返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 小川未明童話集 » 正文

うずめられた鏡(1)

时间: 2022-10-17    进入日语论坛
核心提示:うずめられた鏡小川未明 後(のち)になってから、烏帽子岳(えぼしだけ)という名(な)がついたけれど、むかしは、ただ三角形(かく
(单词翻译:双击或拖选)

うずめられた鏡

小川未明


 後(のち)になってから、烏帽子岳(えぼしだけ)という名(な)がついたけれど、むかしは、ただ三角形(かくがた)の山(やま)としか、知(し)られていませんでした。山(やま)がはじめて、地上(ちじょう)に生(う)まれたとき、あたりは、荒涼(こうりょう)として、なにも、目(め)にとまるものがなかったのです。
 そのとき、はるか北(きた)の方(ほう)に、紫色(むらさきいろ)の光(ひか)る海(うみ)が見(み)えました。
「あれは、なんだろう。」と、山(やま)は思(おも)いました。この大自然(だいしぜん)について、なにも知(し)らなかった山(やま)は、日(ひ)が出(で)て、やがて日(ひ)の暮(く)れるまでの間(あいだ)に、いくたびとなく、かわる海(うみ)の色(いろ)を見(み)て、ふしぎに感(かん)じたのです。しかし、からだのうごかされぬ山(やま)は、ただ、いろいろと、自然(しぜん)を空想(くうそう)するばかりでした。
「どうすれば、あすこに、いくことができるだろうか。」
 そのとき山(やま)は、大(おお)きな風(かぜ)がふいて、自分(じぶん)をうごかしてくれはせぬかと思(おも)いました。しかし、かつてそんなような、大(おお)きな風(かぜ)のふいたことがありません。こうして、ひとりぼっちでいる山(やま)は、そのころ、海(うみ)だけが、なんだか自分(じぶん)と運命(うんめい)を一つにするような気(き)がして、どうか、おたがいに、知(し)り合(あ)いに、なりたいとねがいました。
 大空(おおぞら)をあおげば、星(ほし)が毎夜(まいよ)のごとく笑(わら)ったり、目(め)で話(はなし)をしたりしますけれど、山(やま)はもっと身近(みぢか)に、友(とも)だちを持(も)ちたかったのでした。
 ある日(ひ)、海(うみ)の色(いろ)が、とりわけ、きれいにさえて見(み)えたのです。山(やま)は、なにか海(うみ)が、自分(じぶん)にあいずをするのだと思(おも)いました。だから、自分(じぶん)もわらって答(こた)えました。そして、その日(ひ)から、二人(ふたり)はいくらか、知(し)り合(あ)いになったという感(かん)じがしました。
 なにごとによらず、こうありたいと、熱心(ねっしん)に仕事(しごと)をすれば、いつか、かならず成功(せいこう)するものです。人間(にんげん)が遠(とお)くから、たがいに話(はなし)ができるようになったのも、電気(でんき)を発明(はつめい)したからで、やはり自然(しぜん)の大(おお)きな力(ちから)を、知(し)ったからであります。
 谷(たに)からわき上(あ)がる雲(くも)が、自由(じゆう)にうごけるところから、山(やま)は雲(くも)を使(つか)いにたてることを、考(かんが)えつきました。そして、あるときは、山(やま)から海(うみ)へ、また、あるときは、海(うみ)から山(やま)へと、雲(くも)は往来(おうらい)したのでした。
 海(うみ)の上(うえ)では、波(なみ)があって、波(なみ)はなぎさへおしよせて、岩(いわ)にくだけ、しぶきは玉(たま)のごとくとびちり、遠(とお)い水平線(すいへいせん)は、縹渺(ひょうびょう)として、けむるようにかすみ、白(しろ)い鳥(とり)が、砂浜(すなはま)で群(む)れをなしてあそんでいるのを、雲(くも)は山(やま)へかえると、おもしろく話(はな)しました。
 また山(やま)では、おいしげる木々(きぎ)に、あらしがおそうと、はげしく枝(えだ)と枝(えだ)をもみあい、そして、頂上(ちょうじょう)から落下(らっか)する滝(たき)が、さながら雷(かみなり)のとどろくように、あたりへこだまするものすごい光景(こうけい)を、雲(くも)は海(うみ)へいって聞(き)かせることもありました。
 こうして、白(しろ)い雲(くも)は、南方(なんぽう)の高(たか)い山(やま)から、うごきはじめて、北(きた)の海(うみ)のほうへ流(なが)れていたのであるが、途中(とちゅう)、ゆらゆらと平野(へいや)をいったとき、そこここに、百姓(しょう)のすむわらぶきやがあったり、畑(はたけ)をたがやす男女(だんじょ)や、馬(うま)や、牛(うし)や、犬(いぬ)などの姿(すがた)が、ちらちらと見(み)えました。
 こんもり木立(こだち)のしげるところに、丹塗(にぬ)りの社(やしろ)があって、その前(まえ)に、人(ひと)がひざまずいて、よく祈願(きがん)をこめていました。ちょうどこのとき、男(おとこ)は、神(かみ)さまにお礼(れい)をいっているのでした。
「神(かみ)さま、よく私(わたし)を人間(にんげん)として、生(う)まれさせてくださいました。もし、そうでなかったら、私(わたし)は毎日(まいにち)、くるしいめにあって、なぐられたり、追(お)いまわされたりしなければならなかったでしょう。それをおかげで、牛(うし)や、馬(うま)をつかって、楽(らく)に仕事(しごと)をして、暮(く)らすことができます。これというのも、人間(にんげん)に生(う)まれさせてくださった神(かみ)さまの、おかげであります。」と、もうしていました。
