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燃えよ剣21

时间: 2020-05-26    进入日语论坛
核心提示:局中法度書「土方歳三。とうとう出会った」七里研之助は、辻行燈の腰板で背中をさすりながら、いった。云いながら、ゆっくりと、
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局中法度書

「土方歳三。——とうとう出会った」
七里研之助は、辻行燈の腰板で背中をさすりながら、いった。云いながら、ゆっくりと、剣先を、下段にしずめている。
「土方」
七里は楽しそうだ。
「武州の芋道場《いもどうじよう》の師範代が、いまは花の都の新選組副長をなさっている。乱世ながらたいしたご出世だ」
「………」
歳三は、上段。
「出世したからといって、この七里を見限ってもらっちゃこまるよ」
「だから、相手になっている」
「結構々々。ところで近藤さんは、お達者かね。いずれ、おめもじするつもりだが」
「達者だ」
歳三は、吐きすてるようにいった。
「そりァ、よかった。懐しい、といいたいがね。普通なら、その辺でいっぺえどうだ、といいたくなるほど、たがいに浅からぬ縁だが、縁は縁でもお前、とんだ逆縁さ」
「逆縁だな」
「武州南多摩の泥臭《どろくせ》え喧嘩を、花の都にまで持ちこんで蒸しかえしたくはねえんだが、お前らとは、どうも適《あ》わねえようにできている」
「河原町の長州屋敷にごろついているときいている」
「おれの母方が、長州藩の定府《じようふ》の御徒士《おかち》でね。長州とはいろいろ因縁がある。武州の田舎で、泥鰌《どじよう》臭《くせ》え野郎と喧嘩をしているより男らしい死に方をしてやろうと思ってきたのだが、その泥鰌臭えのが、またつながってのぼって来やがった」
「話の腰を折ってすまないが」
歳三は、いった。
「佐絵どのをご存じかね」
七里は、だまった。
知っている、と歳三はみた。七里は、佐絵との間に何等かの連絡があって、きょう、歳三をつけていたのだろう。
「知らないよ」
「ばかに元気がなくなったようだ。存外、正直者とみえる」
七里は、返事のかわりに剣を中段になおした。その瞬間、歳三の剣が、すばやく上段から落ちた。
が、七里はもうそこにはいない。
ざくり、と歳三の切尖《きつさき》で、辻行燈の腰板が裂けた。引きぬくなり、足を大きくあげて、辻行燈を蹴倒した。
行燈のむこうから、七里がとびだした。
「ちょっとなぶってみせたのさ」
七里が、笑った。
そのうち、歳三の背後にまわった一人が、ぱっと仕掛けてきた。あやうくとびのいたが、袴を切られた。
(どうかしている)
剣に、はずみがつかない。喧嘩というのは弾《はず》みのついたほうの勝ちである。やはり、佐絵に対する複雑な印象が、心を重くしているのだろう。
こういうときには、なりふりかまわずに退《ひ》きあげてしまう。それが喧嘩上手というものだ。とは、歳三は百も知っている。武州の田圃で泥喧嘩をしているときのかれなら、一議もなく逃げ去ったろう。が、いまは人《にん》がちがう。新選組副長である。喧嘩にも体面がある。逃げた、とあれば、どんな悪評を京で撒《ま》きちらされるか。
(なるほど佐絵のいうとおり、こんな所までおれはすっかりかわったな)
歳三は、刀を右手でかざしつつ、器用に羽織を半ばぬいだ。羽織をぬぎたいのではない。羽織は、歳三の、狡猾《こうかつ》な誘い手である。
果然、半ばぬいだ隙をねらって、右手の男が上段から撃ちこんできた。
(待っていた)
図に乗った相手の胴を、片手で下からすくうようにして斬りあげた。
「相変らずの馬鹿力だ」
