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阴兽(十)

时间: 2022-04-10    进入日语论坛
核心提示:十 糸崎検事に提出する為に、右の意見書を書き上げたのは、それにある日附によると、四月二十八日であったが、私はまずこの意見
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 糸崎検事に提出する為に、右の意見書を書き上げたのは、それにある日附によると、四月二十八日であったが、私はまずこの意見書を静子に見せて、最早や大江春泥の幻影におびえる必要のないことを知らせ、安心させてやろうと、書上げた翌日小山田家を訪ねたのである。私は六郎氏を(うたぐ)ってからも二度も静子を訪ねて、家宅捜索みたいなことをやっていながら、実はまだ彼女には何も知らせてはなかったのだ。
 当時静子の身辺には、六郎氏の遺産処分につき、毎日の様に親族の者が寄り集って、色々面倒な問題が起っているらしかったが、殆ど孤立状態の静子は、余計私をたよりにして、私が訪問すれば、大騒ぎをして歓迎してくれるのだった。私は例によって、静子の居間に通されると、甚だ唐突に、
「静子さん。もう心配はなくなりましたよ。大江春泥なんて、初めからいなかったのです」
 と云い出して、静子を驚かせた。無論彼女には何のことだか意味が分らぬのだ。そこで、私は、私が探偵小説を書上げた時いつもそれを友達に読みきかせるのと同じ心持で、持参した意見書の草稿を、静子の為に朗読したのである。というのは一つには静子に事の仔細を知らせて安心させる為、又一つにはこれに対する彼女の意見も聞き、私自身でも草稿の不備な点を見つけ、充分訂正を施したいからであった。
 六郎氏の惨虐色情を説明した箇所は、甚だ残酷であった。静子は顔赤らめて、消えも()りたい風情を見せた。手袋の箇所では、彼女は「私も、確かにもう一揃あったのに、変だ変だと思っていました」と口を入れた。六郎氏の過失死の所では、彼女は非常に驚いて、真青になり、口も利けない様子であった。だが、すっかり読んでしまうと、彼女は暫くは「マア」と云ったきり、ぼんやりしていたが、やがて、その顔にほのかな安堵(あんど)の色が浮んで来た。彼女は大江春泥の脅迫状が贋物(にせもの)であって、最早や彼女の身に危険がなくなったと知って、ほっと安心したものに相違ない。私の手前勝手な邪推を許すならば、彼女は又、六郎氏の醜悪な自業自得を聞いて、私との不義の情交について抱いていた自責の念を、いくらか軽くすることが出来たに相違ない。「あの人がそんなひどいことをして私を苦しめていたのだもの、私だって……」という弁解の道がついたことを、彼女は喜んだに相違ない。
 丁度夕食(どき)だったので、気のせいか彼女はいそいそとして、洋酒などを出して、私をもてなして呉れた。私は私で、意見書を彼女が認めてくれたのが嬉しく、勧められるままに、思わず酒を(すご)した。酒に弱い私は、じき真赤になって、すると私はいつも却って憂欝(ゆううつ)になってしまうのだが、余り口も利かず、静子の顔ばかり眺めていた。静子は可なり(おも)やつれをしていたけれど、その青白さは彼女の生地であったし、身体全体にしなしなした弾力があって、芯に陰火(いんか)の燃えている様な、あの不思議な魅力は、少しも失せていなかったばかりか、其頃はもう毛織物の時候で、古風なフランネルを着ている彼女の身体の線が、今までになくなまめかしくさえ見えたのである。私は、その毛織物をふるわせてくねくねと蠢く、彼女の四肢の曲線を眺めながら、まだ知らぬ着物に包まれた部分の彼女の肉体を、悩ましくも心の内に描いて見るのだった。
