——つなぎ烽火《のろし》の警報に、寝耳に水の愕《おどろ》きをうけて、国中、わけても、府館の中心地甲府は、上を下へと、混乱を極めていたその夜——十五日の夜半だった。
二騎、三騎、また七、八騎。
辻を曲がり、また辻を曲がり、おそろしい勢いで、龍王道《りゆうおうみち》の木戸へ向って、疾走して行った士たちがある。
平常なら、何事かと、すぐ人々の注目をうけるところだが、この宵からの騒動中である。——あれも出陣の一組か。或いは、各地の味方へ、参陣の催促に行く早打ちかと、誰あって、怪しむものはなかった。いや、怪しんでいる遑《いとま》もない空気だった。
「退《ど》け退けっ」
「木戸の扉を払え」
「木戸側《わき》を退《の》いておれっ」
まるで、敵の中へ、斬りこんで行くような喚《わめ》きだった。いわゆる武者声というものである。夜ながら、白い砂けむりを立てて約十騎、一団になって、街道口の木戸へ、ぶつかって来たのだった。
ここは、町の関門だ。滅多に通すべきではない。だが、真っ先の一騎が、
「火急の際、無断、まかり通る」
と、いきなり馬の背から降りて、そこの閂《かんぬき》を勝手に外し、さっと押開いて、
「それ行け」
と、すぐまた鞍の上に跳びつくやいな、まるで弾丸のように駆け抜けて行った。
もちろん、番の将士は、
「待てっ」と、ささえ、
「何者だっ」
と、咎《とが》めることも怠りはしなかった。
しかし、次々と、関門を駆け抜けてゆく騎馬の士は、
「君命だっ、君命の急用だ」
と、呶鳴って行ったり、
「初鹿野伝右衛門の家来」
と、大声《たいせい》で名乗ったり、また、
「詳しくは、帰りに、お届けに及ばん」
などといって行くので、時しも今夜という非常時なので、番の将士も、無下《むげ》なこともやりかねて、
「——では何ぞ、お館の御命をおびて、初鹿野殿の御家臣が、急用にでも向うのか」
と、ついその後の闇に仄白《ほのじろ》く曳いている馬けむりを見送っていた。
ところが、またふたたび、同じような馬蹄の音が、町の方から聞えて来た、簇々《ぞくぞく》とかたまり合って駆けて来る具足のひびきも耳を搏《う》つ。忽ち、眼に見えたのは閃々《せんせん》たる長柄の刃、素太刀、槍の白い穂さき、それから弓、鉄砲なども入り交じった百人ほどの軍隊だった。
「木戸の者、木戸の者っ。たったいま敵国の使臣斎藤下野、黒川大隅《おおすみ》、その余の者が、御城下の使館から逃亡いたした。——よもや通しはいたすまいな。これへ来たら、縛《から》め捕《と》るのだ。汝らも物の具とって、ここを固めい」
と、先頭の一部将は、そこへ来ると、急に手綱を締められて苦しげに足掻《あが》き狂う駒をなだめながら番所のうちへ呶鳴った。