七里が、物蔭《ものかげ》で舌打ちをした。七里ほどの者なら知っている。片手わざではよほどの力がないかぎり人が斬れるものではない。
歳三は、やっと羽織を脱ぎきった。
「七里、もそっと寄れ」
「寄れねえよ。妙に沸《たぎ》って調子づいた野郎に仕掛ける馬鹿ァなかろう」
この男も、ただの剣客ではない。喧嘩の勘どころは知っている。歳三の気魄が異常に充実しはじめたのをみて、刀をひき、物蔭をさらさらと歩き、
「退け」
と命じた。
一せいに散った。
歳三は追わなかった。
(七里も、人《にん》が肥《ふと》ってきやがった)
京に集まっている数ある浪士のなかで、人傑も多い。七里のような男でもそういう者にもまれて平素、国事の一つも論じているせいか、八王子のごろん棒当時とはだいぶ印象がちがっている。
(男とは妙なものだ)
毛虫から蝶になるような変質も、ときにはあるらしい。

この年の十二月、幕府は浪士取締令を出した。京坂に流入してくる不穏の浪士は、みつけ次第捕殺する。
理由は、近く将軍|家茂《いえもち》が入洛する。京の治安は、武をもって鎮めておかねばならない。
「そういう次第です」
と、近藤は隊士一同を集めていった。
「大公儀の威武をもって、浮浪を一掃し、かしこきことながら、禁闕《きんけつ》の御静安をおまもりする。いよいよ今日から、王城の大路小路が新選組の戦場であると心得られたい」
新選組が文字どおり悪鬼のような働きをしはじめたのは、このときからである。毎日、京に血の雨を降らせた。
人数ざっと百人。
むろん一流の剣客ばかりではない。未熟者もおれば、怯者《きようしや》もいる。戦場の場で臆した者は、あとでかならず処罰した。処罰、といっても在来の武家社会にあった閉門、蟄居《ちつきよ》といったなまぬるいものではない。すべて死罪である。一にも死、二にも死。三百年狎れあいごとで済ませてきたこの当時の武士の目からみれば、戦慄すべき刑法であった。
隊士にしてみれば、乱刃のなかで敵に斬られるか、それとも引きあげてから隊内で斬られるか、どちらかであったから、決死の日常である。
「すこし、きびしすぎはしまいか」
と、ある日、一日に三人も斬首、切腹の被刑者が出たとき山南敬助が、近藤と歳三の前でいったことがある。
話が前後するが、これよりすこし前、芹沢鴨とその係累を一掃した直後、隊における山南敬助の処遇がかわっている。それまでは、歳三とおなじ副長であったのが、
「総長」
ということになった。昇格した。序列でいえば局長近藤勇、総長山南敬助、副長土方歳三ということになる。
この昇格は、歳三が近藤に献言したことだ。
——ぜひ山南を。
というと近藤はこのときばかりはよろこんだ。歳三が山南を好いていないことは近藤の苦の種になっていたのである。その歳三が山南のために「総長」という特別な職名をつくり、自分の上に置くという。
——歳《とし》、雨が降るよ。
といったほどだ。
——降らねえ。
と、歳三は無表情にいった。「総長職」とは名の響きは上等だが、実質は、近藤個人の相談役、参与、参謀、顧問、といったもので権限がない。いやもっと重要なことは、この響きのいい職名には隊士に対する指揮権がないことである。指揮権は、局長—副長—助勤—平隊士、というながれになる。現今《いま》のことばでいえば、総長山南敬助は、近藤のスタッフであって、ラインではないのである。
歳三は、山南を|てい《ヽヽ》よく棚にあげた。飾り達磨《だるま》にした。山南もはじめはよろこんだが、次第にその職の本質がわかってきて以前以上に歳三を憎むようになった。だけでなく、近藤に、
——もとの副長にもどして下さい。
と頼み、近藤もその気になって歳三に相談した。
——歳、|あれ《ヽヽ》を格下げしてやらんか。
——いや、あれでいい。
と、妙な例をひいた。
