はなはだしく強引で、はなはだしく恥知らず。他人が困ったり怒ったりするのは、なんとも思わない。いつも非合法すれすれで金をもうけ、そのあげく金を手にしたら最後、いかなることがあってもはなさない。
こういうのが一番よくない。合法的にやられたのならあきらめもつくし、非合法ならば対抗手段もそれなりにある。しかし、すれすれとなると感情のしこりが被害者たちに残るばかりだ。
金兵衛はこのところ、会社の偽装倒産でまたしてもひともうけをした。企業の利益や資産を巧妙な操作でひそかに個人に移し、適当なところで倒産させてしまったというしだい。いうまでもなく、金銭の損害をこうむった者がたくさん出た。しかし、金兵衛は平然たるもの。金銭第一主義なるイデオロギーの持主なので、信念のゆらぐことはない。
ぬけぬけした口調で「こと志とちがって、まことに遺憾でございます」と言うだけ。計画的な倒産で、内心で舌を出していることはだれの目にもあきらかなのに。
他人の迷惑など知ったことか、こっちは合法的なんだ、経済的繁栄を追求してなにが悪い。世の中、だまされるほうが悪いんだといった態度。ひとをかっかとさせる性格だ。
それでおさまるわけがない。なにをいいやがる、だますほうはもっと悪質だというのが債権者たちの意見。見解は対立したまま物わかれ。こと金銭がからんでいるだけに、険悪化する一方。黒い雲がたなびき、電位差は大きくなり、いまにも雷鳴がとどろき、大雨が降りそそぎかねない状勢だった。
といって、この日がそんな天候だったというわけではない。むしろ、おだやかな午後だった。真の惨劇というものは、えてしてこのような時におこる。
玄関のほうで来客のけはいがした。金兵衛は窓のはじからそっとのぞいてみる。金銭の好きなやつは、だいたいにおいて用心深い。
あんのじょう、損害をこうむった債権者のひとり。四十歳ぐらいの男で、目がつりあがって怒りに燃え、呼吸は激しく、からだは興奮でこまかくふるえている。線香花火を発散させている。この調子だと、ただではすまぬかもしれない。金をかえすか命をよこすかというさわぎに発展しかねない。
金兵衛は急いで電話をかけた。用心棒を呼びよせたほうが賢明だろうと判断したのだ。
「もしもし、わたしは金兵衛だが、重大な局面となり、わが家に危機が迫っている。すぐかけつけてくれ」
電話のむこうで、用心棒は答えた。
「予告もなく事前協議もなく、すぐ来いとおっしゃられても困りますよ。こっちにもつごうがある。じつは、うちではいま夫婦げんかの最中なんです。それが終ってからでもいいでしょう」
「冗談じゃないよ。いざという時は助けに来てくれる約束じゃないか。国でいえば条約に当る。履行の義務があるのだぞ。だからこそ、おまえに対し、毎月すくなからぬ費用を惜しげもなく払っているのだ」
「すくない費用を、けちけちともったいをつけて払っている感じですがね。あなたはほかの人にむかって、自分のうしろに強い用心棒のいることをちらつかせ、いつも効果をあげてるんでしょう。わたしは継続的に利用され、無形の保護の役に立ってきた。この点を考えると、安すぎて損です」
「それは主観の問題だ。あとで相談しよう。そもそも、わたしがやられたら、おまえの収入はそれだけへるのだ。おたがいの不利益ではないか。なにしろ、いまは有事の際なのだ。進駐してきて助けてくれ。用心棒の責任だぞ。こんごの金額に関しては考慮する」
「考慮じゃなく、はっきり約束して下さい。これからは毎月の払いを倍に値上げし、今回の実費はそちらで払うと。さあ、どうです」
「足もとを見てつけこむやつだな。まあ、仕方ない。いいだろう。早く来て、侵入者をうちから追い出してくれ。どんな手段に訴えてもいいから」
金兵衛は電話を切り、自分は戸棚にかくれた。来客をなかに招き入れると、そのとたんにぶんなぐられかねない。そういう痛いことは、用心棒にまかせたほうがいいというものだ。
来客は玄関のベルを鳴らしつづけ、つぎにドアをたたきはじめた。応答しないでいても、帰ってくれそうにない。それどころか、ドアをこじあけ、勝手に入ってきた。持ってきた洋酒のびんを机の上におき、そばの椅子にかけ、こんなことを言っている。
