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娘と大きな鐘(1)

时间: 2022-08-08    进入日语论坛
核心提示:娘と大きな鐘小川未明ある名なも知しれない、北国ほっこくの村むらに、あれはてたお寺てらがありました。そのお寺てらのあるとこ
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娘と大きな鐘

小川未明


あるれない、北国ほっこくむらに、あれはてたおてらがありました。そのおてらのあるところは、小高こだかくなった、さびしいところでありました。
本堂ほんどうから、すこしはなれたところに、かねつきどうがありました。境内けいだいには、がたくさんしげっていました。はるになるとはなき、そして、新緑しんりょくにかわり、やがて、あきになると、木々きぎ黄色きいろく、あかく、いろづいてあめにほろほろとちるのであります。平生へいぜいは、あまりおまいりにゆくひともなく、すずめが、本堂ほんどう屋根やねや、またかねつきどうのまわりで、かしましくいているばかりです。
けれど、たまたま真夏まなつになって、あめらないことがありました。そんなときは、むらの百しょうは、どんなにこまったでありましょう。
「もう、三十にちあめらない。まだこのうえ、ひでりがつづいたら、や、はたけ乾割ひわれてしまうだろう。」といって、一人ひとりは、歎息たんそくをしますと、
「ほんとうに、そうだ。あまごいをしなければなるまい。」と、ほかの百しょうは、そらあおぎながら、心配しんぱいそうなかおつきをしていうのでありました。
あまごいをするのには、むらひとたちは、おとことなく、おんなとなく、おてらあつまって、供養くようをしなければなりません。そして、いままでの自分じぶんたちの先祖せんぞわるかったことを、真心まごころこめておわびをするのでありました。これについて、ここに、あわれなはなしがあるのであります。
それは、いまから、ずっとむかしのことでありました。このおてらに、としとったおぼうさまと寺男てらおとこがいました。寺男てらおとこには、十三、四になったむすめがおりました。おぼうさまは、もう、毎朝まいあさ、おどうて、おきょうげるのがやっとのくらいでありました。
寺男てらおとこは、また、朝早あさはやきて、かねつきどうへいって、かねをつきました。このてらかねは、このあたりにはきこえたほどのおおきなかねでありました。百しょうは、このかねるとをさましました。それから、めしべて、はたけや、かけるのであります。
また、はたらいてつかれた時分じぶんひるごろになると、このかねりました。それをくと、百しょうは、
「さあおひるだ。うちかえってごはんにしよう。」と、かれらは、いえいそぎました。そして、骨休ほねやすみをして、それから、また、や、はたけへ、かけたのであります。
また、がたになって、くもいろが、ばらいろがかるころになると、てらかねがきこえたのです。そして、ひろやかな野原のはらうえを、どこまでもひびいていったのであります。
「ああ、もう、日暮ひぐがたになった。また、あしたにしよう。」といって、かれらは、仕事しごとをきりあげて、れだって、野道のみちはなしながら、てんでにいえをさしてかえってゆくのでありました。
しかるに、このかねが、二日ふつかも、三日みっからなかったことがありました。
今日きょうてらかねらないが、どうしたんだろう。」と、一人ひとり不平ふへいらしくいいました。
「このごろ、寺男てらおとこのやつめ、なまけやがるんだ。」と、ほかの一人ひとりがいいました。
「そんなはずはなかろう。病気びょうきじゃないのか。」と、また、あるものはいいました。
病気びょうきなら、ったり、らんだりするはずがねえ。昨日きのうは、ばかに、ちいさなおとであったが、たしかにるにはった。」といったものもあります。
みんなは、かねらないことにたいして、不平ふへいでありました。
ほんとうに、むら一人ひとりがいったように、このとき、寺男てらおとこは、病気びょうきでありました。幾日いくにちも、かねをつくことができないので、どんなにかをもんだでありましょう。
「おとうさん、わたしが、かわりについてきます。」といって、むすめは、かねつきどうほうへゆきました。
「とても、おまえのちからでは無理むりだ。」と、父親ちちおやは、まくらにあたまをつけながらいいました。
むすめちからでは、ふといなわをいて、かねつきぼううごかすことが困難こんなんでした。そして、やっとちいさなおとしかたてることができなかったのであります。
むらひとたちは、自分じぶんむらで、かねたないというのは、ほかのむらたいしても、のひけることのようにかんがえました。なぜなら、毎朝まいあさ、また毎晩まいばん、あちらのむらから、規律きりつただしくつ、ときかねが、ほがらかにきこえてきたからであります。
「あの寺男てらおとこているなら、ほかのものをわりにさせればいいのだ。このむらには、あそんでいるものが、幾人いくにんもあるはずだ。」といったものがあります。
おれおいは、びっこで、仕事しごとかないが、寺男てらおとこぐらいはつとまるから、おぼうさまにはなして、使つかってもらうべえ。」といったじいさんもありました。
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