ファン(41)
古本屋に行って、偶々、自分の本が書棚にあるのを見るのは、作家にとってあまり気持ちのいいものではない。
特にそれが力をこめて書いた作品であると、
(どうして、いつまでも愛読してくれなかったのか)
という不満が一寸、心に起るのは止むを得ない。
自惚れるなと自分で言い聞かせてみるが、これは私だけでなく、すべての作家の気持であろう。
逆に新本屋に行って、たまたま、私の著書を買ってくれている人を目撃すると、非常に嬉しい気のするのも人情であろう。その人の本に悦んでサインをしたい衝動にかられるぐらいである。
逆に、しばらく私の本を取り出して、考えこんで、迷った揚句、また書棚に戻し、その隣のある別の本を買ってしまう読者をみると、
(チェッ)
と舌打ちをするのも当然の話だ。
作家など、聖人でも悟りをひらいた男でもないから、このくらいの感情は許してもらいたい。いつだったか、こんなことがあった。
Tホテルのティー?ルームでお茶をのんでいたら、一人の青年がつかつかと寄ってきて、「あの?????遠藤さんでしょうか」と声をかけてきた。
私は自分の読者だと思ったから、平生の仏頂面を捨てて、出来るだけ愛想よく、
「ええ、そうですよ」
「あの?????二十ほど、お話していいでしょうか」
「どうぞ、どうぞ」
ファンは大事にせねばならぬ。私はボーイをよび、紅茶をもう一つ、彼のため注文してやったのである。 ところが、この青年、
「遠藤さんは、北杜夫さんをよくご存知だそうですね」
「ええ、よく知っています」
「ぼくは、北さんの大ファンなんです。ですから北さんの話、聞かせて下さい。あの人は実生活でもあんなに楽しい人ですか。本を読むと実は魅力的ですねえ」
私のとってやった紅茶を飲みながら北、北と北の話ばかりする。
(チェツ)
真実、私は胸中、舌打ちした。この紅茶代、北にまわしてやろうかと思ったぐらいだ。
「北さんて写真でも魅力的ですね」
「そうですかね」
こちらは次第に仏頂面になっていく。
「あの人のマンボウもの、全部、持っているんです」
「そうですかね」
「実に、品のあるユーモアです」
「へえ。そうですかね」
「じや、ぼく、失礼しますけど」
紅茶を飲みおわると彼は礼儀正しく頭をさげて、
「ごちそうさまでした。どうぞ、北さんにお会いになったら、健康に気をつけて、ますます、作品を書いてくださいと伝えてくれませんか」
だれが伝えてやるもんかと、私はムッとした顔で彼を見送っていた。
あとで考えてみると、この青年、私にわざと嫌がらせをしたのかもしれぬ。