[書き下し文]子、南容を謂わく(のたまわく)、邦(くに)に道あれば廃て(すて)られず、邦に道なきときも刑戮に免るべしと。その兄の子(こ)を以てこれに妻(めあわ)す。
[口語訳]先生は南容を評して言われた。『国家に正しい政治が行われている時にはきっと用いられ、正しい政治が行われていない時にも刑罰を科されることはないだろう。』そして、自分の兄の娘を南容の嫁にした。
[解説]氏は南宮、名はトウ、字は子容といい、略して南容と呼ばれていた人物を、孔子は自分の兄の娘の夫とした。南容は、魯の有力貴族であった三家老の一つ孟孫氏の令息であり、身柄のしっかりした人物だったので、孔子は自分の兄の娘の婿にしても問題ないと判断したようである。自分の娘の婿として公冶長を迎えたように、孔子は自分の娘の婿の場合には家柄や身分にこだわらなかった。しかし、兄の娘の婿を推薦する場合には「正義のある国で重臣となり、正義のない国でも刑罰を科されない」ような無難な人物である南容を選んだのであった。