[書き下し文]子曰く、命を為る(つくる)や、卑甚(ひじん)これを草創し、世叔(せいしゅく)これを討論し、行人(こうじん)の子羽(しう)これを脩飾(しゅうしょく)し、東里(とうり)の子産(しさん)これを潤色(じゅんしょく)す。
[口語訳]先生が言われた。『鄭(てい)の国の外交文書は、卑甚が草稿を書いて、世叔がこれを検討し、外務担当の子羽がこれを添削(文章の削減と修飾)し、東里に住む子産がこの原文を豊かな表現を持つ文章へと潤色したのである。』
[解説]中原の先進国として栄えていた鄭国の外交文書の作成過程について孔子が述べた部分であり、孔子は名宰相として知られていた子産を深く尊敬していたという。外交文書の作成を文才に優れた一人の人物に任せっぱなしにするのではなく、複数の人間の手を介することによって二重三重のエラーチェックをすることができ、最後の最後で、名文家でもあった子産が洗練された外交文章の表現・技巧・内容を整えたのである。