 そうして暫く話している内に、酒の酔が私にすばらしい計画を思いつかせた。それは、どこか人目につかぬ場所に、家を一軒借りて、そこを静子と私との媾曳(あいびき)の場所と定め、誰にも知られぬ様に、二人丈けの秘密の()()を楽しもうということであった。その時私は、女中が立去ったのを見届けて、浅ましいことを白状しなければならぬが、いきなり静子を引寄せ、彼女と第二の接吻(せっぷん)を交しながら、そして私の両手は彼女の背中のフランネルの手触りを楽しみながら、私はその思いつきを彼女の耳に囁いたのだ。すると彼女は私のこの無躾な仕草を(こば)まなかったばかりでなく、僅かに首をうなずかせて、私の申出でをも受入れて呉れたのである。
 それから二十日(はつか)余りの、彼女と私との、あの屡々の媾曳を、ただれ切った、悪夢の様な其の日其の日を、何と書き記せばよいのであろう。私は根岸御行の松のほとりに、一軒の古めかしい土蔵つきの家を借り受け、留守は近所の駄菓子屋のお(ばあ)さんに頼んで置いて、静子としめし合せては、多くは昼日中(ひるひなか)、そこへ落合ったのである。私は恐らく初めて、女というものの情熱の烈しさを、すさまじさを、しみじみと味った。ある時は、静子と私とは、幼い子供に返って、古ぼけた化物屋敷の様に広い家の中を、猟犬の様に舌を出して、ハッハッと肩で息をしながら、もつれ合って駈け廻った。私が掴もうとすると、彼女はいるかみたいに身をくねらせて、巧みに私の手の中をすり抜けては走った。グッタリと死んだ様に折重なって倒れてしまうまで、私達は息を限りに走り廻った。ある時は、薄暗い土蔵の中にとじ籠って一時間も二時間も静まり返っていた。若し人あって、その土蔵の入口に耳をすましていたならば、中からさも悲しげな女のすすり泣きに混って、二重唱の様に、太い男の手離しの泣き声が、長い間続いているのを聞いたであろう。
 だが、ある日、静子が芍薬(しゃくやく)の大きな花束の中に隠して、例の六郎氏常用の外国製乗馬鞭を持って来た時には、私は何だか怖くさえなった。彼女はそれを私の手に握らせて、六郎氏の様に彼女のはだかの肉体を、打擲せよと迫るのだ。恐らくは長い間の六郎氏の残虐が、とうとう彼女にその病癖をうつし、彼女は被虐(ひぎゃく)色情者の、耐え難い慾望にさいなまれる身となり果てていたのである。そして、私も亦、若し彼女との逢う瀬がこのまま半年も続いたなら、きっと六郎氏と同じ(やまい)にとりつかれてしまったに相違ない。なぜと云って、彼女の願いをしりぞけかねて、私がその鞭を彼女のなよやかな肉体に加えた時、その青白い皮膚の表面に、俄かにふくれ上って来る、毒々しい蚯蚓脹れを見た時、ゾッとしたことには、私はある不可思議な愉悦をさえ覚えたからである。
 併し、私はこの様な男女の情事を描写する為に、この記録を書き始めたのではなかった。それらは、他日私がこの事件を小説に仕組む折、もっと詳しく書き記すこととして、ここには、その情事生活の間に、私が静子から聞き得た、一つの事実を書添えて置くに(とど)めよう。それは例の六郎氏の鬘のことであったが、あれは(まさ)しく六郎氏が態々註文して拵えさせたもので、そうしたことには極端に神経質であった彼は、静子との寝室の遊戯の際、絵にならぬ彼の禿頭(とくとう)を隠す為、静子が笑って止めたにも拘らず、子供の様に真剣になって、それを註文しに行ったとのことであった。「なぜ今迄隠していたの」と私が尋ねたら、静子は「だって、そんなこと恥しくって、云えませんでしたわ」と答えた。
