「ずいぶん熱心にお仕事をしておいでですが、そのご、進展しましたか」
「ええ、しましたとも。新しい接着剤を、開発しました。これまでなかった、たぐいのものです」
友人は好奇心を示した。
「ぜひ、その性能を拝見したいものですね」
「いま、ごらんにいれましょう……」
エヌ氏は何本かのビンを持ってきた。なかには、粘性のある液体が入っている、それを示しながら言った。
「これですよ。いや、じつに苦心しました。アイデアの段階もさることながら……」
「まあ、苦心談はべつな機会にして、どんなものか早く教えて下さい」
「いいですとも」
エヌ氏は刷毛を使って、その液体を机の上にあった電話機にぬった。友人はふしぎがって質問した。
「なんで、そんなとこにぬるのです」
「性能を示すためですよ。さあ、受話器をとってごらんなさい」
友人は試みた。受話器は電話機にくっついたままだ。ぬってすぐなのに、ぴったりと接着し、力をこめてもはなれない。
「すばらしい接着力ですね」
「ええ、こんなのは序の口で、大変な力です。建築工事に使っても、大丈夫です」
「感心しました。しかし、そんなもので電話機をくっつけてしまって、いいのですか」
友人は首をかしげた。そのとたん、電話機がなりだした。どこからか、かかってきたらしい。ベルの音を聞きながら、どうなるのかと友人は、はらはらした。
しかし、エヌ氏はあわてることなく受話器をとって、かかってきた相手と話をした。あんなにかたくくっついていたのに、これはどういうことだ。友人は、幻覚でも見ているような気分で眺めた。そして、電話がすむなりエヌ氏に聞いた。
「どういうわけなのです」
「これが特徴なのですよ。すなわち、時限接着剤とでも呼ぶべき性能なのです。いまのは、五分間有効の種類でした。ぬってくっつけてから五分間は絶対にはなれませんが、その時間がすぎると、このように簡単にはなれるのです。もちろん、時間はいろいろ調節できます」
「なるほど。たしかに、これまでなかった性能のものですね。で、どんな利用面があるのですか」
エヌ氏は考えながら話した。
「完成したばかりで、それは今後の課題というわけですが、多方面に利用できると思います。たとえば住宅です。住宅というものは建てる前はよく考えたつもりでも、いざ住んでみると、さまざまな不便を感じ、建てなおしたくなるものです」
「そういえばそうですね」
「しかし、この接着剤で家を建てておげば、一年なら一年目に、好きなように改造できるわけです。土木工事でも同様、橋をかけてしまってから、もっと下流にかければよかったとか、美観に欠点があったなどとなっても、一年目につけかえられます。つまり、試験期間が持てるようになるのです。これこそ、流動的な未来社会にぴったりの接着剤です」
「経済的でもあるわけですね」
「もっと日常的なことでは、事務室や金庫の扉の鍵にも利用できましょう。退社時間から出社時間までの接着剤をぬっておけば、絶対に盗難にあいません」
「各種の用途があるものですな」
友人はすっかり感心した。その時、ドアをあけて、怪しげな人物が入ってきた。黒い眼鏡をかけ、手に刃物を持っている。その男は言った。
「いまの話は物かげですっかり聞いた。便利なものだな。その製法の書類を、こっちによこせ」
「いったい、あなたはだれだ」
「言わなくてもわかるだろう。悪党という分類にはいる者だ。それは悪事に使っても、大いに役に立ちそうだ。道にこぼせば、追跡のパトカーを好きな時間だけ、足どめさせることができる。塀に足場をくっつければ、どんな家でも、あとに証拠を残さず侵入することができるだろう」
「や、そんな利用方法も、あったわけか。こっちはひとがいいので、少しも気がつかなかった……」
エヌ氏はくやしがり、強盗はとくいになった。その相手のすきを見て、エヌ氏はビンのひとつを手にし、投げつけた。それは強盗の足もとで割れ、なかの接着剤がかたまり、足を床にくっつけた。靴のなかにも液が入ったらしく、いかにもがいても動けない。強盗は悲鳴をあげる。
「助けてくれ。もう悪いことはしない」
「いまさらそんなこと言っても、おそいよ。これが犯人逮捕にも使えるとは、新発見だ」
エヌ氏は警察に電話した。かけつけてきた警官は、犯人に手錠をかけながら、言った。
「妙なものでつかまえましたな」
「わたしの開発した、接着剤なのです」
「そうでしたか。さて、この犯人を連行したいのですが、どうしたらいいのですか」
警官は押したり引いたりしたが、犯人の足は床からはなれない。エヌ氏は言う。
「たまたま手にふれたビンを投げたのです。はて、どれぐらいの時間のやつだったかな。ところでこの強盗、どれくらいの刑を受けるのでしょうか」
「さあ、三年の懲役ぐらいでしょう」
と警官は答え、エヌ氏はビンの破片を調べてから言った。
「それはちょうどいい。これは三年間接着のものでした。つまり、三年間は絶対にはなれないのです」
「それはそれは……」
異例のことで警官は困ったが、連行のしようがない。また、裁判を開くことも、刑務所に送ることもできない。特例によって、犯人は刑をまぬがれた。
そのあとエヌ氏は部屋を少し改造し、強盗を受付け係にした。職場をはなれてなまけるわけにはいかず、忠実な受付けになった。いいかげんな働きだと食物をもらえないので、忠実ならざるをえない。強盗は夜になるとそこで横になって眠り、時々からだを洗い、毎日をすごす。好ましい生活ではないが、悪事のむくいで仕方のないことだ。また、三年を刑務所ですごすことを考えれば、大差ないといえるだろう。