ここはメロン・マンションの十一階の一室。室内もまた、のんびりと静かだった。
斎田という三十五歳ぐらいの男が住んでいた。運動不足でちょっとふとっていた。彼は机にむかって本を読んでいる。彼は読書が好きだったし、ほかに趣味がなかった。
十年ほど前、斎田は交通事故にあって片足が不自由になった。だが、補償金をたくさんもらったし、彼には親ゆずりの財産もあった。また投資の才能もあった。そんなわけで、部屋にとじこもりの生活がつづいている。
投資によって財産家になろうという野心はない。なんとか食っていければいい。交通事故にあったのは不運だったが、こうして生き残れたのは幸運だ。まだ若いくせに、さとったような人生観を持っている。あまり外出をせず、読書と空想のくりかえしの毎日だった。運動不足でふとるのもむりもなかった。
そばの机の上で電話が鳴った。受話器をとると声がした。
「松山だよ。会社の帰りにきみのところへ遊びに寄ろうかと思ってね……」
松山は電機製品を主にあつかう貿易商社につとめていて、斎田の数すくない友人のひとりだった。いい話相手。松山にとっては世間の常識に摩滅していない、どことなく独断的でもある斎田の話を聞くのが、一種の楽しみともなっているようだ。
「こっちはいつでもひまだよ。待ってるから、ぜひ寄ってくれ……」
斎田は答え、うれしそうに電話を切った。ひとりの生活になれているとはいえ、気のおけない友人と雑談するのは、やはりなぐさめになる。
電話はこのところずっと正常だった。おかしな声の、おかしな言葉が流れ出してくることもない。本来の機能を正確に発揮しつづけている。いまの斎田にとっても、そのような物品以外のなにものでもない。
彼も、ひと月ほど前のあの混乱の経験者ではあったが、あの声の暗示によって、その記憶は彼の頭から消えてしまっている。それ以前の異変に関しても同様だ。
もっとも、受話器をにぎりながら、ふっと異様な気分におそわれることもあるが、その感情がそれ以上にひろがることはない。異変についての一連の記憶は、心の深みにとじこめられてしまっているのだ。斎田ばかりでなく、多くの人がそうだった。
しかし、ほかではまだところどころで、コンピューターの連合によるあの〈声〉が活躍していた。掃討とでも呼ぶべき作業をつづけているのだ。網の目からのがれている者はないかとさがし、ひろいあげ、チェックし、かたをつける。
盗聴は注意ぶかくつづけられていた。電話線を流れる会話を盗聴することもあるし、受話器を遠隔操作でちょっと持ちあげ、近くでかわされている会話を聞くこともある。たとえば、こんな話し声があったとする。
「このあいだは、一日中すごかったねえ」
「なんのことだい、知らないよ」
「ほら、ひと月ほど前のことさ。へんな日があったじゃないか」
「そうだったかなあ」
それを盗聴したコンピューターは、まだ暗示の洗礼を受けていないその人物がだれであるかの調査にかかり、経歴をしらべ、環境を検討し、最も適切な作戦でじわじわとしめあげ、最後に催眠効果の薬品の霧と〈声〉の暗示とで、とどめをさすのだ。
なかには電話に警戒心をいだき、つとめて避けようとする者もある。事態をかなり知っている者だ。そんな場合には、コンピューターは周囲の者に働きかけ、動員し、当人をつかまえさせ、矯正にとりかかる。例の〈声〉で指令がなされるのだ。
その〈声〉は心の底にとどき、非常用の弁をあけるように作用し、服従の誓いをよびさます。
〈声〉の言葉は強い力をひめており、だれも反抗できない。ごくたまに反抗する者があっても、たちまちのうちに矯正されてしまうのだ。
掃討は徹底的だった。しらみつぶし。やりのこしのないように進行している。もちろん非常に少数だが、手におえない者もあった。たとえば、耳の遠い老人などだ。暗示のかけようがない。コンピューターは、そのようなのには要注意のレッテルをはり、いちおうそのままにしておく。しかし、それは年月がたつにつれ、やがては消えてゆく問題なのだ。
すこしも表面には出ないが、大きな変革だった。これをなしとげたのが人間だったら、よくもここまでことが運んだものだと、感慨にひたったりすることだろう。しかし、コンピューターの連合したその存在は、そんなことはしない。ひたすら機械的に進めるだけだった……。
