謙信は佇立《ちよりつ》していた。
陣場平《じんばだいら》——そこの本陣の位置から更に一だん小高いところの山鼻の端《はし》まで登って、凝然といつまでも立っていた。
近側の諸将や、旗本たちは、
「や。何事が起って?」
と、附近の幕囲《かこい》、小屋の内から、わらわらと彼のすがたを追って来て、そして遠くにうずくまり合っていた。
「…………」
ここから見る千曲、犀川の上流、約一里弱の彼方に海津の城はある。山また山の遠くから、ここ妻女山の裾まで一帯につづいている広い盆地の平野もことごとく一望のうちにあった。
「……?」
謙信のひとみは、彼方の海津城の一点にむすばれている。いつまでもその凝視をつづけていた。
けれど宵は暗い、おまけに雨雲空。
その雲間から一瞬の月が映《さ》し、また一瞬に暗雲が閉ざした。明滅定まりなく、天地は絶えず暗くなったり明るくなったりしていた。
「駿河はおるか。宇佐美はおるや」
「おりまする」
「直江、甘糟もこれへ来てみい」
謙信はうしろへ向ってさしまねいた。
宇佐美駿河守、直江大和守、甘糟近江守の三人が、つと側へ寄って、謙信の面を仰いだ。——謙信の眼はなお遠くへそそがれたまま足もとに寄った誰をも見ようとはしなかった。
「殿っ。……何か、敵の海津にこよい異変でもお認めになりましてか」
「あれ、見よ——」
白々と、そのとき、月は謙信の面から全山河を照らし出した。指さす謙信の手まで白かった。
「最前から今もなお、海津に煙が立ち昇っている。常の夕炊《ゆうかし》ぎなら時刻はもうちっと早いはずじゃ。それにいよいよ旺《さかん》にたちこめるは、日頃の炊煙にしては夥《おびただ》しすぎる。——思うに、明日明後日までの兵糧までととのえているとみゆる。必定《ひつじよう》はこよいのうちに海津の大軍、城を出てわれに戦いを仕掛くる意志と見えた。——うれしや、よろこばしや、時は来たぞ」
そういい結んで、更に一語、
「こちらも、支度だ」
ニコと、真実、よろこばしげにいった。
無策はやはり単なる無策ではなかった。この機を待ち澄ます呼息《い き》だった。鼓を打つにも「間」は計る、あらゆる芸能にも「間」は必要という。兵法の妙機も「間」にあった。
「防備は、いつなと、抜かりなくついております。敵来たらば、願うてもない倖せ、一段、二段の柵まで踏ませず、ただみなごろしを加えてくるるばかりです」
宇佐美も甘糟も、忽ち、防禦防戦とのみこんだものらしい。謙信がいった——支度を——という意味をである。
で、言下にこう答えると、謙信は、否とかぶりを振って、幾分、笑いをふくみながらいった。
「ここは仮の足場、ただ彼の変を待つための足溜りに過ぎない。彼すでに変をあらわす、謙信にも自ら取る位置がある。防禦防戦、総じて、受身はとらず。謙信が望みは春日山を発してから寸毫《すんごう》も違えていない。すなわち飽くまで攻勢に——踏み込み、踏み込み、信玄の陣中へ謙信の陣を持ち入るにある」
そして、矢立《やたて》を求め、筆を把《と》って直ちに、出動の準備と心得方とを、数箇条に書いて、
「すぐこれを各部将の手勢へ布令《ふれ》るように」
二、三将の手にゆだねた。