「おい、二太郎。おまえ知っているだろう。このあいだ、町奉行の大岡越前守さまのなさった、三方一両損という名判決を……」
話しかけられた二太郎。これは少し抜けたところがある。首を振って、聞きかえす。
「知らねえ。なんのことだ」
「あきれたやつだ。あれだけ評判になったのにな。つまり、こうだ。道で、三両という大金を拾った男があった。落し主をさがしてとどけようと、仕事を休んで、一日がかりでたずねまわった」
「ばかなやつが、いるものだな。その金で、菓子でも買って食べてしまえばいいのだ。おれなら、そうする」
「そこが善人のあさはかさ、というわけだろう。その男、やっとさがしあてて、金を差し出す。しかし落し主は、おれの不注意だ、受け取るわけにはいかない。おまえにやる、と、こういうのだ」
「ばかなやつが、いるものだな。すなおに受け取って、菓子でも買って、食べてしまえばいいのだ」
二太郎、自分のことはたなにあげて、しきりと、ばかなやつだをくりかえす。七五郎は、説明をつづける。
「親切にとどけてやったのだ、受け取れ、と一方が言う。いや、落としたからには、おれの金ではない、受け取れないと、もう一方が言う。双方が、いじになって言い争う。大家さんが出てきても、おさまらない。だれの手にもおえず、ついに奉行所まで持ちこまれた」
「お奉行さまは、その三両をとりあげたか。おれだったらそうして……」
「菓子を買って、食べるというのだろう。だが、名奉行ともなると、そうもいかない。自分で一両を出し、二両ずつ二人に与えた。奉行さまは一両の損だ。また、三両の落し主は、二両もらって一両の損。三両の拾い主は、二両もらって一両の損。これで三方一両損というわけだ」
「そうなるかねえ……」
二太郎、指を折りながら何回もかぞえなおし、首をかしげる。しかし、やがてわかったのか、うなずき、しきりに感心しはじめた。ころを見て、七五郎が話を進める。
「そこで、おれはひとつ考えたのだが、どうだ、二人で組んで一両もうけようじゃないか」
「金になることなら、いつでも賛成だ。しかし、金もうけというものは、なぜだか知らんが、たやすくできないしくみになっている。どうやるのだ」
二太郎はあまり期待していない口調だが、七五郎は重大そうに、声をひそめて言う。
「つまりだ。おれたちの持ち物をあらいざらいに質に入れて、三両を作る。おまえがそれを、道に落とすというわけだ」
「とんでもない話だ。もったいない。なんでそんなことを……」
「おれがすぐ拾うから心配するな。そして、おまえにとどける。だが、おまえはそれを受け取らない。いいか、決して受け取るんじゃないぞ。そんなことをしたら、なにもかも、ぶちこわしだ」
「では、そうしておこう。それからどうするのだ」
「二人でどなりあっていると、仲裁にだれかくるだろう。それでもゆずらずにいると、奉行さまにきめてもらおうということになる。越前守さまが出てくる。しかし、すでに判例がある。一両出してくださるだろう」
「なるほど、やっとわかってきた」
「借金をかえして、一両残る。それを、山わけしようというわけだ。越前守さまだって、名奉行という体面に傷をつけたくない。また、そうそう判例をくつがえしては、法の精神に反する。気前よく出さざるをえないだろう」
と、これが作戦計画。検討してみても、理論上うまくゆくことは、まちがいない。二人は準備にとりかかる。のみこみの悪い二太郎に、会話のせりふを覚えさせるのがひと苦労だったが、なんとかこぎつけた。
質屋にたのみこんで、資金をつごうする。なかなか借りられないが、大家さんに保証人になってもらい、三両の金をやっとそろえ、実行開始。
すべて筋書きどおりに運び、奉行所に持ちこむことに成功した。
大岡越前守が出てきて、言う。
「これ両人、おもてをあげい。訴えのおもむき、よくわかった」
「おそれいります。では、早いところ、お願い申しあげます。こちらにもつごうがございますので……」
「しからば、判決を申し渡す。両人の金銭をめぐるみにくき争い、まことにふとどきである。よって、諸人のみせしめのため、打ち首にいたす」
それを聞いて、二人はあわてた。一両もうけそこなうどころか、打ち首とは。七五郎が言う。
「とんでもない。これはきっと、なにかのまちがいでしょう。あんまりです。それでは話がちがう……」
それとなく、前の判決を思い出してくださいよと、さいそくする。越前守は、おごそかな声で言った。
「たしかに、以前はべつな判決を申し渡したことがあった。しかし、考えてみると、あれはあやまりであった。職務上のまちがいは、この越前守、切腹してその責任をとることにいたす。されど役目がら、おまえたちの打ち首を、みとどけてからにしなければならない」
二人は泣き叫んだ。お奉行さまがいっしょに死んでくれるといっても、生きているほうが、はるかにいい。
「命ばかりはお助けください。悪うございました。訴えはとり下げますから、なかったことにしておいてください……」
つきそった者たちも、口々に嘆願する。なかでも七五郎の家主は、質屋から金を借りる時の保証人になっているので、とくに熱心。この成り行きしだいでは、三両を没収ということにもなりかねない。
越前守はやがてうなずく。
「許しがたき罪ではあるが、心から反省し、それほどに申すのならば、いまの判決は取り消すことにいたそう。二度と、このようなさわぎを持ちこむでないぞ。早々に帰れ……」
ほっとしたものの、あてがはずれた二太郎、ぶつぶつ言う。
「やれやれ、なんということだ。ひや汗をかいてしまった。なにが名判決だ……」
それを耳にした越前守は、にやにや笑いながら解説を加えた。
「いいか、よく考えろ。おまえら両人は、打ち首になるところを助かったのだぞ。また、この越前守も、切腹をしないですんだのだ。すなわち、三人とも命を助かったのである。三方|命得《いのちどく》となるであろう。命のねだんは、金にはかえられない。こんな大もうけは、ないはずである。けだし名判決というべきではなかろうか」