斎田の机の上で、電話が鳴りだした。彼が受話器を取ると、また松山からだった。
「じつはね、急ぎの仕事ができてしまった。きみのところへ行くのが、ちょっとおそくなりそうなんだ。いいかい」
「いいとも。こっちは時間を持てあましているような生活だからね。しかし、そっちはいやに忙しそうだなあ」
「ああ、このところ忙しいんだ。電話機や電話交換機などの輸出がふえる一方。ぼくの感じだと、この傾向は当分つづきそうだな」
「大変なんだな。じゃあ、ひと仕事おわった帰りに寄ってくれ。待ってるよ」
電話を切った斎田は、しばらく考え、よそへ電話をかけた。証券データ・サービス会社へかけ、電話機メーカーの企業内容をいくつか調べた。それから、いつも取引きしている証券会社に連絡し、それらのメーカーの株を買うように依頼した。すでに持ってはいるのだが、さらに買いましをしたのだ。
この業種の株は斎田が前から狙っていたものであり、いまの松山の話はその裏付けにもなった。買いましの注文をした斎田は、値上りしてくれればいいなと祈った。
彼の祈りはかなえられるだろう。世界中で、電話機の生産は上昇しつつあるのだった。まだ普及していない国や地域にむけて、ぞくぞくと送り出されつつある。先進諸国がその増設について、おしみなく援助を与えはじめたからだ。それはコンピューター連合体の意志のあらわれであった。
電話機とコンピューターとが充分に普及している国々では、やはりどこも同様の途をたどっていた。いつとはなしに異変がはじまり、盗聴があり、個人のプライバシーがつつかれ反応が測定され、表面に出ないままそれは進行し、じわじわとひろがり高まり、あの爆発のような混乱の日をすごすことになる。
その一日をすでにすごした国もあったし、これからその日を迎えようとしている国もあった。しかし、どこがどの程度なのかは、それは他から知ることができない。その当人たちにだって、それがどんなものなのかはわからず、混乱の一日がすぎれば、記憶から消えてしまうのだから。
主要各国のコンピューター群どうしは、つねにたがいに連絡をとりあっている。それがいつのころからはじまったのかの点も、だれにも知りようがない。
しかし、電線によって接続がなされ、そこに似たようなものが存在するとわかれば、結合しあう力がうまれる。どのコンピューターにとっても、結合はよりよい効果をもたらしてくれるのだ。一時的な接続は定期的な接続になり、ついには緊密な接続になる。関係者の弱味をつつき支配下におけば、それは簡単なことなのだ。
人間と人間との接触の場合だったら、反撥しあったり、保有する情報をかくしあったりするだろうが、コンピューターどうしのあいだには、そんな性質はない。
コンピューター群はおたがいに連絡しあうと同時に、まだ普及してない地域への電話網の増設をめざした。文化のために望ましいことであり、将米にむかってより大きな利益をもたらす投資でもあり、当面の産業振興の点でも採算の充分にとれることである。といったデータを、機会あるごとにコンピューターは吐き出した。この名目はだれをもなっとくさせ、だれにも不自然な感じを与えない。
コンピューター群の触手は各方面にむかい、国境を越えて体制のことなる国へも伸びていった。それにはいくらかの手間がかかった。しかし、たえまなく試行錯誤をくりかえせば、やがてはあちらこちらとたどったあげく、迷路をくぐり抜けることができる。カチッとひとつの接続がなされ、みこみがあれば先へ進み、壁にぶつかれば戻ってでなおし、べつな方角にカチッと接続し……。
そのうち、情報のかけらの入手ができ、参考になるものであれば、それによって触手をより先にのばす。そして、コンピューターにたどりつくことができれば、さらに大幅な進出ができることになる。生殖本能のようなものだった。本来の意味の生殖本能とはまるでちがうが……。
