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言葉をください21

时间: 2020-05-15    进入日语论坛
核心提示:樹もまた問いぬ木でなくて樹と書くとき、私はそこに人間を感じてしまう。新潟の十日町を訪ねた折だったと思う。汽車の窓から手を
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樹もまた問いぬ

木でなくて樹と書くとき、私はそこに人間を感じてしまう。
新潟の十日町を訪ねた折だったと思う。汽車の窓から手を出せば届きそうなところに林檎《りんご》の樹をみつけたときのあの感激。それから冬の乏しい景色の中に見る緑の葉も濃い大きな蜜柑《みかん》、あれも正に黄金の絵である。柿は見慣れてしまったが、梨や桃もきっと近寄れば人間の樹であろうと思う。さくらんぼの樹はまだ知らないが、あの樹から朝は満腹の雀が一斉にとび立つのであろうと想うだけで私は不思議の国のアリスになれる。梅はどういうわけか親しめない。曲がりくねった枝のせいか背の低さか知らないが、節くれ立ったおじいさんの手に突如として赤児の爪が生える花もさりながら、青い実もまた棹竹《さおだけ》で薙《な》ぎはらってやりたくなるのだ。おじいさんの手には部厚い筋の入った大きな爪が似合うし、あのシブコブとした木には黒南瓜《かぼちや》が生《な》らねばならぬ筈だ。
ポプラや銀杏はいかにも夏から秋の人間でスマートでいさぎよい。プラタナスの裸木、あれは苦労の象徴で、青い葉が噴き出すとホッとしたりする。苦労人間といえば松もそうだが、これはどこかに武士という気位が見えておもしろくない。一枚の葉もないくせに忽然とひらく木蓮は魔法使いの妖しさがある。
名は忘れたが幼いころのわが家の庭に、根っこが一つで中途から二股に分かれた樹があって、片方だけが赤い実をつけた。腰から下を縛られた夫婦が雨戸を繰るたびに現われて、私はこの樹がこわかった。片方が死ぬのを待つしかない宿命の夫婦の樹は、今も私を支配しているようでおぞましい。
女の子が生まれると桐の木を植えた。この木とこの子、共にすくすく伸びて、お嫁入りには桐のタンスになるのだと聞かされたが、私は桐の木がまだ樹とならない年に家を放り出された人形だった。
欅《けやき》、椋《むく》、杉、そうそう栗の樹ほどその花その実があの樹にふさわしいものはないだろう。少しヤクザで、ゆさぶれば笑いながら三ツ児の実を落としてくれる。「そうら痛いぞォ」、指の血を吸う子供らに投げられるシャガレ声がまたよかったな。
樹は老いてゆくから人間くさくて好きだ。樹は話を聞いてくれるし語ってもくれる。
祈りかな大樹に迷いこむ蛍
道のやさしさ樹があって木がありぬ
静けさよ月光すでに樹と通じ
水平に歳月流れ樹も老いぬ
あの人もこの人も死ぬさるすべり
さらさらと青い葉が降る別れかな
樹に齢を問いぬ樹もまた吾に問いぬ
「お互いにいい齢になって出会ってよかったですね。若かったら何をしでかした事やら」
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