「留守らしいな。しかし、きょうはなんとしてでも金を取り立ててやる。帰ってくるまで、ここでねばってやる」
それを聞き、金兵衛はやれやれと思う。あきらめて帰ってくれそうにない。戸棚から出て相手になれば、さんざんうらみごとを聞かされ、どなられるにきまっている。精神衛生によくない。酒を持ってきたが、こっちに飲ませてはくれないだろう。やつがひとりで飲み、その勢いをかりて、強硬な口論をやるつもりなのだろう。あげくのはて、あばれるにちがいない。そういった展開が予想されるとなると、ここにかくれて用心棒の来るのを待ったほうがいいというものだ。
来客は立ちあがり、室内を歩きまわり、つぶやいている。
「あんまり金目のものはないな……」
戸棚のなかからのぞいている金兵衛、室をよごされてはとはらはら。侵入者であり債権者である男は、銀製のペーパーナイフをみつけ、それをポケットにおさめた。少しでも回収してやろうというつもりなのだろう。金兵衛は、ちくしょう泥棒めと立腹するが、出るわけにいかない。
男はやがて戸棚の前へ来て、そこを開けようとした。金兵衛は内側から必死に押える。しかし、男はあきらめるどころか、ここになにか高価な品がしまってあるのだろうと推察し、そばの椅子をふりあげ、ぶち破ろうとした……。
その時、玄関に声がした。青年の声。男は戸棚を開けようとするのをやめ、その応対をした。
「どなたか知りませんが、どうぞお入り下さい。その椅子にでもおかけ下さい」
入ってきた青年は、肩をそびやかせ、おうへいな口調で言った。
「やい、この家を売りとばしてしまえ。いくらかの金にはなるはずだ」
「なるほど、それはいい案です。じつは、わたしもそうしたい。しかし、あいにくとわたしの家ではないのです」
と男が言うと、青年は声を高めた。
「なんだと。あれこれ言いのがれをし、ごまかそうという気だな。評判どおりのやつだ。きさまはそういうやつなんだ。家を他人名義にし、巧妙に財産の保全をはかっているのだろう」
「いや、それは誤解だ。わたしはそんな人間ではない」
「なにが誤解だ。いいか、ぼくのおやじは、きさまの会社にだまされ、大損害をこうむった。おかげで、ぼくは学費をかせぐためのアルバイトをしなければならなくなった。そんなことにおかまいなく、きさまはぬくぬくと金をためこみやがって。このエコノミック・アニマルめ。社会正義の観点からも、それを許すことはできない。きょうというきょうは、ただではすまさんぞ」
相手をここの主人と思いこんでいる青年は、ポケットから刃物を出した。それを見て男はびっくり。
「まあ、待ってくれ。それは誤解だ。わたしはここの主人じゃない。債権者だ。ここへ金の請求交渉に来て、主人の帰宅するのを待っているところなんだ。わかってくれ……」
「なんだ、そうだったのか……」
青年はうなずきかけたが、すぐに思いかえし、警戒心をとりもどした。
「……おっと、その手には乗らない。ここでよく注意しなければならぬ。おやじも言っていた。とてもひとすじなわであつかえる相手じゃないとな。その場をごまかし金を払わないためには、どんな言いのがれをもやるやつだとな。人のいい純真なぼくが、はいそうですかと帰ると、そのあとで舌を出し、うまくだましたとあざ笑うのだろう。それを考えると、胸がむかむかしてきた」
「本当だよ。本当なんだ。たのむから落着いてくれ……」
男は名刺を出そうとしてポケットをさぐった。だが、彼も落着いてはいなかった。あわてていたので、引っぱり出したのはさっきのペーパーナイフ。銀色に光るそれを青年は見た。
「それみろ、そんなものを出しやがった。化けの皮がはがれたぞ。本当だと叫ぶやつが、本当だったためしはない。落着けと言い、話せばわかるなんてなだめ、こっちを油断させておいて、それでぐさりとやるつもりだったんだろう。おあいにくさま、ぼくのほうが注意深かったというわけだ。さあ、かくごしろ……」
ペーパーナイフを目にしたし、なにしろ緊張していて先入観に支配されている。青年は飛びかかった。男は防戦せざるをえず、防戦することは青年の戦意をさらに高めることになった。争いのあげく、青年の刃物は男の胸につきささり、男はぐったり。
