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さまざまな生い立ち(2)

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示: このとき、お父とうさんは、自分じぶんの子供こどもの時分じぶんのことをいろいろと話はなされたのでした。このさびしい春はる
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 このとき、お父とうさんは、自分じぶんの子供こどもの時分じぶんのことをいろいろと話はなされたのでした。このさびしい春はるも、北国きたぐにの人々ひとびとには、どんなにか一年ねんのうちで楽たのしいときであるかしれない。そして、長ながい、暗くらい、冬ふゆからぬけ出でて、花はなの咲さいた野原のはらや、青々あおあおとした丘おかを見みることは、どんなにうれしいことであるかしれないといわれたのでした。
子供こどもたちは、お父とうさんが、小ちいさな時分じぶん、この野原のはらで駆かけまわって、遊あそんだ姿すがたなどをいろいろに想像そうぞうしました。そして、いい記念きねんにと、すずらんの花はなを持もって帰かえったのでした。
兄あにと弟おとうとは、毎日まいにち、庭にわへ出でて、すずらんの咲さくのを楽たのしみに待まったのです。ほかの草くさは、ぐんぐんと芽めを伸のばして大おおきくなりました。また、ほかの木立こだちは、いつのまにか、美うつくしい花はなを開ひらきました。けれど、すずらんだけは、芽めに力ちからがなかった。そして、ようよう咲さいた、白しろい花はなは、なんとなく哀あわれげな姿すがたで、いい香かもうすかったのでした。
「どうしたのだろう。あんなに寒さむいところに生はえて、毎日まいにち、寒さむい風かぜに吹ふかれつづけているのからみれば、こちらは、こんなに雪ゆきもなく暖あたたかであるのに、どうして、すずらんは、元気げんきがないのだろう?」と、弟おとうとは、兄あにに向むかって、たずねた。
兄あにも、また不思議ふしぎでなりませんでした。なぜならどんな植物しょくぶつも太陽たいようの光ひかりの中なかに生長せいちょうしたから、そして、日ひの光ひかりに恵めぐまれ、柔やわらかな暖あたたかな土つちに育そだてられながら、どうして、生長せいちょうしないかということは、その理由りゆうがわからなかったからでした。
「僕ぼくにもわからない。」と、兄あにはいいました。
二人ふたりは、このことをお父とうさんに、たずねたのであります。
「やはり、こちらへきては、根ねがつかないとみえるな。」と、お父とうさんは、さも感心かんしんしたようにいわれたのでした。
「なぜでしょうか、お父とうさん、草くさや、木きには、太陽たいようの光ひかりがいちばん大事だいじなんでしょう。北きたの国くには寒さむくて、毎日まいにち曇くもっています。風かぜや、雪ゆきがいじめますのに、どうして、あちらに育そだって、こちらにくると枯かれてしまうのでしょう?」と、子供こどもたちは、たずねたのでした。
すると、お父とうさんは、
「おまえたちが、不思議ふしぎに思おもうのは、無理むりのないことです。しかし、すずらんには、寒さむい風かぜや、雪ゆきが、薬くすりになるのです。ひとり、すずらんばかりでない。すべて寒さむい国くにに育そだつ草くさや、木きは、太陽たいようの光ひかりの中なかに育そだつというよりは、風かぜや、雪ゆきの中なかに育そだったのです。それをかわいそうと思おもって、あたたかな国くにへ持もってくれば枯かれてしまう。人間にんげんだって同おなじようにいわれる。なに不足ふそくなく育そだつばかりが、その人ひとをりっぱな人間にんげんとするものでない。苦くるしみと艱難かんなんに戦たたかって、人格じんかくが磨みがかれるのです。そして北国きたぐにの植物しょくぶつが、風かぜや、雪ゆきと戦たたかうことを忘わすれたときに枯かれてしまうように、苦くるしみと戦たたかってきた人ひとが、その苦くるしみを忘わすれたときは、やはり、その人ひとは、終おわってしまうでしょう。また熱帯ねったいの植物しょくぶつが、反対はんたいに寒さむい国くにへくれば枯かれてしまうように、ぜいたくに馴なれた人ひとは、すこしの貧乏びんぼうにも打うち勝かつことができないのと同おなじなのです……。」と。
子供こどもたちは、このとき、やがて咲さくであろう、北きたの青あおい、寒さむい、風かぜの吹ふく空そらの下したで、野原のはらに香かおっているすずらんの花はなをなつかしく思おもったのでした。

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