歳三は、少年のころ、家伝の石田散薬の原料を採集したり製剤したりするときには、夏の農閑期のときでもあって村中の人数を使うのだが、その指揮を十二、三の年からやった。そのころの経験で、長兄や次兄がうろうろやってきて口を出すたびに作業の能率がおちたことをおぼえている。命令が二途からも三途からも出ることになるからだ。
——副長が二人居ちゃ、そうなる。近藤さん、あんたの口から出た命令がすぐ副長に響き、助勤に伝わり、電光石火のように隊士が動くようにならねば、新選組はにぶくなるよ。組織は剣術とおなじだ。敏感でなければだめだ。それには副長は一人でいい。
これは、歳三の独創である。幕府、藩の体制というのは、たとえば江戸町奉行でも二人制をとっていたように、どういう職でも複数で一つの役目をつとめた。このことは、当時日本にきた外国の使臣がみな奇異の念をもったことだ。その陋習《ろうしゆう》を、新選組は苦もなく破っている。
——隊を強靭《きようじん》にするためだ。そのかわり、山南さんを栄職で飾っている。
と、歳三はいった。
それは余談。
「刑がきびしすぎはしまいか」
総長である山南敬助が近藤に助言したとき、歳三は白い眼で山南をみた。
「山南先生」
といった。
「山南先生とも思えぬ。隊を弱くしたいのですかね」
「たれがそう申した」
山南は気色《けしき》ばんだ。歳三はニコリともせず、
「私の耳には、そう聞こえる」
と、静かに応じた。
厭なやつだ、と山南は腹の底が煮えくりかえるようだったろう。
「山南さん、私はね、日本中の武士はみな腰抜けだと思っている。武士、武士といっても威張れたもんじゃねえという現場を、この眼で何度もみてきた。家禄の世襲と三百年の泰平がそうさせたのだろう。が、新選組だけはそうはさせぬ。真の武士に仕立てあげる」
「真の武士とは、どういうものです」
「いまの武士じゃない。昔の」
「昔の?」
「坂東武者とか、元亀天正《げんきてんしよう》のころの戦国武者とか、まあうまくいえないが、そういうものです」
「土方さんは、存外無邪気であられる」
子供っぽい、と吐きすてたかったのだろう。そのかわり、山南は頬にあらわな嘲笑をうかべた。
歳三は、その頬をじっと見つめている。かつて、芹沢鴨と「士道論議」をしたとき、芹沢の頬にうかんだのと同質の嘲笑が、山南の頬にはりついている。
——百姓あがりめが。
事実、山南はそんな気持だった。しかし、歳三の心底にも叫びだしたいものがある。理想とは、本来子供っぽいものではないか。
「まあいい、酒にしよう」
と、近藤はとりなした。近藤は、歳三を無二の者とは思っているが、山南敬助という学才の持主もうしないがたい。京都守護職、京都所司代、御所の国事係、見廻組頭取などに出す公式の文書は、そのほとんどを山南が起草する。また諸藩の公用方と会談するときも、山南を帯同する。隊中勇士は多いが、格式のある場所で堂々言辞を張れるのは、仙台脱藩浪士山南敬助だけである。
小姓に酒を運ばせてから、近藤は、山南、歳三の顔をかわるがわるみて、いった。
「私は仕合せだ。山南君の智、土方君の勇、両輪をあわせ持っている」
が、歳三は単に勇だけの器量か。
近藤も、この歳三の才能について、どれだけ見抜いていたかは、疑問である。山南の智は単に知識だが、歳三には創造力がある。
(みろ、そういう隊を作ってやる)
その夜、歳三の部屋に、おそくまで灯がともっていた。
例によって沖田総司が、からかいにきた。
「また俳句ですか」
のぞきこんだ。
「ほう、局中|法度書《はつとがき》」
歳三は、草案を練っていた。
隊の、律である。歳三の手もとの紙には、この男の例の細字でびっしりと書きこまれていた、五十カ条ほどの条項があった。沖田はそれを一つ一つ眼で拾い読んで、
「大変だな」
笑いだした。