「どうだ、思い知ったか。エコノミック・アニマルを一匹、天に代って退治した」
と青年は言った。しかし、彼にとって、この死体をどう始末するかが当面の問題だった。
「どうしたものだろう。自殺をよそおわせるのがいいのだろうが、ここの主人が自殺するほど良心的であるとは、だれも考えてくれまい。事故に仕上げたほうがいい。すべってころび、ちょうどそこにあった刃物の上に倒れたということにでもするか」
青年はそんなふうにかっこうをつけた。さらに紙をひろげて、死体の指にあたりに流れている血をつけ〈事故〉と書きしるした。死にぎわにしたためたような形にしたのだ。念には念を入れた作業。
戸棚のなかから、金兵衛はそれらをずっとながめていた。ああ、ああ、なんということだ。あたりを血だらけにしやがって、この掃除代にいくらかかると思う。大変な出費だ。殺しあいなら、どこかよそでやってくれればいいのだ。自分の身代りにひとりが殺されたというのに、彼は金のかかることばかり心配している。
青年は一息つき、机の上にあった酒のびんを目にした。これはいい。酒でも口にし、気分をほがらかにして引きあげるとするか。青年が手をのばしかけたとたん、彼は物音を耳にした。
玄関でベルの音がしたのだ。青年はびくりとした。だれが来たのかは知らないが、死体といっしょのところを見られてはまずい。しかし、とっさにはいい考えも浮ばす、彼は長椅子を動かし、それを死体の上においた。いちおうはかくせた。
のぞいている金兵衛は舌うちする。ああ、長椅子にまで血がつけられてしまう。ひとの家具だと思って、いい気になっていやがる。いまどきの若い者ときたら、物をそまつにして平気でいる。しかし、どなって注意を与えるわけにもいかない。見つけられたら、ついでに殺されてしまうだろう。
青年がもたもたしていると、玄関から勝手に入ってきた人物があった。金兵衛がさっき電話で呼んだ用心棒だった。金兵衛はまた腹を立てる。のろまめ、いまごろになって、のこのこやって来るなんて。わが家はかくのごとく侵入を受け、流血の事態となっている。こんなことになる前に電光石火で撃退してくれるのが用心棒の役目だろう。
やってきた用心棒の顔には、できたての引っかき傷があった。電話での会話のように、夫婦げんかで奥さんにやられたのかもしれない。うちのことをほっといて、他人のけんかに介入するなんて、いいかげんにしたらどう。あなた、あたしとけんかとどっちを愛しているの、などと言われたのかもしれぬ。用心棒はそれをふり払い、これは男の約束、信義や威信の問題だと出かけてきたのだろう。むかっ腹を立てている表情だった。妻へのうっぷんをなにかで晴らしてやりたいと。
青年とはちあわせをし、用心棒は言った。
「ここの家の主人はどうした」
「もしかしたら、あなたもここの主人を殺しに来たんですか。なにしろ、いやなやつですからね」
「とんでもない。金ばかりためこんでいやなやつにはちがいないが、おれの契約主だ。また、人相は悪いかもしれないが、おれは用心棒なんだ。すなわち、防衛を手伝いに出動してきたのだ。侵略者ではない。仕事がすんだら早速撤退する。ところで、ここの主人はどこへ行ったのだ。死んだのか」
「いえ、そ、そんなことはありません」
と青年はどぎまぎして答えた。
「死んだのならおれはこのまま帰るつもりだったが、生きているとなると、まだ一働きする義務がある。おまえをこの家から追い出し、主人にどうだこの通りだと言い、金をもらわねばならぬのだ。しかし、おまえはどうもうさんくさい。手に血がついている。なにかあったのだろう。けがをさせたのか」
「いえ、じつは、その……」
青年は口ごもった。どう言ったら模範答案になるのか、見当もつかなかった。収拾策を考えようにも、頭が働かない。用心棒だかなんだか知らんが、よけいなところへやってきやがった。死体をみつけられたら、さわぎは大きくなる一方だ。事態の拡大を防止するには、ついでに死んでもらうほうがいいようだ。
このような理屈をなんとかまとめあげ、青年は床に落ちている銀製のペーパーナイフを拾いあけてにぎり、突き出した。ぐさりといけば成功だったが、相手は用心棒で一種のプロだ。しかも、いちおうの警戒をしてここへ乗りこんできた。すばやく身をかわし、逆に青年の首をしめあげた。