 さて、そんな日が二十日ばかりも続いた頃、あまり顔を見せないのも変だというので、私は口を(ぬぐ)って小山田家を訪ね、静子に逢って一時間ばかり、しかつめらしく談話を交したのち、例の御出入の自動車に送られて、帰宅したのであったが、その自動車の運転手が、偶然にも嘗つて私が手袋を買取った、青木民蔵(あおきたみぞう)であったことが、又しても私があの奇怪な自昼夢へと[#「自昼夢へと」はママ]引込まれて行くきっかけとなったのである。
 手袋は違っていたが、ハンドルにかかった手の形も、古めかしい紺の春外套も(彼はワイシャツの上にすぐそれを着ていた)その張り切った肩の恰好も、前の風よけガラスも、その上の小さな鏡も、凡て約一ヶ月以前の様子と少しも違わなかった。それが私を変な心持ちにして行った。私はあの時、この運転手に向って、「大江春泥」と呼びかけて見たことを思い出した。すると、私は妙なことに、大江春泥の写真の顔や、彼の作品の変てこな筋や、彼の不思議な生活の記憶で、頭の中が一杯になってしまった。しまいには、クッションの私のすぐ隣に春泥が腰かけているのではないかと思う程、彼を身近(みぢ)かに感じ出した。そして、一瞬間、ボンヤリしてしまって、私は変なことを口走った。
「君、君、青木君。この間の手袋ね、あれは一体いつ頃小山田さんに貰ったのだい」
「ヘエ?」と運転手は、一ヶ月(ぜん)の通りに顔をふり向けて、あっけにとられた様な表情をしたが「そうですね。あれは、無論去年でしたが、十一月の……たしか帳場から月給を貰った日で、よく貰いものをする日だと思ったことを覚えてますから、十一月の二十八日でしたよ。間違いありませんよ」
「ヘエ、十一月のねえ、二十八日なんだね」
 私はまだボンヤリしたまま、譫言(うわごと)の様に相手の返事を繰返した。
「だが、旦那、なぜそう手袋のことばかり気になさるんですね。何かあの手袋に(いわ)くでもあったのですか」
 運転手はニヤニヤ笑ってそんなことを云っていたが、私はそれに返事もしないで、じっと風よけガラスについた、小さなほこりを見つめていた。車が四五丁走る間、そうしていた。だが、突然、私は車の中で立上って、いきなり運転手の肩を掴んで、怒鳴った。
「君、それは本当だね、十一月二十八日ということは。君は裁判官の前でもそれが断言出来るかね」
 車がフラフラとよろめいたので、運転手はハンドルを調節しながら、
「裁判官の前ですって、冗談じゃありませんよ。だが、十一月二十八日に間違いはありません。証人だってありますよ。私の助手もそれを見ていたんですから」
 青木は、私が余り真剣なので、あっけにとられながらも、真面目に答えた。
「じゃ、君、もう一度引返(ひきかえ)すんだ。小山田さんへ引返すんだ」
 運転手は益々面喰(めんくら)って、やや恐れをなした様子だったが、それでも私の云うがままに、車を帰して、小山田家の門前についた。私は車を飛び出すと、玄関へかけつけ、そこにいた女中を捕えて、いきなりこんなことを聞き(ただ)のであった。
「去年の暮れの煤掃(すすは)きの折、ここの家では、日本間の方の天井板をすっかりはがして、灰汁(あく)洗いをした相だね。それは本当だろうね」
 先にも述べた通り私はいつか天井裏へ上った時、静子にそれを聞いて知っていたのだ。女中は私が気でも違ったと思ったかも知れない。暫く私の顔をまじまじと見ていたが、
「エエ、本当でございます。灰汁洗いではなく、ただ水で洗わせたのですけれど、灰汁洗い屋が来たことは来たのです。あれは暮れの二十五日でございました」
「どの部屋の天井も?」
「エエ、どの部屋の天井も」
 それを聞きつけたのか、奥から静子も出て来たが、彼女は心配そうに私の顔を眺めて、
