千年も昔から村人たちが共有している山だ
山には
馥郁とした少し湿っぽい匂いが漂っている
山桜やうるしの葉っぱ
うぐいすや蝉や野良猫達の骸
それらのものが朽ちて大地へと還った匂いだ
完璧な死は芳しい
わたしが子供の頃
村には春さんと言うばあさまが暮らしていた
孫の嫁になるおなごはおらんかなあ 春さんは姉さんかぶりをほどきながら言った
村では 嫁捜しは女の仕事だ
ある日春さんは
元気で働きものの嫁を捜すために
アルミの弁当箱に焼きお握りをつめると
わらじを履いて熊坂山を越えて行った
春さんはそれっきり帰らなかった
丸々と太った娘さんが
春さん家の戸を叩いたのは
一カ月ほど過ぎた頃のことだったろうか
今年の夏祭りの宵 春さんの玄孫がうまれた
赤ん坊からは乳の匂いに混じって
馥郁とした山の匂いが漂ってきた
熊坂山の霊気は人間の若さを厭う
夢を追いかける心は山の深い眠りを妨げる
溢れるエネルギーは木々のさやぎを濁らせる
嬌声などもってのほかだ
七十歳を過ぎたわたしは
ふんわりと山に抱かれるようになった
大樹の下に腰をおろす
痩せて水分を失ったからだに
点滴のような木漏れ日は落ちてきて
体内に霊気が
ゆっくりと ゆっくりと 蓄えられてゆく
空をとんびが鳴きながら旋回する
わたしももうすぐ 山になる