「土方さん、これをいちいち隊士にまもらせるおつもりですか」
「そうだ」
「五十いくつも項目がありますぜ」
「まだ仕上げてない」
「たまらんなあ、まだこれ以上に?」
「いや、いまから削ってゆく。これを五カ条にまでしぼってゆく。法は三章で足る」
「ああきいたことがある。寄席でだが。もっとも唐《から》のどの大将の言葉だったか、こいつは山南さんにでもきかねばわからない」
「うるせえ」
ぐっと、墨で一条、消した。
深更までかかって、五カ条ができた。
 一、士道に背《そむ》くまじきこと。
一、局を脱することを許さず。
 いずれも、罰則は、切腹である。第三条は「勝手に金策すべからず」。第四条は「勝手に訴訟(外部の)取扱うべからず」。
第五条は「私の闘争をゆるさず」。右条々相背き候者は切腹申しつくべく候也。
さらに、この五カ条にともなう細則をつくった。
そのなかに妙な一条がある。この一条こそ新選組隊士に筋金を入れるものだ、と歳三は信じた。
「もし隊士が、公務によらずして町で隊外の者と争い」
というものである。
「敵と刃をかわし、敵を傷つけ、しかも仕止めきらずに逃がした場合」
「その場合どうなります」
「切腹」
と、歳三はいった。
沖田は、笑った。
「それは酷だ。すでに敵を傷つけただけでも手柄じゃないですか。逃がすこともあるでしょう。逃がしちゃ切腹というのは酷すぎますよ」
「されば必死に闘《たたか》うようになる」
「しかしせっかくご苦心の作ですが、藪蛇《やぶへび》にもなりますぜ。隊士にすれば敵を斬って逃がすよりも、斬らずにこっちが逃げたほうが身のためだということになる」
「それも切腹だ」
「はあ?」
「第一条、士道に背くまじきこと」
「なるほど」
隊士にすれば一たん白刃をぬいた以上、面《おもて》もふらずに踏みこみ踏みこんで、ともかく敵を斃す以外に手がない。
「それがいやなら?」
「切腹」
「臆病なやつは、隊がおそろしくなって逃げだしたくなるでしょう」
「それも第二条によって、切腹」
これが、公示された。
若い血気の隊士はこれを読んでむしろ飛瀑に肌をうたれるような壮烈さを感じたようであったが、加入後、まだ日の浅い年配の幹部級に、ひそかな動揺がみられた。こわくなったのである。
歳三は、その影響を注意ぶかい眼でみていた。果然、脱走者が出た。
助勤酒井兵庫である。
大坂浪人。神主の子で、当人は隊ではめずらしく国学の素養があり、和歌をよくした。
脱走した。
歳三は、監察部の全力をあてて、京、大坂、堺、奈良までさがさせた。
やがてそれが、大坂の住吉明神のさる社家のもとにかくまわれていることがわかった。
「山南君、どうする」
と、近藤は相談した。
山南は、助命を申しのべた。山南は平素、酒井兵庫に自作の歌の添削をたのんだりしていた仲である。
近藤は、斬りたかった。酒井は、助勤として隊の枢機《すうき》に参画した男だから、機密を知っている。世間に洩れれば新選組としてはともかく、累が京都守護職におよぶ。
「歳、どうだ」
「歌がどうの、機密がどうのと論に及ばぬことだ。局長、総長みずから、局中法度書をわすれてもらってはこまる」
「斬るか」
「当然です」
すぐ、沖田総司、原田左之助、藤堂平助の三人が大坂へ下向《げこう》した。
住吉の社家に酒井兵庫を訪れた。
酒井は観念して抜きあわせたらしい。
その刀を原田が叩き落し、境内での闘いを避け、酒井を我孫子《あびこ》街道ぞいの竹藪まで同道して、あらためて、刀を渡した。
数合で、闘死した。
以後、隊は粛然とした。局中法度が、隊士の体のなかに生きはじめたのは、このときからである。
やがて、年が改まった。
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