「どうなすったのです」と尋ねるのだ。私はもう一度さっきの質問を繰返し、静子からも女中と同じ返事を聞くと、挨拶もそこそこに、又自動車に飛込んで、私の宿へ行く様に命じたまま、深々とクッションに凭れ込み、私の持前の泥の様な妄想に陥って行くのだった。
 小山田家の日本間の天井板は昨年十二月二十五日、すっかり取りはずして水洗いをした。それでは、例の飾釦が天井裏へ落ちたのは、その(のち)でなければならない。(しか)るに一方では、十一月二十八日に手袋が運転手に与えられている。天井裏に落ちていた飾釦が、その手袋から脱落したものであることは、先に屡々述べた通り、疑うことの出来ない事実だ。すると、問題の手袋の釦は、落ちぬ先になくなっていたということになる。このアインシュタイン物理学の実例めいた不可思議な現象は、()も何を語るものであるか、私はそこへ気がついたのであった。私は念の為にガレージに青木民蔵を訪ね、彼の助手の男にも会って、聞き訊して見たけれど、十一月二十八日に間違いはなく、又小山田家の天井洗いを引受けた請負人(うけおいにん)をも訪ねて見たが十二月二十五日に思違いはなかった。彼は、天井板をすっかりはずしたのだから、どんな小さな品物にしろ、そこに残っている筈はないと請合ってくれた。
 それでもやはり、あの釦は六郎氏が落したものだと強弁する為には、こんな風にでも考える外はなかった。即ち、手袋からとれた釦が六郎氏のポケットに残っていた。六郎氏は、それを知らずに釦のない手袋は使用出来ぬので運転手に与えた。それから少く見て一ヶ月後、多分は三ヶ月後に(脅迫状が来始めたのは二月頃からであった)同氏が天井裏へ(あが)った時、(まこと)に偶然にも釦がそのポケットから落ちたという、持って廻った順序なのだ。手袋の釦が外套でなくて服のポケットに残っていたというのも変だし、(手袋は多く外套のポケットへしまうものだ。そして、六郎氏が天井裏へ外套を着て上ったとは考えられぬ。いや、洋服を着て上ったと考えることさえ、可なり不自然だ)それに六郎氏の様な金満紳士が、暮れに着ていた服のままで春を越したとも思われぬではないか。
 これがきっかけとなって、私の心には又しても陰獣大江春泥の影がさして来た。六郎氏が惨虐色情者であったという近代の探偵小説めいた材料が、私にとんでもない錯覚を起させたのではなかったか。(彼が外国製乗馬鞭で静子を打擲したこと丈けは、疑いもない事実だけれど)そして、彼はやっぱり何者かの為に殺害されたのではあるまいか。大江春泥、アア、怪物大江春泥の(おもかげ)が、しきりに私の心にねばりついて来るのだ。
 一度そんな考えが芽生えると、凡ての事柄が、不思議に疑わしくなって来る。一介の空想小説家に過ぎない私に、意見書に記した様な推理があんなに易々と組立てられたということも、考えて見ればおかしいのだ。現に私はあの意見書のどこやらに、飛んでもない錯誤が隠れている様な気がしたものだから、一つは静子との情事に夢中だったせいもあるけれど、草稿のまま清書もしないで放ってある。事実私は何となく気が進まなんだ。そして、今ではそれが却ってよかったと思う様にさえなって来たのだ。