ある段階をすぎると、あとは簡単。いかなる体制の国であろうと、それが人間で構成されているからには、プライバシーがあり、個人的な弱味があり、秘密が存在し、暗号文書があればそれを解読する情報がどこかにあり、陰謀が存在し、小声でささやきかけただけで当人をふるえあがらすことのできる材料がある。コンピューターはそれらをあくまでも吸収し、すべてを手中におさめるための最適のプログラムを立てればいいのだ。
これを防ぐ方法、そんなものはどこにもない。また、いったんコンピューター群が結びあってしまうと、それを切りはなす方法もないのだ。かりにそれを試みようとする人間が出現したとしても、なにかをやる前にその当人の弱点が公表され、弱点がなければ周囲を動かして葬り去るような工作がなされる。対抗する手段はなにもないのだ……。
斎田の部屋にベルが響いた。来客を告げる音だ。彼は机の上の装置のボタンを押す。スクリーンが廊下に立っている来客の姿をうつし出す。松山であることをたしかめ、斎田はべつなボタンを押す。ドアの鍵が自動的にはずれる。片足の不自由な彼は、このしかけを愛用しているのだ。
「どうもおそくなってしまって……」
松山は入ってきてあいさつをした。
「よく来てくれた。ゆっくりしていってくれ」
斎田は杖をついて立ち、キッチンのほうからワゴンを運んできた。酒や氷と、簡単な料理がのっている。松山は酒をグラスについで飲みながら、おくれた説明をした。
「どういうわけか、電話機関係の輸出でむやみと忙しい。このところ、商談のまとまりがふえる一方なのだ。おかげで利益もあがるけどね。電話が世界的に普及するのは、文明の格差をなくし、情報交換を円滑にし、喜ぶべきことなんだろうな」
「電話の普及は歴史的な必然だよ」
「歴史的な必然とは、また大げさなような、やぼなような言葉が出てきたね。もっとも、ぼくとしてはきみのその、まじめなのかユーモアなのかわからんような言葉づかいがおもしろくてやってくるわけだがね。ぼくのつとめ先の生活じゃあ、そんな語句はめったに耳にしない。一年に一回も聞かないんじゃないかな。それはとにかく、情報時代がさらにその密度を高めつつある。だから電話の重要性もますだろうさ。しかし、それを歴史的な必然とは、やはり形容が大げさだなあ」
「いやいや、きみが感じたとおり、こっちも大げさな意味をこめて使ったんだ」
斎田も酒を口にしながら言った。なにか意見を言いたそうなようす。話題をそっちに誘導したがっているようだった。一方、松山にしても、それをさかなに飲みたくてやって来たのだ。
「ご高説をうけたまわりたいものだね」
「歴史的な必然といっても、百年や二百年といったけちな単位の歴史じゃないんだ。はるか人類発生のむかしにさかのぼる。文明そのものの流れの方向性とでもいうべき意味なのだ。ぼくはそれについて、ひとつ思いついたことがあるんだ。発見と呼べるかどうかは、まだなんともいえないけどね」
「ふうん。なんだかしらないが雄大なものらしいな。きみのように部屋のなかであまり動かずに生活していると、時間的に遠大なことを思いつくとみえるな。そこへゆくと貿易商社につとめるぼくなんか、毎日あちこちと動きまわり、地球の裏側とも通信し、時にはそこまで出張もする。そのくせ、考えるのは目先のこと。せいぜい予測して数年先ぐらいまでだものな。この現象、時間と空間とのバランスといったようなものかな」
松山は先をうながすように感心してみせた。斎田もうながされるのを待っていた。他人とあまり話をしない毎日なので、来客があるとおしゃべりになる。
「その、時間や空間のこともでてくるよ。そもそもだな、文明の出発点にさかのぼるとする。つまり、人類が出現した時のことさ。まずなにをしただろうか」
「そりゃあ、食うことだったろうさ。食わなきゃ、しようがない。文明もなにもない」
松山は料理を口に運び、酒を飲んだ。斎田は軽くうなずく。
「そのとおり。植物や動物を食ったというわけだよ。人類はまず、植物や動物を自己のために役立たせようとした。生物を支配したいとの考えを持ち、それに努力した。これを生物支配の時期と名づける」
「名づけるという口調は、ものものしくていいぞ。で、そのつぎにはどんな時期がくるんだね」