 この男(おとこ)が去(さ)ると、つぎに社(やしろ)の前(まえ)へきてすわったのは、まだ若(わか)い女(おんな)でありました。彼女(かのじょ)は、熱心(ねっしん)に手(て)をあわせ頭(あたま)をひくくたれて、ねがっていました。
「いま私(わたし)は、七人(にん)の男(おとこ)から、結婚(けっこん)をもうしこまれていますが、私(わたし)の心(こころ)の中(なか)で愛(あい)する男(おとこ)は、その中(なか)の一人(ひとり)です。しかし私(わたし)は、そのことを正直(しょうじき)に、うちあけることができません。なぜなら、ほかの六人(にん)の男(おとこ)たちは、みんな、その男(おとこ)より身分(みぶん)も高(たか)く、物持(ものも)ちであり、勢力(せいりょく)もありますから、それを知(し)ったら、きっと、そねんで、どんなしかえしを、するかもしれません。私(わたし)はいっそ、二人(ふたり)で、山(やま)のあちらへにげていこうと思(おも)いましたが、くまや、おおかみのいる森(もり)や、谷(たに)を奥深(おくふか)くはいらなければなりませんので、食(く)い殺(ころ)されることなしに、ぶじいけると思(おも)いません。神(かみ)さま、どうしたら、私(わたし)ども二人(ふたり)は、安全(あんぜん)にゆくすえ長(なが)く添(そ)いとげられますか、あなたのお力(ちから)で、おすくいくださいまし。」と、しばらく、頭(あたま)を地(じ)にすりつけていたのでした。
 やがて、秋(あき)の取(と)り入(い)れがすむと、村(むら)の祝(いわ)い祭(まつ)りが、社(やしろ)の境内(けいだい)で、もよおされました。彼女(かのじょ)はこの日(ひ)、七人(にん)の男(おとこ)たちから受(う)けた七面(めん)の鏡(かがみ)を、ひもでとおして、首(くび)にかけておどるのでした。神(かみ)のお告(つ)げをまって、どの一人(ひとり)にか、きめなければなりません。
 くわしいわけを知(し)った身寄(みよ)りのものたちは、なにか、かわったことが起(お)こらなければいいがと、しんぱいしました。ちょうど、社(やしろ)の上(うえ)の空(そら)には、入(い)り日(ひ)をあびて、雲(くも)の色(いろ)がまっかに見(み)えました。
「どうぞ神(かみ)さま、用(よう)のない鏡(かがみ)は、みんな、くだいてください。そして、ただ一面(めん)だけを、私(わたし)に永久(えいきゅう)にさずけたまえ。」と、となえながら、身(み)を飛鳥(ひちょう)のごとくひるがえして、上(うえ)へ下(した)へと、おどったのでした。
 社(やしろ)のまわりにともる、ろうそくの火(ひ)が、鏡(かがみ)の面(おもて)に、ちらちらとうつりかがやきました。
 七人(にん)の男(おとこ)たちが、胸(むね)をいためてまったかいもなく、彼女(かのじょ)は、ふと病(や)んで、まだ秋(あき)の木(き)の葉(は)がちる前(まえ)に、あわただしく、この世(よ)から去(さ)ったのであります。
 社(やしろ)の裏手(うらて)の方(ほう)へ、用水池(ようすいいけ)がつくられたのは、この後(のち)、二百年(ねん)くらいも、たってからのことでした。そのうち、山(やま)の上(うえ)にわく白雲(しらくも)が、海(うみ)のほうへ流(なが)れていったとき、その姿(すがた)を、いくたび、この水面(すいめん)にうつしたかしれません。
 若(わか)い女(おんな)のうずめられたところは、いつしか、古墳(こふん)といわれるようになりました。そして、それからまた、幾(いく)百年(ねん)の月日(つきひ)がたったのであります。山(やま)や、川(かわ)や、野原(のはら)には、かくべつのかわりもなかったけれど、町(まち)や村(むら)は、その時代(じだい)によって、ようすがちがい、人(ひと)も馬(うま)も牛(うし)も、また幾代(いくだい)かの間(あいだ)に、たびたび生(い)き死(し)にしました。
 丹塗(にぬ)りの社(やしろ)も、長(なが)い月日(つきひ)の雨風(あめかぜ)にさらされて、くちたり、こわれたりして、そのたびに、村人(むらびと)によって建(た)てかえられたけれど、まだわずかに、昔(むかし)の面影(おもかげ)だけは、のこっていました。しかし、古墳(こふん)のくわしい記録(きろく)などは、もはや、どこにものこっていませんでした。ただ遠(とお)い祖先(そせん)のものにちがいないが、いまの村人(むらびと)には、その造(つく)られた時代(じだい)すら、よくわからなかったのです。
 学者(がくしゃ)が、池(いけ)のほとりに立(た)って、心(こころ)ありげに、よくあたりの景色(けしき)をながめていると、学者(がくしゃ)を案内(あんない)した役場(やくば)の若(わか)い書記(しょき)が、かたわらで、伝説(でんせつ)めいたことを聞(き)かせました。
「年寄(としよ)りのいうことですが、なんでも静(しず)かな真昼(まひる)ごろ、足音(あしおと)をたてずに、池(いけ)へ近(ちか)よると、金銀(きんぎん)の二匹(ひき)のへびが、たわむれながら、水面(すいめん)を泳(およ)いで、お社(やしろ)のほうへ、上(あ)がっていくのを見(み)ることがあるといいます。もし、それを見(み)たものは、近(ちか)いうちに、きっとしあわせなことがあると、昔(むかし)からいうそうです。」と、語(かた)ったのであります。

轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

热门TAG: