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村人たちは二人が一緒に葬られた比翼塚に竹筒に入れた花を供えていた。線香を焚き、念仏を唱えた。これは通常ではあり得ないことである。というのは、仏教では情死は禁じられており、この墓地は仏教徒たちのものであるからである。しかし、そこには宗教があった――深い敬慕という信仰が。
どうして人々がこのような死者に祈るのかと聞かれるだろう。すべての者が二人に祈るというわけではないが、それでも恋人たちは祈ったし、とくに不幸な恋をしている者たちはそうするのである。他の人たちは墓地を飾ったり、また敬虔な祈りの言葉を捧げている。とりわけ恋人たちは同情と救いを求めて祈るのである。私もなぜだろうかと自問せざるを得なかったが、つぎのような単純な答えを得た。死んだ二人がたくさん苦しまなければならなかったからだと。
このような祈りを促している観念は仏教よりももはるかに古くて、同時にもっとも現代的でもある――「苦しみという永遠の宗教の観念」といえよう。
訳注
(a)明治五年一一月九日の太政官布告第三三七号(改暦ノ布告)。
(b)学制(明治五年八月二日太政官布告第二一四号)以降の法令を指すか。これはわが国最初の近代的学校制度を定める教育法令であり、中央集権的に全国を各学区に分けて、それぞれ大学校?中学校?小学校を設置することを目論んだ。のちに教育令(明治一二年九月二九日太政官布告第四〇号)によって廃止され、町村をベースとした小学校設置の制度に改められ、また教育の権限も大幅に地方に委ねられた。
なお、学校設立の理由は右太政官布告第二一四号「学事奨励に関する被仰出書(おうせいだされしょ)」(学制序文)に示されている。同文は文部科学省「学制百年史資料編教育法等」<http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317943.htm>、また同原文につき、たとえば東京学芸大学のサイトなど <http://hdl.handle.net/2309/104246>
(c)新橋駅から神戸駅まで(東海道線)が鉄路で結ばれたのは明治二二年?一八八九年七月一日。
(d)本作品は “Suicide on the Railway”, Japan Weekly Mail 1891年2月28日付の記事にヒントを得たものと言われている。同記事全文と試訳はつぎのとおりである。
SUICIDE ON THE RAILWAY
The officials in charge of a train on the Takasaki line reported on Monday at Uyeno a painfulincident that occurred on the trip to the capital. After leaving Honjo, about four miles from thestation, the train having then attained a high speed, the driver observed two persons standing at theside of the line, and concluded that they intended to cross after the passage of the train. But whenthe engine was within less than a hundred yards away, the pair, who by this time could be seen toconsist of a youth and a girl, the latter exceedingly pretty, turned to each other, embraced, andthen, thus clasped together, lay down on the nearest rail. Of course not a moment was lost in theendeavour to stop the train, but on this line vacuum brakes are not in use, and under thecircumstances described ordinary brakes were of little value. The train stopped some twentyminutes by the poor mangled bodies, while arrangements were made for their disposal, and duringthe interval it was found that, being forbidden to wed, the unhappy couple had chosen to die ineach other's arms.
(出典:原文画像を参照)
「鉄道自殺」
月曜日、高崎線の当局者は東京行上り列車で発生したる痛ましき事故につき鉄道管理局上野駅に報告せり。本庄駅発車後、約六?四キロメートルの地点で高速となりしが、機関士が線路の傍に立てる二名を発見するも、通過後に横断せんとするものなりと判断す。しかるに機関車が一〇〇メートルばかりに接近せしときに、彼の二名が青年と甚だ容姿端麗なる少女なりと認むるも、両名は向き合うと抱擁し、互いをひしと抱き着きたるまま近くの線路の上に横たわりし。直ちに列車を緊急停止せんとするも、本線の機関車には空気圧式ブレーキの装備なく、かかる事情下にありては通常の機械ブレーキは殆ど効かざるにして、停止する能わず。列車は轢断されしを処置せんが為二〇分ばかり停車せり。この間判明せしは、不幸なる両人が結婚を禁じられたるが故に互いの腕に抱かれて死ぬるを選べりしとぞ。
(林田?訳)