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妖虫の触手

时间: 2023-09-13    进入日语论坛
核心提示:妖虫の触手しょくしゅ丁度その頃、妖虫の餌食と狙われた相川珠子の家には、又別様の激情が起っていた。家庭教師の殿村夫人は、珠
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妖虫の触手しょくしゅ


丁度その頃、妖虫の餌食と狙われた相川珠子の家には、又別様の激情が起っていた。
家庭教師の殿村夫人は、珠子が床についていたし、頼みに思う守青年が、三笠探偵を訪ねて不在になるので、その夜は相川家に泊ることにして、珠子のベッドの側に腰かけて、震え戦く少女を慰める役目を引受けていたが、守が出かけて間もなく、その殿村夫人が、何か顔色を変えて、あわただしく主人操一氏の居間へ駈け込んで来た。
「旦那様、ちょっと、早くいらしって下さいまし、お嬢様のお部屋へ」
日頃作法正しい殿村夫人が、こんなに取乱しているのはただ事でない。
「どうしたのです。珠子がどうかしたのですか」
操一氏も色を変えて立上った。
「ごらん下さい。これです。ふと気がつくと、お嬢様のベッドの下に、こんな紙切れが落ちていました。いつの間に、どうして、あのお部屋へ入って来ましたのか、わたくし、もう怖くって、じっとしていられなかったものですから、お嬢さまにはないしょで、こちらへ駈けつけたのです」
その紙切れには、赤鉛筆で、幼児の自由画の様なものが一杯に書きなぐってあった。ちょっと見たのでは、何の絵だか分らない程下手な、赤い蠍の形だ。アア、今は珠子の寝室までも、妖虫の触手が伸びて来たのか。
こうしている間にも、珠子の上に危険が迫っているのだと思うと、跫音あしおとの高くなるのも構っていられなかった。二人は先を争う様にして珠子の寝室に急いだ。
行って見ると、珠子には別状なく、却って彼女の方で、父と家庭教師のただならぬ気色をあやしんだ程であったが、操一氏はそのまま落ちついている気にはなれなかった。
彼は娘の部屋を出ると、書生や女中を呼び集めて、家中うちじゅうの電燈をつけさせ、あるだけの提灯ちょうちんに火を入れて、縁側や、庭園の要所要所へかけ並べ、その間を、手分けをして巡廻させることにした。
だが、六人の召使が邸内の隅から隅を見廻っても、怪しい人影はどこにもなかった。しかも不思議はそればかりではなかった。ゾッとした事には、目に見えぬ怪物は、その厳重な監視の中をくぐって、まるで無人の境を行くが如く、座敷から座敷へと歩き廻っていたことが分って来た。
操一氏が居間に帰って見ると、机の上に投げ出してあった夕刊に、同じ赤い鉛筆でデカデカと大きな蠍が書きなぐってあった。
間もあらせず、女中部屋に、死にもの狂いの悲鳴が聞えたので、駈けつけると、その四畳半の入口の障子に、やっぱり醜い赤蠍の絵が張りつけてあった。
一方では一人の書生が、庭園の樹の枝にかけてある提灯の上を、不気味な守宮やもりの様にっている、本物の蠍の死骸を発見して震え上った。
悪魔は面白がっているのだ。腕白わんぱく小僧の様にずば抜けたいたずらをして、どこかしら見えぬ場所から、手を叩いて笑っているのだ。
操一氏は、もう家中が殺人鬼で一杯になっている様な感じで、すべを知らなかった。珠子も、敏感にそれと気づくと、殿村夫人の制止も聞かず、ベッドを降りてウロウロと、部屋から部屋をさまよった。逃げても隠れても、怪物が身近に寄り添っている様で、広い邸内に彼女の落ちつく場所がなかった。
丁度その騒ぎの最中に、玄関のベルが鳴って、一人の客が訪れた。取次に出た書生が、名刺を握って、何かしら勢込いきおいこんで主人の居間に入って来た。見ると、その名刺には、待兼まちかねた「三笠龍介」の名が大きく印刷してあった。
操一氏はみずから玄関へ走り出て、名探偵を歓迎した。
名探偵! これがあの名高い名探偵なのだろうか。そこに無作法に立ちはだかっていたのは、薄汚ない半白の頭髪と鬚髯しゅぜんに顔を埋め、ロイド眼鏡を光らせた、みすぼらしい背広姿の老人であった。だが、操一氏は咄嗟に守の言葉を思い出して、少しも疑念を抱かなかった。守はやせっぽちのお爺さんだと云っていたが、成程人物は見かけによらぬものだと感じたばかりであった。
彼は老探偵の手を取らんばかりにして、応接間にしょうじ入れ、姿なき犯人の奇怪の示威運動の次第を語った。
「家中のものが見張っている目の前で、いたずらをして行くのです。しかも、曲者は煙の様に全く姿を現わさないのです。とらえようにも防ごうにも、まるで方法がないではありませんか」
「ウム、狂人か、でなければ、天才的犯罪者ですわい。犯罪を予告するなんて真似は、並々の者に出来る芸当ではありません。併し、お話では、事態は可成かなり切迫している様ですな。この際は、犯人を探し出すよりも、先ずお嬢さんを守ることが第一でしょうて。お嬢さんに会わせて下さらんか。わしが一刻も離れず側につき添っていたら、先ず大丈夫です。又、そうしていれば、態々探し廻るまでもなく、犯人の方から近づいて来ますよ。わしの張っておる網の中へ、先方から飛び込んで来ますよ」
