ライトがおちて誰かがシャンソンを歌っている。まだ宵のスナックの椅子。目をとじて私は自分の眼のことを思っていた。
「この齢までもうよく見て来たからね、要らないんです。目玉なんて一つあれば結構さ」
「腎臓でも何でも二つあるものはみんなあげます。アイバンクに登録はしてあるんだけどあれは死んでからだな。生体から生体への角膜移植はどうなんだろう……出来ない筈はないですよ」
「必要なときは言ってください。酔狂でこんなことを言ってるんじゃない、本気です」
女の子が熱いおしぼりを出してくれて、はじめて私は涙で顔がぐしょぐしょなのを知った。その声はずっと遠くから聞こえてくるようであった。
「さあこっち向いて。涙を拭いて。元気を出してくださいよ。こんな汚ない眼ではイヤですか。でもあなたにはぼく以上に目が必要なんだからね、この目玉で我慢して使ってほしい」
隣りの席のその人は強いまなざしを私に当てて話している。みじんの嘘もない二つの眼。私は絶句した。
昔、頭の上に胃袋をのせて歩いている胃ぐすりのコマーシャルがあった。人に弱音を吐くほどみっともないことはない。でも、その日私はうすくらがりの階段で足をふみはずし、フェスティバルのプログラムも交換の名刺も読めず、ライトにくらんだ涙目では人の顔もさだかでなく、ずいぶんと失礼を重ねたあげく「ごめんなさい」と、まわりの人に事情を打ちあけたのである。つまり私は、一年の余も角膜の病いに悩んでいた。目玉を二つ頭にのせて歩いていたのであった。一日として晴れた日はなく、それを人にさとられまいとして、パーティーや講演旅行にも積極的に出かけた一年であった。
朝、小鳥が啼いている。もしかして今日はパッと目が見えるのではないか。夢の中ではあんなに鮮明だった風景。なのに私は快晴の霧の中へ起きあがらざるを得なかった。
四、五人連れでスナックへ来たのも、その人たちのあたたかい心に素直に従いたかったのである。私は「眼をあげる」と言ってくれた人のことを誰にも話さない。話せば酒の上の冗談を真に受けた馬鹿な女と、いいカッコをした男として笑われるだけだから──。私は何と笑われてもよいが「その人」が汚れる。真心と言葉をありがとう。その言葉から私は生きる力をもらった。
地の橇《そり》や眼の欲しい子に眼をあげに
若いころに作った机上の句が恥ずかしい。
一点をみつめておれば死ねそうな
眼の病いすすむ夢見の美しさ
躍り出た男だまって眼を呉れる
たんぽぽがはっきり見えてうれしがる
眼の病いすすむ夢見の美しさ
躍り出た男だまって眼を呉れる
たんぽぽがはっきり見えてうれしがる