 考えて見ると、この事件には証拠が揃い過ぎていた。私の行く先々に、待構えていた様に、御あつらえ向きの証拠品がゴロゴロしていた。当の大江春泥も彼の作品で云っていた通り、探偵は、多過ぎる証拠に出会った時こそ、警戒しなければならないのだ。第一あの真に迫った脅迫状の筆蹟が、私の妄想した様に六郎氏の偽筆だったというのは、甚だ考え(にく)いことではないか。嘗つて本田も云ったことだが、仮令春泥の文字は似せることが出来ても、あの特徴のある文章を、しかも方面違いの実業家であった六郎氏に、どうして真似ることが出来たのであろう。私はその時まで、すっかり忘れていたけれど、春泥作「一枚の切手」という小説には、ヒステリィの医学博士(はかせ)夫人が、夫を憎む余り、博士が彼女の筆蹟を手習(てならい)して、(にせ)の書置きを作った様な証拠を作り上げ、博士を殺人罪に陥れようと企らんだ話がある。ひょっとしたら、春泥はこの事件にも、その同じ手を用いて、六郎氏を陥れようと計ったのではないだろうか。
 見方によっては、この事件はまるで大江春泥の傑作集の如きものであった。例えば、天井裏の隙見は「屋根裏の遊戯」であり、証拠品の釦も同じ小説の思いつきであるし、春泥の筆蹟を手習いしたのは「一枚の切手」だし、静子の(うなじ)の生傷が残虐色情者を暗示したのは「B坂の殺人」の方法である。それから、ガラスの破片が突傷を拵えたことと云い、はだかの死体が便所の下に漂っていたことと云い、其他事件全体が大江春泥の体臭に()ち満ちているのだ。これは偶然にしては余りに奇妙な符合ではなかったか。初めから終りまで、事件の上に春泥の大きな影がかぶさっていたのではなかったか。私はまるで、大江春泥の指図に従って、彼の思うがままの推理を組立てて来た様な気がするのだ。春泥が私にのりうつったのではないかとさえ思われるのだ。
 春泥はどこかにいる。そして、事件の底から蛇の様な目を光らせていたに相違ない。私は理窟ではなく、そんな風に感じないではいられなかった。だが、彼はどこにいるのだ。
 私はそれを下宿の部屋で、蒲団(ふとん)の上に横になって考えていたのだが、流石肺臓の強い私も、この果しのない妄想にはうんざりした。考えながら、私は疲れ果ててウトウトと(ねむ)ってしまった。そして、妙な夢を見てハッと目が()めた時、ある不思議なことを思い浮べたのだ。
 夜が()けていたけれど、私は彼の下宿に電話をかけて、本田を呼び出して貰った。
「君、大江春泥の細君は丸顔だったと云ったねえ」
 私は本田が電話口に出ると、何の前置きもなく、こんなことを尋ねて、彼を驚かした。
「エエ、そうでしたよ」
 本田は暫くして、私だと分ったのか、()(そう)な声で答えた。
「いつも洋髪に()っていたのだね」
「エエ、そうでしたよ」
近眼鏡(きんがんきょう)をかけていたのだね」
「エエ、そうですよ」
「金歯を入れていたのだね」
「エエ、そうですよ」
「歯が悪かったのだね。そして、よく頬に歯痛(はいた)止めの貼り薬をしていたと云うじゃないか」
「よく知ってますね、春泥の細君に逢ったのですか」
「いいや、桜木町の近所の人に聞いたのだよ。だが、君の逢った時も、やっぱり歯痛をやっていたのかね」
「エエ、いつもですよ。よっぽど歯の(しょう)が悪いのでしょう」
「それは右の頬だったかね」
「よく覚えないけれど、右の様でしたね」
「併し、洋髪の若い女が、古風な歯痛止めの貼り薬は少しおかしいね。今時そんなもの貼る人はないからね」
「そうですね。だが、一体どうしたんです。例の事件、何か手掛りが見つかったのですか」
「まあ、そうだよ。詳しいことはその内話そうよ」
 と云った訳で、私は前に聞いて知っていたことを、もう一度念の為に本田にただして見たのだった。
 それから、私は机の上の原稿紙に、まるで幾何(きか)の問題でも解く様に、様々の形や文字や公式の様なものを、殆ど朝までも書いては消し書いては消ししていたのである。

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