不意をつかれて用心棒はかっとなっていた。しめあげる腕にもにくしみの力がこもる。青年はぐったりとなった。すなわち息が絶えたのだ。
「やれやれ、死んでしまった。気の毒に。おれのせいではないよ。迷わず成仏してくれ。もし化けて出るのなら、この家の主人のほうにしてくれ。こっちは契約をはたしただけなんだからな」
用心棒はそれから「金兵衛さん」と三回ほどくりかえして叫んだ。主人に対し費用の請求をしようというのだろう。しかし、金兵衛のほうは戸棚から出ようとしない。支払いはのばしたほうが値切りやすいというものだ。いま出現したりすると、相手は自己の手柄に酔って興奮しており、言われるままの金額を払わされるはめになる。
金兵衛がだまっていると、用心棒は留守と思ったらしい。家から逃げ出し、どこかへ行っているのだろうと想像してくれた。ひとりでぶつくさ言っている。
「この死体はどうしたものか。用心棒は引きうけたが、あとしまつまでの責任をおっているわけではない。ほっぽっといてもいいのだが、そうするとあのけちの金兵衛め、それをたねに値切りやがるだろう。長椅子の下にでも押しこんどくぐらいでいいだろう」
しかし、それをやりかけ用心棒は驚いた。力をこめて押しこむと、むこう側にべつな死体が出現したのだ。
「いったい、これはどういうことだ。こいつはだれだ。金兵衛さんでもない。なぜこんなところでかくれて死んでいるんだろう。いや、そんなことはどうでもいいんだ。おれは探偵としてやとわれたのでもない。長椅子の下が満員なら、戸棚にでもほうりこんでおくとするか」
またも金兵衛は、戸棚を内側から押える作業に熱中した。ひとが聞いてないと思って、けちだとかぬかしやがった。いずれうんと値切ってやるぞ。用心棒はあきらめ、青年の死体を風呂場のほうへと引きずっていった。それをのぞいて、金兵衛はうんざり。こんどは風呂場までよごされてしまう。金を支払う時に、そのぶんを差し引いてやるからな。
用心棒は風呂場から戻ってきた。ついでに手と顔とを洗ったのか、さっぱりした表情だ。机の上の酒を一杯やり、それから引きあげようとのつもりらしい。彼はグラスをさがしてきて、床の死体を足で長椅子の下へ押しこんでから、酒をついだ。
しかし、その時、玄関のほうで女の声がした。
「ごめん下さい」
きれいな若い声だ。用心棒はドアをあける。声にふさわしく、若い美人が立っていた。スタイルもよく、上品な服装。しかも、利口そうな表情だった。まったく、このまま帰すには惜しいような感じ。
「まあ、おはいりなさい。どなたか存じませんが、ちょうど一杯やろうとしていたところです。ほかにだれもいませんから、お気軽に。どうぞおかけ下さい。おっと、その長椅子にはわたしがかけます。あなたはそっちのほうの椅子に……」
と用心棒はにやにやした。だが、女は笑いもせず立ったまま言った。
「まず、用件を片づけなくちゃならないの。あたし、債権者の有志にたのまれてやってきたんですの」
「そんなかたくるしい用件など、どうでもいいでしょう。債権者なんてつまらん連中のことなど、忘れてしまいなさい。ほっとけばなんとかなりますよ」
「まあ、ひどいことおっしゃるのね。あたしを派遣した債権者たちの気持ちもむりないわ」
「いったい、用件ってなんです。聞きたいとも思わないが、そんなにお話しなさりたいのならどうぞ。胸がさっぱりするでしょう。酒の味もそれだけよくなります」
「事情はこうなの。債権者の有志たち、出資や融資をする時、なんとなく不安だったのよ。ずるさとけちが看板の金兵衛さんですものね。そこで、自分たちを受取り人にして、あなたに生命保険をかけたってわけよ。そっちで掛金を払うのならご勝手にという、あなたの承諾も受けてね。思い出したでしょ。その予感が的中ってとこね。そのため連中はあなたを現金化し、金をとり戻そうというわけ。みなさんはいま、それぞれの方法でアリバイを作っておいでになる。さて、おわかりでしょ。あたしの用件っていうのは、ここであなたを殺すこと……」
