ここから悪戦苦闘の日々と僕達の二人三脚が始まった。神経の麻痺は怪物だった。感覚が分からなければ訓練が進まない。自立への道は至難の業だ。それでも、人間の底知れぬ力を信じて一つひとつ立ち向かった。
その後、数々の奇跡が起きた。僕の中で一番の勲章は、漢検三級に合格したことだ。これには医師も驚嘆した。苦労したのは、鉛筆を握ること。直線や曲線・止めやはねやはらい・消しゴムなどで、欄に記入する時は息を止めて書いた。
小学校入学時から毎日三時間文字練習し、小五で大きな字をテストに書けるようになり、中二から漢検に挑戦し始めた。
十級から四級まではスムーズに合格できたが三級で挫折した。精一杯努力して書いた字が認められなかったからだ。そんな僕の心を繋ぎ合わせてくれたのは「成長のチャンスだよ。」という母の言葉だった。そして体幹を鍛え続けた。
だが二回目も落ちた。僕は砂漠に置き去りにされた気分で、途方に暮れた。そんな僕に母は「ここで諦めたら今までの努力が水の泡だよ!自分で決めたことは最後までやり通せ!」と叱咤激励した。悔しくて奮起した僕は、腹筋五百回を熟し、合格を手にした。
僕と母は譲れない想いをぶつけ合い、涙のエネルギーを笑顔に変えた。言葉では語り尽くせない、壮絶な戦いから生まれた絆だ。
現在も自立訓練を続けながら、共生社会やバリアフリーをテーマにボランティア活動をしている。僕の背負った荷物が、少しずつ幸せに変わる、そんな未来を信じているから!