ払え」
「えっ。免《ゆる》すのですか」
「貞盛こそは、八ツ裂きにしてもあき足らぬが、都の巡察使や、維茂ごとき老いぼれを斬ったところで、何になろう」
将門は、いよいよ憂鬱な顔をした。そして、
「豊田へ帰ろう」
と、俄に、引揚げの命を出した。
このとき、退軍のさいにも、不死人の手下や、興世王の部下は、さんざんに常陸領を掠奪して行った。掠奪隊の指揮には、いつも玄明があたっていた。
将門は、そういう末端の行動には気もつかずに、豊田へ帰った。領下の民衆は、彼を凱旋の将軍として迎えた。下総四郡は、万歳の声で沸き返り、門には、祝賀の車馬が、毎日、市をなす有様だった。
帰来、将門は飲んでばかりいた。
彼のそばには、いつも草笛を始め、江口の妓《おんな》だの、妻とも妾ともわからない女たちが、幾人となく侍《はべ》っていた。
そうした乱酔の日が続くうちに、十二月となった。しかもまだ、毎日の酒はつづき、門には、媚《こ》びと諂《へつら》い客が絶えず、興世王や玄明は、彼を称えて、
「相馬の大殿」
と、呼び奉っていたりした。
醒めれば、沈湎《ちんめん》と暗くなり、酔えば、眼《まなこ》に妖気をふくんで、底も知れない泥酔に陥ちて寝てしまう。——女たちが、体に触れると、
「うるさい」と、罵《ののし》り、そして時々、
「……桔梗よ。……桔梗は……桔梗はいないか」
と、まなじりを濡らして呼んだりするのであった。
そうした師走《しわす》のある日。
例のごとく、大ざかもりとなって、将門がそろそろ爛《らん》たる酔いを眸に燃やしかけたときである。
「何と、わが大殿は、情にもろく、そして、女子のように、お気が小さい事よ」
と、興世王が、やや意識的に、将門へ戯《たわむ》れた。
将門は、果たして、かっと怒った。
「おい、興世。どうして、おれが女みたいに、気が小さいというか」
「でも、いつまでも、桔梗さまの愚痴を仰っしゃいますから」
「笑え。笑わば笑え。おれは、忘れ難いのだ。……愛しい桔梗を。……そればかりか、あのような酷い目に遭わせて死なせたと思うと、泣かずにいられない」
「天下には、桔梗さまにも勝る美女は、星のごとくおりますものを」
「天上の星を何かせん。……おれはただ一輪の桔梗が恋しい。だが、踏みにじられてしまった」
「敢ない事でございます。けれど、死んだお方が甦るはずもありません。お心をふるい直して、どうか、桔梗さまに勝るお方を、天下の野辺におさがし下さい」
「それほどな女性《によしよう》が世にいようか」
「あははは。おりますとも」
それは、満座の笑い声だった。将門は、はっと、われに返ったような顔をした。まが悪そうに、大杯で顔を隠した。
「——大殿」と、興世は、膝をすすめた。同時に、不死人や玄明も、左右から、つめよるように、将門に迫った。
「なお、申し上げたい儀があります」
「なんだ」
「すでに、わがお館の兵は、国庁を焼き、官倉を破り、多くの官人を撃ちました」
「たれが、あのような、乱暴をやれと、命じたか」
「騎虎の勢いというものです。誰の命でもありません。……が、すでに、常陸を侵した以上、一国を奪るも、乱賊の汚名をうけ、八州を討つも、公辺の問責をうくることは、同じものです」
「だから、どうだというのだ」
「このままでは、やがて、中央から必然に下るであろう問罪の軍を、神妙に待っているようなものではございませんか」
「おれに縄を打つなら、打たれて、都へ曳かれて行こう。そして、太政官の諸公卿の前で、ふたたび、自分のやましくない肚をぶちまけて見せるまでの事よ」
「滅相もない!」
三人は、異口同音に、反対した。