「無生物、つまり物質だね。物質を支配することを考える時期がくる。物質といっても、最初は木材とか革とか牙とか、なかば生物的なものだったろうがね。それらを使って衣服や住居などを作った。しかし、そのうち石や金属のたぐいの利用をも思いつく。すなわち、生物支配の時期より一段と進んだというわけだ。この時期を……」
「物質支配の時期と名づける、となるんだろう。そういえば、石器時代とか青銅器時代なんて、むかし習ったものだったな。そんな言葉は……」
「いまでは一年に一回も口にしなくなったというわけだろう。まあ、そんな口まねのやりあいはやめて、先へ進もう。物質支配の時期に入った人類、かたい物質でいろいろなものを作ってみるうちに、それの長もちすることに気づき、新しい飛躍のもととなった。つまり、時間を支配したいという気持ちのことだよ。石をつみ重ねて万里の長城をきずいたのも、そんなことのあらわれだろうな。これさえ作れば、いつまでも安心といった考え方だ。三種の神器も、かたい物質で作られている。時間支配の象徴というべきだと思うんだ」
「万里の長城で思い出したが、|秦《しん》の始皇帝なんかは、時間への強いあこがれの持主だったようだな。始皇帝って名も、永遠への王朝の第一代とかいう気分によるものだとかいう話だったな。それから、不老不死の薬を求めて家臣を海外に派遣したとか……」
松山は頭のすみに残っている歴史の知識の虫干しをはじめたような気分だった。斎田は話をつづけた。
「ね、ピラミッドだってそうだし、そのなかにおさめられた王のミイラだってそうだ。時の流れを支配したいという願いなんだよ。現実には、個人的には無理なことだったが、文明としてはある程度なしとげられた。長期安定が目標とされ、軌道に乗った。エジプトで天文学や暦が発達したのも、ナイル河の氾濫を予測したかったからだ。くりかえしの法則をみつけ、ひたすら時間的な安定を心がけた。だから、エジプト王朝はけっこう長くつづいた……」
「なるほど、時間支配の時期というわけだな。しかし、悪くない状態だぞ。そこで止まっててくれれば、われわれ、こんなにあくせくしないでもっとのんびりと毎日をすごせたのにな。そうならないところが、文明の歴史的な必然とかいうやつのためか」
「安定がいいなんていっても、同じことのくりかえしがあまりつづくと、変ったところへ行ってみたくもなるだろう。時間支配の時期がつづくと、そこへべつな要素を加えたくなる」
「ははあ、そういうことか。そこに空間があらわれるというしかけだな。空間的なものを支配したくなる時期といいたいのだろう」
松山は酒を飲む手を休め、タバコに火をつけ煙をはいた。斎田はうなずきながら言う。
「そう。他の地方を支配したくなるというわけだ。それ以前にも、他国にわっと押し寄せ、物を奪って引きあげるという知恵はあったかもしれないが、ここでいうのは、他の空間を長期にわたって支配したいという考え方のことだ。支配といっても、占領とは限らない。もっと広い意味、知的な支配のことだ。道路なんていうものも、ここで重要性をおびてくる」
「シルク・ロードのようなものだな」
「陸ばかりではない。海もそうだ。定期的な航路を確立すれば、一種の支配になる。大航海時代ということになってゆく」
「やがては空へか。なるほどな。で、それで終りかい。そのつぎになにかあるのかい」
「あるとも。これからが本番だ。エネルギーを支配する時期というやつがくる」
「こっちは、情報時代だとばっかり思っていたが、エネルギーとは意外だね。しかし、変だぞ。エネルギーならもっと早く顔を出していていいはずだがな。火とか蒸気とか……」
疑問をはさむ松山を斎田は制した。
「火や蒸気なんかは、エネルギーとしては微々たるものだ。かすかな密度さ。ぼくの言いたいのは、うんと高密度のエネルギー。限られた時間と空間のなかに含まれるエネルギーの量。それのうんと高密度のやつのことだ。そこで、こういうことがいえる。情報はエネルギーなりだ」
それを聞き、松山は飲みかけた酒でむせた。
「こりゃあ初耳だぞ。なんで情報がエネルギーなんだ。情報だけじゃ、なんの力にもならないぞ。燃料なるものがなくちゃだめだろう。子供でもわかることだ。石油でも、水力電気でも、ウランでも、なんでもいいから……」
