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虎とら

时间: 2023-10-08    进入日语论坛
核心提示:虎(とら) 人とけだものの格闘であった。無気味な咆哮(ほうこう)と意味をなさぬわめき声が入れまじり、三つのからだが巴(ともえ)
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(とら)


 人とけだものの格闘であった。無気味な咆哮(ほうこう)と意味をなさぬわめき声が入れまじり、三つのからだが(ともえ)に乱れて、床板の上をころげまわった。
 二人と一人ではあったけれど、人間はけだものの敵ではなかった。いつの間にか、恩田の鋭い(つめ)が若者たちの(くび)を掴んでいた。
「どこだ、どこだ」
「あ、あすこだ。あすこに掴み合っている」
 ドカドカと、大勢の足音が近づいてきた。奈落に降りていた若者たちが、さいぜんの叫び声を聞いて()けつけたのだ。
 いかな猛獣とて、七人もの若者を向こうに(まわ)して戦う力はない。危ないと見て取った恩田は、(から)みついていた二人の手をつき放して、パッと飛びのくと、いきなり道具置場の中へ逃げこみ、そこに立てかけてあった書き割の表面を、パリパリと駈け上がって、たちまち天井の(やみ)の中に姿を消してしまった。
「逃げたぞ、出入口を用心しろ」
「誰か警察へ電話をかけろ」
 一人が電話室へ走って行く、残る人々は梯子(はしご)を持ち出して、幾枚も重ねて立てかけてある書き割の頂上へ登っていったが、どこへ隠れてしまったのか、もうそこには物の影もなかった。またしても、舞台裏のさがしものがはじまった。道具類のあいだを、右往左往する人々、直立の鉄梯子を登って行って、天井から下界を物色するもの。奇怪な豹狩(ひょうが)りは、いつ果つべしとも見えなかった。
「おい、みんなどこかへいなくなったじゃねえか」
 さいぜんの(とび)の者と若い道具方の二人が、元の場所に取り残されていた。
「ウン、この広い小屋の中を、これっぽっちの人数じゃ無理だよ。もう止そうぜ。あとはお巡りさんにお任せしちまおう」
「そうだな、じゃあ、おれたちは蘭子を向こうの部屋へ連れてってやろうじゃねえか。可哀(かわい)そうに、気絶して、板の間にころがったまんまだぜ」
「ああ、それがよかろう」
 彼らは書き割のあいだを取って返して、グッタリとなった蘭子のからだを、両方から抱きかかえ、道具置場を出ようとした。
「おや、変なものが落ちているな。いったい誰がこんなところへ、持って来やがったんだろう」
 道具方の若者が、足元の藪畳(やぶだたみ)の下敷きになっている、一匹の大きな(とら)の縫いぐるみを発見してつぶやいた。
「こいつあ、一幕目に着て出るやつだね、縫いぐるみっていうんだろう。いつもここいらにおっぽり出してあるんじゃねえか」
 (とび)の者が答えた。
「いや、そうじゃねえ。これは衣裳部屋にしまってあるんだからね。こんなところへ来ているのはおかしいよ」
「今夜の騒ぎで、誰かがウッカリ持ち出したんじゃないかい」
「ウン、そんなことかもしれない」
 二人はなにげなくそこを通り越して、楽屋口への暗い廊下を、エッチラオッチラ歩いて行った。
 すると、実に奇妙なことが起こったのだ。藪畳がガサガサと鳴ったかと思うと、今までその下敷きになっていた、虎の縫いぐるみが、ムクムク動き出したではないか。
 無心の衣裳(いしょう)(ひと)りで動き出すはずはない。動くからには中に人間がはいっているのだ。その辺がひどく薄暗い上に、藪畳の下になっていたので、二人の者は、縫いぐるみに中身があろうなどとは思いも及ばなかったけれど、実はその中に何物かがはいっていたのに違いない。
 やがて、縫いぐるみの猛虎(もうこ)は、ムックリと起き上がると、遠ざかっていく二人のあとを追って、ノソノソと歩きはじめた。
 本物の毛皮を使った、贅沢(ぜいたく)な縫いぐるみ。それが四つん()いになって薄暗い廊下を歩いて行く姿は、生きた虎としか見えなかった。
 二人のものが元の日本間にはいって、その辺を取りかたづけ、蘭子の寝床を作っているあいだに、虎は部屋の前をソッと通りすぎて、俳優の下駄箱(げたばこ)の並んでいる(かげ)に、グニャリと身を横たえた。そうしていると、ちょっと見たのでは縫いぐるみとしか思えない。
 しばらくすると、楽屋口の大戸のそとに、大勢の靴音(くつおと)がして、何か言いながら、戸を(たた)きはじめた。それを聞きつけて、道具方の若者が、部屋を飛び出してきた。
「どなたですい? もしや警察のお方では……」
 大きな声で尋ねると、そとからは警視庁のものだという返事があった。若者は掛け金をはずして、ガラガラと大戸をひらいた。
「あいつが見つかったそうだね。どこにいるんだ。早く案内したまえ」
 十人あまりの警官が、ドッとなだれ込んできて、若者に(いそ)がしく尋ねた。
「まあ、どうかこちらへ」
 若者が先に立って、蘭子の寝ている部屋へ案内する。おまわりさんたちは、ドヤドヤとそのあとについて行った。
「おい、こんな所に(とら)がいるじゃないか。物騒だね」
 一人の警官が、下駄箱(げたばこ)の隅に長くなっている縫いぐるみを、眼ざとく見つけて冗談(じょうだん)を言った。
「おや、おや、またこんなところに落っこちていやあがる。変だなあ……なあにね、こりゃ舞台で使う縫いぐるみですよ。()いつきゃしませんよ」
 若者も冗談を返した。
 だが、その言葉が終るか終らないに、作りものの衣裳(いしょう)とばかり思っていたその虎が、ヒョイと四つ足で立ち上がったのである。
「ワア……」
 さすがのおまわりさんたちも、驚きの叫び声を立てないではいられなかった。彼らは廊下の隅に()(かたま)りになって立ちすくんでしまった。
「ハハハハハ、ざまあ見ろ」
 どこからか嘲笑(ちょうしょう)の声が聞こえてきた。
 そして、猛虎(もうこ)は一と飛びすると、まだあけたままになっている楽屋口のそとへ、疾風のように()け出して行った。
「あいつだ。あいつが縫いぐるみを盗み出して、途方もない変装を思いつきやがったんだ。早く、追い駈けてください。あいつが曲者(くせもの)です」
 道具方がわめいた。
 警官たちは、ソレッとばかり、戸口に殺到した。
 戸外には氷のような月光が(あふ)れていた。その月光の中の坦々(たんたん)たるアスファルト道を、一匹の猛虎(もうこ)が、まるで奇怪な(まぼろし)のように走っていた。
 警官たちはときの声を上げてそのあとを追った。だが、虎の逃げ足は恐ろしく早かった。みるみる追うものと追われるものの距離が隔たって行く。そして、月光の町を幾曲がり、いつしか追手(おって)は野獣の姿を見失ってしまった。
「おい、あれは、やっぱりほんとうの虎かもしれないぜ。人間が四つん()いになって、いったい、あんなに早く走れるものだろうか」
 警官たちは、不思議な夢をでも見たように、茫然(ぼうぜん)として月光の中に立ちつくしていた。

 

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