戸棚のなかで聞いていた金兵衛、うなずきながら身ぶるいした。そういえば、そんなこともあった。自分の腹が痛むわけでないので、生命保険の件は軽い気分で承知した。しかし、こんな目的のためだったとは。債権者め、恐るべきやつらだ。こっちはすれすれとはいえ、あくまで合法だ。それなのに、やつらときたら非合法のこんなことを平気でやる。
しかし、女の話でさらに驚いたのは、いうまでもなく用心棒のほう。
「とんでもない。殺されてたまるものか」
「あきらめるのね。じたばたなさってもだめよ。あたしは必殺の殺し屋なの。決してやりそこなわないのよ。女性だからひとに怪しまれない。成功率百パーセントというわけよ。あたしにねらわれたら最後、どうにもならないわよ」
「いや、殺されてたまるかというのは、人ちがいだからだ。おれはここの主人じゃない。金兵衛なんかじゃないんだ。やめてくれ。おれはただの用心棒だ。これからはあなたの用心棒になる。金兵衛を殺したいのなら、お手伝いする。なんだったら、妻と別れてあなたと結婚する。妻はおれを理解してくれず、おれは不満なんだ……」
用心棒は弁解しつづけ、物かげで聞いている金兵衛は歯ぎしりした。なんといいかげんな用心棒だ。すぐに裏切ったりする。もうくびだし、金は払わん。殺されてしまえ。
用心棒がわめいても、女に効果はなかった。
「どなたもそんなふうにおっしゃるわ。人ちがいだとか、ご希望にそうとか。でも、そんな手にのるようじゃあ、このお仕事はやっていけないの。あたしとしてはね、この家の中年の男を殺しさえすればいいのよ。遠い本部の指令で動いているゲリラ隊員のようなものね。橋やダムを爆破しろと言われれば、それをやるだけのこと」
「助けてくれ。本当にちがうんだ……」
「そんなこと、あたしに関係ないわ。やめて帰れば、あたしが責任をとわれてやられちゃう。あたしに許された権限は、せいぜい時間を数分間ほどのばすことぐらい。その権限を活用し、そのお酒を飲むあいだぐらいは待ってあげてもいいわ」
「せめてそうさせてもらうとするか」
用心棒は酒をグラスにつぎ、口にした。覚悟をきめた人生に別れの|盃《さかずき》をという心境からではない。三分の一ほど飲み終ったところで、女に飛びかかった。女は油断のせいかすきだらけ。反対にやっつけるのは簡単だろう……。
しかし、女は自分でも言っていただけあって、必殺の殺し屋。いつのまにハンドバッグから出したのか、小型の拳銃を発射した。消音器つきなので、さほど音はひびかない。用心棒はばったり。
「ありがたいわ。すきをみせたら、その挑発に乗って手むかってくれた。こんなふうに争ってくれると、正当防衛みたいな気分になり、それだけ良心のとがめが少なくなる。あたしは自衛のために戦ったというわけ。さて、室内を荒しておこうかな。依頼主たちに疑いがかからないよう、物とりが侵入し、それと争ったあげくにという形にしておきましょう」
女は手袋をはめ、花びんを持ちあげ、鏡にむかって投げつけた。|爽《そう》|快《かい》な音がしてこなごなになる。しかし、金兵衛は戸棚のなかで顔をしかめた。女め、花びんをこわしやがったな。貸金のかたにとりあげた高価な花びんなんだぞ。鏡だって大損害だ。
そんなことにおかまいなく、女は椅子の布を切り裂き、机の引出しをぶちまけ、それをふみつぶす。なれた手つきだ。そのたびに金兵衛は首をすくめる。ああ、この損害はだれが補償してくれるのだ。「やめろ」と叫んで飛び出したいのを、彼はなんとかがまんした。金銭第一主義とはいえ、生命とくらべると、まだ出る幕ではない。
女はさらに酒びんを壁にぶつけようとしたが、ちょっと考え、なかみを口にした。のどがかわいていたのだろう。それから投げつけ、酒はあたりに飛び散った。金兵衛はがっかり。ついにあの酒もむだになった。本日の唯一の収穫だというのに……。
しかし、そこに思いがけぬ現象が発生した。とつぜん女が胸をかきむしり、苦しみながら床に倒れたのだ。やがて動かなくなる。どうやら毒の入っていた酒らしい。最初の訪問者は話がつかなかった場合、それをおいて帰るつもりだったのだろう。女もそこまでは注意しなかった。もっとも、むりもない、目の前で飲んだやつがいたのだから。事情がわかり金兵衛はほっとした。よくあの酒をむだにしてくれたと。
