川中島という名は古い。もちろん永禄以前からのものである。
犀川、千曲川の二つの縦横な奔流に囲まれて、善光寺平の一部に三角形のひろい干潟《ひがた》ができた。そこを「川中島」とも「八幡原」ともいうと古事記にはあるが、土着の人はもっと広義にとって、あの辺、更級《さらしな》、埴科《はにしな》、水内《みのち》、高井にわたっての一面な河原地や平野をすべて——川中島四郡と呼び慣《なら》わしている。
「……どちらを向いても、同じような秋草の原、同じような川」
どこから来たのか。
ここにぽつねんと行き暮れたように立った旅の女は、西を見東を見、
「どう向いて行ったら?」
と、考えているふうだった。
漆《うるし》で塗りかためた市女笠《いちめがさ》を被《かぶ》っている。物売りとも見えないが背に一包みの物を負い、裾は短かにくくりあげ、草鞋《わらじ》をうがち杖を持ちなど、なかなか凜々《りり》しい恰好《かつこう》である。——いい忘れたが年ばえはまだ二十歳《は た ち》に届いていまい。肌目《き め》のよい白い肌は雪国の処女をすぐ想わせる。そうだ、その風俗といい、目鼻だちも、越後の女に特有な美があった。
——と、鎌の音がどこやらで聞えた。さくさくと草を薙《な》ぐ快い音である。彼女のまるっこい眼は急にそれへ動いた。
彼方の秋草のなかに、数頭の裸馬の背が見える。刈草を束《つか》ねて馬の背に積み終った者は、それを曳いて遠ざかって行く。——が、後にもなお一隊の草刈が、鎌をそろえて、河原の方へ刈り進んで来た。
「もし、甲州路へ出るには、どう行ったらようございましょうか」
不意に、女の声で、こう訊かれたので、草刈たちは驚いたように腰を上げた。これはみな近村の農夫らしいが、徴発《ちようはつ》をうけて、馬糧を刈ったり、道を拓《ひら》いたり、運輸の手伝いなどしているいわゆる軍夫たちであった。
「ほ。甲州路へだって。……だが、お前さんは一体、どっちから来なすったえ?」
あべこべに問われると、娘は急に眼をさまよわせて、犀、千曲、何《いず》れとも分らぬ川の流れを見まわしていたが、
「あっちから」
と、善光寺の御堂があるという遥かな丘陵を指さした。
「じゃあ、北国街道を、北のほうから来なっしったか」
「——え、え」
と、うなずく。けれどそれも至って曖昧《あいまい》な顔つきに見える。
軍夫たちは、叱るように教えた。——知ってか、知らずに来たか、この辺一帯は、二、三日前から戦場になっている。それ故、この通り昼間でも見はるかす限りの土地には、鍬取る人影もなく、旅人のすがたも見られない。稀《たまたま》野をよぎるものがあれば、それは鳥影ぐらいなもの……。
「それを、女子《おなご》の身ひとりで、こんな所、うろうろしているということがあるものか。はやく彼《あ》っちゃい行きなされ。これから——そうよなあ——まあこの川べりに添うて、南へ南へと行かしゃれ、やがて宿場の屋根が見えよう。そしたらそこで甲州のどこへ行くとなと詳《くわ》しく道を問うたがいい。くれぐれも日の暮れないうちに急ぎなされよ」
これだけのことを、口々に告げ終ると、幾つもの鎌の手は、また草の根へ屈みこんで、予定の馬糧を刈り取ることに向って、その男たちも急ぎ初めた。
すると。——どこからとも分らないが、多分は、対岸からであろう。ド、ド、ド、ドン、と続けさまに五、六発の銃音《つつおと》がした。
軍夫たちは、一斉に、わっと喚き合って、草の中へ俯《つ》っ伏《ぷ》した。——間を措《お》いて、また十発ばかり弾が飛んで来た。最後の二、三発は、おそろしく標準が的確で、草の中にもぐっていた一人が脚を撃たれた。
「立つな。声を出すでねえぞ」
「…………」
非常な辛抱をし続けて、なお皆、じっと寝ていた。それきり銃音はしなかった。その上に白い夕靄《ゆうもや》が下りて来たので……。
それからだった。そッと首を擡《もた》げ合って、
「逃げろっ」
とばかり、傷《て》を負った仲間のひとりだけを引っ担いで駆け出したのは。——ところが、皆の起ち上がった十間ばかり先に、もう一名、弾に中《あた》って斃れているものがあった。何という不幸か、それはこの草刈たちに道をたずねて歩み出していたばかりのあの市女笠《いちめがさ》の越後娘だった。