三笠氏は慣れ切った調子で、事もなげに云った。
言葉に従って、操一氏が珠子を呼ぶと、青ざめた少女は殿村夫人に手を取られて入って来た。
「お嬢さん、オオ、大変おびえていらっしゃるな。ナニ、心配することはありませんよ。わしが守って上げる。わしがあんたの側についていれば、どんな悪人だって、手出しをさせはしませんよ」
三笠氏は、老人の優しさで、娘をいつくしむ様に、目を細くして珠子を眺め、彼女の白い手を取って、そのこうをペタペタと叩いて力づけた。
珠子は本当におびえ切っていた。怖さに気も狂い相であった。青ざめた顔に、目ばかりが、恐怖の為に、異様に輝きをまして、手の指は絶間たえまなく、何かを掴む様にもがいている有様は、心なく見る者には、ゾッとする程の美しさであった。悪魔がこの餌食のうちひしがれたなまめかしさを見たならば、どの様に狂喜したことであろう。
三笠老探偵は、眼鏡の奥の細めた目で、いつまでも美しい珠子を目守まもっている。目守りながら、なぜか、彼の鬚に隠れた唇が、ニッと三日月型に微笑しているかに感じられた。この真剣な場合に、彼は何を笑っているのだ。稀代の犯罪者にぶッつかった嬉しさにか、保護を託された娘の美しさにか、それとも、それとも……
「だが、御子息の守さんは、どうなすった。さい前一足先にわしの家を出られたのだが、一刻も早く吉報をもたらすのだとか云って」
やがて、三笠氏は、ふと気づいた様に、その辺を見廻しながら訊ねた。
それを聞くと、操一氏の方でびっくりしてしまった。蠍騒ぎの昂奮から、つい守のことを訊ねるのがあと廻しになっていたが、守は三笠探偵と一緒の車で帰ったものとばかり思い込んでいたのに。
「イイエ、守はまだ帰りません。本当にあなたより先に出たのですか」
「そうですよ。待たせてある車で帰ると云って、非常に急いでおられたのだが、ハテナ」
老探偵は、じっと操一氏を見つめて、不安らしく小首を傾けた。
「ほかに寄り道をする筈はないし、車に故障が起ったとしても、こんなに遅れることはない。おかしいですね」
「御主人、これはただ事ではありませんぞ。守君は、なかなかしっかりした敏捷びんしょうな方だ。それに犯罪に深い興味を持っておられる程だから、仮令どんな故障が起ろうとも、女子供ではあるまいし、今まで音沙汰おとさたがないというのは実に妙ですて。電話もかからないとすると。若しや……」
「若しや、どうだとおっしゃるのです」
「お気の毒ですが、犯人の手が伸びたと考える外ありません。一種の復讐ですね。犯罪の邪魔立てをする小癪こしゃくな奴という訳でしょうて。殊に守君は珠子さんの兄さんじゃからね。又、春川月子の場合、警察に告げ知らせたのも守君じゃ。犯人の復讐ですよ、これは」
老探偵は、復讐という言葉に、不自然に力をこめて、彼自身が当の犯人ででもある様に、意地悪く断言した。
操一氏は、事業の上では恐れを知らぬつわものであったけれど、二人の子供が二人とも、妖虫の毒手にかかるのかと思うと、流石にうろたえないではいられなかった。
直ちに警視庁に電話をかけさせ、自身電話口に立って、この新たに突発した変事を知らせ、守青年の保護を依頼した。
「警察からも人が来てくれる相です。あなたにも御協力を願って、何としても犯人を探し出さなければなりません」
操一氏が席に戻って報告すると、誇りの高い民間探偵は、少し不快らしい表情になって、「警察も警察じゃし、守君も守君じゃが、それよりも、第一番にしなければならぬ事は、珠子さんの保護です。守君まで誘拐されたとすると、事態は益々ますます切迫したと考えなければならん。今は珠子さんを、この家に置くのは危険千万じゃ。相川さん、何処どこか適当なかくをお持ちではないかな。御親戚でもよい。兎も角、この家は敵の目標になっている。犯人は邸の様子をすっかり心得ている様じゃ。いや、彼奴きゃつは邸内のどこかに潜伏していまいものでもない。ここは危い。早く珠子さんを連れ出さなければ」
操一氏は、家に置くのも恐ろしいけれど、又外へ出すのも不気味だがと、暫く躊躇していたが、そういう事には慣れ切った老探偵が再三勧める上に、殿村夫人まで、今にも犯人が襲いかかって来る様に怖がって、探偵の説に賛成するものだから、遂に、三笠氏と一緒に操一氏自身が附添って、珠子を一時郊外の親戚へ預けることに決心した。
だが、読者諸君は、この三笠龍介と自称する男が、何者だかという事を、そして又、珠子連出しを勧める彼の底意が、どんな恐ろしいものだかを、とっくに気づいていられるに違いない。
アア、本物の三笠龍介は、何をしているのだ。彼は果して暗闇の穴蔵を抜け出すことが出来たかしら。若し抜け出したとしても、この危急に間に合うのだろうか。偽探偵の怪物は、まんまと相川操一氏をだましおおせて、今にも珠子を連れ出そうとしているではないか。妖虫は今や、その尻尾を醜くまげて、餌物に飛びかかろうとしているではないか。
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