金兵衛はまだしばらく戸棚のなかにひそんでいた。しかし、そのあとだれもやってこない。彼はこわごわ戸棚から出る。
「ひどいものだ。この荒されよう。だれが責任をとってくれるというのだ……」
ため息の出る思い。金兵衛はとりあえず警察に電話しようとしたが、それはやめた。この四つの死体。ありのままを話して、信用してくれるだろうか。
このうちのひとりくらいはおまえがやったのだろう、などと言われるにきまっている。おれはなにもしていないと主張しても、その証人はだれもいない。逆に、おれに不利なことを言うやつはたくさん出てくるだろう。あいつはいやなやつで、金のためにはなんでもやるやつですなんて、この時とばかりわめきたてる連中が多いのだ。あることないことさわがれ、あげくのはて、こっちが殺人犯にされたりしては目もあてられぬ。
それなら、いっそのこと、みんな庭に埋めてしまうか。警察へ訴える関係者もいないだろう。殺し屋を派遣したが、帰還しない、かえりうちにあったらしいとは言えないだろう。毒入りの酒や刃物を持ってきたやつも、弱味がある。家族は、やり損じてどこかに身をかくしたのだろうと思うにちがいない。用心棒の妻は、夫婦げんかのあとだから蒸発したとでも考えるだろう。
金兵衛はそうすることにきめた。夜になるのを待って庭に埋めるとしよう。しかしだ、その前にこいつらのポケットの品でも抜いておくか。少しでも損害を回収しなければならぬ。彼は財布やハンドバッグを机の上に集めた。
殺し屋の女の拳銃と、青年の持ってきた刃物もとりあげ、金庫にしまいこむ。万一の時にはこれを出し、これからは自分の家は自分の手でまもることにしよう。用心棒のたよりないことは、よくわかった。いざとなると自分本位でなんの役にも立たない。
金兵衛は、女の殺し屋のしている腕時計に目をとめた。金色で高価そうだ。
「必殺の殺し屋ねえちゃん、いい時計をしている。針がたくさんついているし、ボタンもついている。殺しの時間を正確にするためには、このような精巧なのを持つ必要もあるのだろうな。こういう珍品は高いぞ」
彼はそれを女の腕からはずし、なにげなくネジを巻いた。
その五秒後に爆発がおこった。金兵衛の両手はすっ飛び、目もやられた。血はとめどなく流れ、助けを呼ぼうにも歩けず、電話もかけられない。
「手榴弾式の時計だったのか。必殺の殺し屋だけあって、こんな準備までしていたというわけか。不覚だった。欲は身をほろぼすというが、おれの末路もそうなってしまったようだ。しかし、生命保険の件だけはしゃくだな。ついに債権者の手に渡ってしまうのだろうな。これだけは面白くない」
しかし、もはやどうあがいてもだめなのだ。金兵衛はおのれの最後をさとった。血は流れつづけ、気が遠くなってゆく。彼も金銭第一主義をあきらめる時となった。欲心が消えると、視野がいくらか広くなる。彼ははじめて自己をはなれ、冷静に考えた。
こんなことになり、警察にやっかいをかけてしまう。だが、警察はどう処理するだろう。事件を解明するだろうか。長椅子の下にいる〈事故〉と血で書いて死んでいるやつ。風呂場にころがしてある首をしめられた死体。少し毒を飲んだうえ拳銃でうたれた用心棒。毒で死んだ女。拳銃と刃物は金庫のなかで、財布とハントバックは机の上にまとめてある。室内は荒された形跡。そして、おれは両手を爆発で失って死んでいる。刑事さんがたは、さぞ頭を悩ますことだろう。ごくろうさまなことだ。
新聞もさわぐだろうな。事件記者も持てあまし、意見を求められた識者も降参し、けっきょく狂気による異常な惨劇とでも書くことになるのだろう。狂気とすれば、なんでも簡単に片づく。実際にはだれひとり狂ってなんかいなかったのだ。ただ、ちょっと意志の疎通を欠いただけ。
あげくのはては「このような惨劇は二度とおこすべきでない」で幕となる。どこかで聞いたような文句。戦争の終ったあとに必ず使われる言葉だ。この事件も戦争と同じようなものなのだろう。狂気といえばそうだし、正気といえばそうでもある。まったく、よく似ている。なんでこうなったのか当事者の大部分もわからず、ほかの者にはさらにわからず、二度とくりかえすなとの言葉だけが残り、やがてそれも忘れられ、なにがなんだかだれにもわからないまま、うやむやとなって……。