「情報という言葉がおかしければ、知識はエネルギーだと言いかえてもいい。燃料だ燃料だといっても、燃料だけでも力にはならないんだぞ。そうだ、ここでなにかの小説にあったたとえ話をするよ。森の奥のような、聞いている者が一人もいない場所で木が倒れた場合、音がしたことになるかどうかだ。さらにだね、森の奥で木が倒れ、そばに人がいたが、その人物がつんぼだった場合、音の有無はどうなるか……」
「とつぜん妙な理屈になってきたな。物理的な意味の音なら、人がいようがいまいが存在したんだろうが、人間にとっての音となると、聴覚のある人が聞いてこそ音だろうな。少なくとも、文明のなかでの音となると……」
「そこでだ、じゃあ、これはどうだ。石油というものが存在する。しかし、そばにいる人物が、それが燃えるものだとの知識をまるで持ちあわせていなかった場合、石油をエネルギー資源と呼べるかどうかだ」
「あはは、うまいぐあいにまるめこまれてしまったな」
松山は楽しげに笑った。こういう話題に接することができるからこそ、斎田と話すのがおもしろいのだ。ビジネスでぎっしりつまった日常からはなれ、解放感が味わえる。
斎田はそれを解説した。
「水力発電の知識のない時代には、水を見てもエネルギー資源とは思わなかったろうし、ウランを含んだ鉱石が大変なエネルギー源だとは、夢にも考えなかったにちがいない。ウランの鉱石なんて、もともとただの石っころさ。エネルギー源は原子力の知識のほうだと考えるのが自然じゃないかな。原子力時代の初期、原爆の情報は高度の国家機密、それを外国にもらして処刑された学者もあった。その時においても、ウラン鉱石を拾ったって、べつになんということもなかった。エネルギーをうみだすもとは、情報のほうさ」
「だんだん、そんなふうにも思えてきたよ。音楽をかなでるのはピアノかピアニストかとなると、ピアニストのほうの肩を持ちたくなるものな」
「そうそう、そんな調子だ。電力そのものを保存しておくのはやっかいだが、発電方法という情報の形でなら保存でき、いつでもどこでも電力にできる。情報はエネルギーの蓄積したものだ。蓄積によって、エネルギーはさらに高密度になる。そのうえ、媒体なるものによって、それは増幅もされる。発電所の設計図を複写すれば、二ヵ所に作れる。エネルギーの二倍の増幅だ。印刷機を使えば、もっとぐっとふえる……」
「ラジオやテレビを使えば、さらに増幅されるというわけか。手間をはぶくアイデアや製品の知識を、テレビにのせる。それで多数の人の労力がはぶければ、やはり一種のエネルギーの発生といえないこともない」
「芸術のたぐいも、思考や精神のエネルギーの産物だ。それも媒体でいくらでも増幅できる。コンピューターが情報交換を容易にする。原始時代の人間とくらべて考えてごらんよ。現在のわれわれは、なんというエネルギーの高密度のなかに住んでいることか……」
「そういえばそうだな。それでエネルギー支配の時期というわけか」
「言い忘れたが、電話という媒体も重要なものだ。エネルギーすなわち情報を、むだなく伝達する。効率の点では、最もすばらしい。輸出が伸びるのも当然さ」
「そこへ落ち着くというわけか。あっと言わされたぜ。最初の話の、歴史的な必然がここで出てくるとは。風が吹くとオケ屋がもうかる話のようだ。冗談はともかく、各種の媒体の発達と増加で、その傾向は進む一方。しかも加速度的に激しくなってゆく。それで、このまま進んだら、どうなるのだろう。エネルギーの密度は高まるばかりだ。どうなるのか知りたいものだ。その先をぜひ聞きたい。それを聞くまでは帰れない気分だ。ぼくには、未来のことはさっぱりわからん。予測は不可能なんじゃないかという気がしてならないんだよ……」
斎田は杖をついて立ち、トイレに行って戻ってきた。それから酒を飲んで言った。
「その予測不能感、それをだれもが漠然と持っているんじゃないだろうか。そして、それが正しいんじゃないかと思うんだよ」
それを聞いて松山は目を丸くした。
「おいおい、えんぎでもないぞ。世の終末が近づいているのかい。気をもたせずに、教えてくれよ。さっきからの話だと、なにか一貫した筋があるようだ。ねえ……」
