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三月の空の下(1)

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示:三月の空の下小川未明 花(はな)の咲(さ)く前(まえ)には、とかく、寒(さむ)かったり、暖(あたた)かかったりして天候(てんこう)の
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三月の空の下

小川未明


 花(はな)の咲(さ)く前(まえ)には、とかく、寒(さむ)かったり、暖(あたた)かかったりして天候(てんこう)の定(さだ)まらぬものです。
 その日(ひ)も暮(く)れ方(がた)まで穏(おだ)やかだったのが夜(よる)に入(はい)ると、急(きゅう)に風(かぜ)が出(で)はじめました。
 ちょうど、悪寒(おかん)に襲(おそ)われた患者(かんじゃ)のように、常磐木(ときわぎ)は、その黒(くろ)い姿(すがた)を暗(やみ)の中(なか)で、しきりに身震(みぶる)いしていました。
 A院長(エーいんちょう)は、居間(いま)で、これから一杯(ぱい)やろうと思(おも)っていたのです。そこへはばかるような小(ちい)さい跫音(あしおと)がして、取(と)り次(つ)ぎの女中(じょちゅう)兼(けん)看護婦(かんごふ)が入(はい)ってきて、
「患者(かんじゃ)がみえましたが。」と、告(つ)げました。
「だれだ? 初診(しょしん)のものか。」と、院長(いんちょう)は、目(め)を光(ひか)らしました。
「はい、はじめての方(かた)で、よほどお悪(わる)いようなのでございます。」
 まだ年(とし)の若(わか)い彼女(かのじょ)は、こんなものを院長(いんちょう)に取(と)り次(つ)いだのは悪(わる)いとは思(おも)ったけれど、それよりも、目(め)にうつる哀(あわ)れな男(おとこ)の姿(すがた)のほうが、いっそう強(つよ)く心(こころ)を動(うご)かしたのです。けれど、院長(いんちょう)は容易(ようい)に座(ざ)を立(た)ち上(あ)がろうとしなかった。
「そんなに悪(わる)いのに、ここへやってきたのか。」
「はい。」
 院長(いんちょう)は、きたときいては、捨(す)ててもおけなかったのでした。どんな身分(みぶん)の患者(かんじゃ)であって、またどこが悪(わる)いのか、それを知(し)りたいという職業意識(しょくぎょういしき)も起(お)こって、
「いま、ゆくから。」と、静(しず)かに、答(こた)えて、苦(にが)い顔(かお)つきをしながら、居間(いま)を出(で)ました。
 控(ひか)え室(しつ)をのぞくと、乞食(こじき)かと思(おも)われたようなよぼよぼの老人(ろうじん)が、ふろしき包(づつ)みをわきに置(お)いてうずくまっていました。
 院長(いんちょう)は、その老人(ろうじん)と、取(と)り次(つ)いだ看護婦(かんごふ)とを鋭(するど)く一瞥(いちべつ)してからいかにも、こんなものを……ばかなやつだといわぬばかりに、
「みてもらいたいというのは、この方(かた)かね。」と、ききました。
「さよう、私(わたくし)でございます。遠(とお)いところ、やっと歩(ある)いてまいりました。」と、老人(ろうじん)はとぎれとぎれに答(こた)えました。
「遠(とお)いところ? なんで、もっと近所(きんじょ)の医者(いしゃ)にかからなかったんだね。」
「だめです、いいお医者(いしゃ)さんがありません。」と、老人(ろうじん)は頭(あたま)を左右(さゆう)に揺(ゆ)すりました。
(そうだろうとも、だれが、こんなものを見(み)てやるものだ。このばかな女(おんな)でもなければ、一目(ひとめ)見(み)て追(お)い帰(かえ)すにちがいない。いったい、医者(いしゃ)というものをなんと心得(こころえ)ているのだろう。)
「おじいさん、せっかくだが、私(わたし)は、これから急病人(きゅうびょうにん)の迎(むか)えを受(う)けているので、出(で)かけなければならないのだ。だからすぐみてあげることができない。どうか、よそへいってもらいたい。」
 院長(いんちょう)は、そばに、まごまごしている、看護婦(かんごふ)の顔(かお)をにらんで、奥(おく)へさっさとはいってしまいました。
「じゃ、どうしてもみてくださらんのか。」と、老人(ろうじん)は、つぶやきました。
「お気(き)の毒(どく)ですけれど、先生(せんせい)はたいへんお忙(いそが)しいので、みられんとおっしゃいますから、よそのお医者(いしゃ)さまへいってくださいまし。」と、看護婦(かんごふ)は、そういいました。
「ははあ、よそのものはみても、私(わたし)をばみられないとおっしゃるのだな。どうせ、この老耄(おいぼれ)はくたばるのだからいいけれど、そうした道理(どうり)というものはないはずじゃ。もう私(わたし)は歩(ある)けないが、どこか近所(きんじょ)に、お医者(いしゃ)さまはありますかい。」と、老人(ろうじん)は、やっと小(ちい)さな荷物(にもつ)をせおってから、ききました。
「じき、すこしゆくとにぎやかな町(まち)になります。そこには、幾軒(いくけん)もお医者(いしゃ)さまがあります。」
 少女(しょうじょ)は、暗(くら)い外(そと)の方(ほう)を指(さ)して、町(まち)へ出(で)る方向(ほうこう)をおじいさんに教(おし)えました。ところどころに点(つ)いている街燈(がいとう)の光(ひかり)が見(み)えるだけで、あとは風(かぜ)の音(おと)が聞(き)こえるばかりでした。
 ちょうど、その時分(じぶん)、B医師(ビーいし)は、暗(くら)い路(みち)を考(かんが)えながら下(した)を向(む)いて歩(ある)いてきました。彼(かれ)は、いま往診(おうしん)した、哀(あわ)れな子供(こども)のことについて、さまざまのことを思(おも)っていたのです。
 その家(いえ)は貧(まず)しくて、かぜから肺炎(はいえん)を併発(へいはつ)したのに手当(てあ)ても十分(ぶん)することができなかった。小(ちい)さな火鉢(ひばち)にわずかばかりの炭(すみ)をたいたのでは、湯気(ゆげ)を立(た)てることすら不(ふ)十分(ぶん)で、もとより室(しつ)を暖(あたた)めるだけの力(ちから)はなかった。しかし、炭(すみ)をたくさん買(か)うだけの資力(しりょく)のないものはどうしたらいいか、それよりしかたはないのだ。近所(きんじょ)に、宏荘(こうそう)な住宅(じゅうたく)はそびえている。それらの内部(ないぶ)には、独立(どくりつ)した子供部屋(こどもべや)があり、またどの室(しつ)にも暖房装置(だんぼうそうち)は行(ゆ)き届(とど)いているであろう。そこに生(う)まれ育(そだ)った子供(こども)と、あの貧(まず)しい家(いえ)に病(や)んでねている子供(こども)とどこに、かわいらしい子供(こども)ということに変(か)わりがあろうか。しかし、その境遇(きょうぐう)はこうも異(こと)なっているのだ。私(わたし)は、あの哀(あわ)れな子供(こども)を助(たす)けなければならない。

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