「それじゃ、その続をあなたに話して見ましょうか」
人を呪わば穴二つと云う。小野さんは是非共ええと答えなければならぬ。
「ええ」
「二階の下に飛石が三つばかり筋違に見えて、その先に井桁があって、小米桜が擦れ擦れに咲いていて、釣瓶が触るとほろほろ、井戸の中へこぼれそうなんです。……」
糸子は黙って聴いている。小野さんも黙って聴いている。花曇りの空がだんだん擦り落ちて来る。重い雲がかさなり合って、弥生をどんよりと抑えつける。昼はしだいに暗くなる。戸袋を五尺離れて、袖垣のはずれに幣辛夷の花が怪しい色を併べて立っている。木立に透かしてよく見ると、折々は二筋、三筋雨の糸が途切れ途切れに映る。斜めにすうと見えたかと思うと、はや消える。空の中から降るとは受け取れぬ、地の上に落つるとはなおさら思えぬ。糸の命はわずかに尺余りである。
居は気を移す。藤尾の想像は空と共に濃かになる。
「小米桜を二階の欄干から御覧になった事があって」と云う。
「まだ、ありません」
「雨の降る日に。――おや少し降って来たようですね」と庭の方を見る。空はなおさら暗くなる。
「それからね。――小米桜の後ろは建仁寺の垣根で、垣根の向うで琴の音がするんです」
琴はいよいよ出て来た。糸子はなるほどと思う。小野さんはこれはと思う。
「二階の欄干から、見下すと隣家の庭がすっかり見えるんです。――ついでにその庭の作りも話しましょうか。ホホホホ」と藤尾は高く笑った。冷たい糸が辛夷の花をきらりと掠める。
「ホホホホ御厭なの――何だか暗くなって来た事。花曇りが化け出しそうね」
そこまで近寄って来た暗い雲は、そろそろ細い糸に変化する。すいと木立を横ぎった、あとから直すいと追懸けて来る。見ているうちにすいすいと幾本もいっしょに通って行く。雨はようやく繁くなる。
「おや本降になりそうだ事」
「私失礼するわ、降って来たから。御話し中で失礼だけれども。大変面白かったわ」
糸子は立ち上がる。話しは春雨と共に崩れた。