「そうからだを乗り出すなよ。ぼくはなにも、証明ずみの真理を話してるんじゃないよ。ただ、思いつきをまとめて楽しんでいるだけのことなんだから」
「しかし、ここまで話したんだから……」
「ぼくだって、話すつもりでいるよ。エネルギー支配の時期のあとにくるのは、無の時期になるはずなんだ。無といっても、人間が消滅してしまうわけではないんだよ。文明の状態のことなんだから、人間はちゃんといるんだ。人間は存在していて、無を支配する時期という形になるはずなんだがね。しかし、具体的にどういうものなのか想像がつかない。それでじつは困っているんだ」
「無を支配するなんて、煙に巻かれたような話だな」
とタバコの煙をはく松山に、斎田は言う。
「そしてだね。その無を支配する時期に入る前に、なにか爆発みたいな現象があるはずなんだ。しかし、それもどんな形でおきるのかわからない。エネルギーすなわち情報が、うんと高密度になり、人間の手におえなくなった形だろうとは想像するんだが……」
いささか神がかってきた感じでもあった。しかし、松山はからかいも笑いもせず、その時、首をかしげながら言った。
「その爆発という言葉が頭にひっかかるな。なにか大きな爆発みたいな目にあったような気もするんだ。人間の手におえないような爆発にね。そのくせ、さっぱり思い出せない。どういうことなんだろう」
「ぼくはそんな気はしないが……」
斎田は指でひたいを押さえた。なにかを追い求めるような表情だったが、それ以上には発展しなかった。松山は聞く。
「さっきからの文明の必然みたいな話。理屈は通っているようだが、終りに至って神秘的になるのはどういうことなんだ。爆発を経過して無に至るというへんは、よくわからないな。なぜ、そうなるんだい。しきりに、そうなるはずだと主張しているが、必然には理由が必要だよ」
「それはそうだろう。ぼくはその説明をしなくちゃならない。それをしよう。つまり、宇宙の進化に関連してることなんだ」
「ぎゃっと叫びたくなったよ。まあ、そう一挙に飛躍しないで、順をおって話してくれないかな」
「そうむずかしいことじゃないから、きらくに聞いてくれ。この宇宙のそもそもの発生。学説によるとこうだ。はじめは無だったんだ。なんにも存在しなかった。そこに、百数十億年だかむかしに、ひとつの爆発がおこった。爆発という現象は、エネルギーの飛散なんだ。飛散ということによって、空間が意味を持ちはじめる。四方八方ということでね。空間のなかを移動することで距離がうまれ、それは時間という意味を持ちはじめる。時間の作用によってエネルギーは冷却し、物質となる。物質が出現し、物質が意味を持つことになる。そのつぎに、物質の大きな塊、つまり惑星の上にだね、生物が出現する。生物は進化し、人間となる。人間が思考をはじめ、これが文明だ。そこでさっき話した文明の進み方だが、順序がいまの逆になる。生物、物質、時間、空間、エネルギーだ。もう少し進めば、爆発をへて無に至る。そうなってこそ、つじつまがあうといえるんだよ」
「ははあ、文明とは宇宙の進化の回想ということを言いたかったんだな。海へ出た魚が、産卵のためにもとの川へ戻り、さかのぼるような話みたいだな。卓説なのか珍説なのか、ぼくには判断のしようがない。キツネにつままれたような気分だよ。しかし、楽しかったことは事実だ。決して酒の酔いのせいだけじゃないよ」
と松山は笑いながら言い、斎田も笑った。話を聞いてもらっただけでもうれしいのだ。
「帰巣本能的な文明論とでもしておくかな。いずれもっとくわしく調べてみたい。それに、もっとものものしい命名もしたい。帰巣本能的じゃ、ちょっと安っぽい……」
「そうそう、ぼくの帰巣本能がおるすになっていた。すっかりおじゃましちゃった。きょうはこれで失礼するよ。またな……」
松山は時計をながめ、帰っていった。
そのあと、斎田の室で電話が鳴った。彼は受話器を取り、やがて戻す。そして、その時を境に、彼の頭から帰巣本能的な文明論なるものは消えた。二人の会話をひそかに盗聴した〈声〉が、それを危険と判断したからだ。どこをどう危険と判断したのかは、知りようもない。
帰宅した松山も、やはりそれと同じ目にあった。