典厩信繁、その日の装《よそお》いは、卯《う》の花おどしの鎧に、鍬形《くわがた》のかぶとを猪首《いくび》に着なし、長槍を小脇に、甲斐黒の逸足にまたがっていた。兜を後にかけて、血しおどめの鉢巻に乱髪《みだれがみ》をなであげ、健気《けなげ》にもみずから陣頭に立っていたが、何思ったか、
「源之丞、源之丞」
と、駒側の家士、春日源之丞をさしまねいて、背に纏《まと》っていた紫紺地の母衣《ほろ》を引き《むし》り、
「これは、父信虎様のおかたみであった。お筆蹟もある母衣、敵に奪られては、後々まで御名の汚れになる。そちにこれを預けおく程に、わが子信豊に渡してくれよ」
と、投げやった。
源之丞は、あわてて拾い取ったが、
「わたくしにこれをお預けの上、若君へ渡せとのおさしずは生きて甲府へ帰れとのおいいつけですか。憚《はばか》りながら、余人にお命じ下さい。きょうのこの場は、一歩も退けません」
と、喚くが如く、泣くが如く、馬上の主人へいい返した。
典厩は、わざと怒って、
「わしの目鑑《めがね》でいいつけたものを、余人に命じるほどならそちにはいわん。疾《と》く、甲府へもどれ」
いい捨てるが早いか、そのすがたは、乱軍の中に駈け入っていた。
越後武者の野尻弥助、関川十太夫、柏《かしわ》蔵人、熊坂大伍などの輩《ともがら》が、
「あれぞ、典厩」
「信玄の弟」
と見るや、他の相手をすてて、
「われこそ」
と、突いてかかり、
「そのお首、賜わらんには、武門のほまれ、相討して果てるも満足」
と、立ち塞《ふさ》がり、また追いかけ、飽くまでねばり強く、つき纏《まと》った。
典厩は、槍を取られた。すぐ陣刀をぬいて、熊坂大伍を斬った。
関川十太夫が、
「お見事なり。さあれ、我には」
と、斜に、槍をのばした。その槍は、典厩が思わず、顔のまえで掴んだ為、
「おうほっ」と、力まかせに引かれて、駒の首を越えて、前へもんどり落ちた。野尻、柏などが、争って、首を掻《か》こうとするとき、典厩部下十数名が、一かたまりに殺到し、乱刃乱走の下《もと》に、典厩のからだは見失われてしまった。
「逃げたっ」
見つけたとき、典厩は、千曲川のすぐそばまで、馬を打って退いていた。——届かぬと見たので、越後兵の一人が、鉄砲を放った。典厩は、川の中へ、しぶきを揚げて落ちた。
ざぶざぶと、白波を蹴って、川のなかへ、越後兵が大勢駈けて行った。典厩の首を挙げんためであった。
典厩のからだは、浮きつ沈みつ、流れてゆく。宇佐美駿河守の家臣梅津宗三というものがついに、死骸を抱きとめた。そして忽ち、川を真っ赤にした。首のみを掻き切って、小脇にかかえこみ、再びざぶざぶと川から上がって来たのである。
——が、一歩、水から岸へあがるせつなに、典厩の家の子樋口三郎兵衛、横田主水などが、
「やわか、御首を」
と、斬りつけた。
梅津宗三は、ひとりを横薙《よこな》ぎに太刀で払い、また一人をあざやかに仆して、味方の方へ、何か大声でわめきながら駈けていった。おそらくは、
「信玄公の御舎弟、左馬介典厩信繁どののおん首、宇佐美駿河守の家来梅津宗三が打ったりっ」
と呶鳴ったのであろうが、喘《あえ》ぎと、昂奮と、異様な音響の中なので、何を叫んでいるのかよく聞きとれなかった。
それを、上杉方の中までも、深く尾《つ》けて行って、うしろから不意に、梅津宗三をけさがけに斬って伏せた一兵がある。すぐ彼の手から主人典厩の首を引っ奪《た》くるやいな、顔中を涙にぬらして、武田方の陣地へと駈けこんで行った。戦後になって分ったことであるが、その兵は、典厩が日頃から目をかけてやってはいたが、至って身分のひくい山寺妙之助という小姓の下に使われている若者であった。