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しいたげられた天才(2)

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示:「は、は、は。なんでも好(す)きか、なかなか、君(きみ)は欲(よく)ばりだな。しかし、音楽(おんがく)は芸術(げいじゅつ)のうちで
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「は、は、は。なんでも好(す)きか、なかなか、君(きみ)は欲(よく)ばりだな。しかし、音楽(おんがく)は芸術(げいじゅつ)のうちでも、いちばんむずかしいのだ。天才(てんさい)ならばべつとして、学(まな)ぶには、うたうのも、鳴(な)らすのも、基礎(きそ)となる調子(ちょうし)から学(まな)んで、練習(れんしゅう)が、たいへんなのだ。ちょうど、文章(ぶんしょう)を作(つく)るにも、文法(ぶんぽう)を知(し)らないと書(か)けないように、好(す)きだからといって、すぐになれるもんじゃないのだよ。」と、先生(せんせい)にいわれました。
 このもっともらしく聞(き)こえた、先生(せんせい)の言葉(ことば)は、秀吉(ひできち)を真(ま)っ暗(くら)な絶望(ぜつぼう)へつき落(お)としました。
「好(す)きだけでは、だめでしょうか。」
「まず、だめだな。しかし、君(きみ)はたいへん熱心(ねっしん)だから、せめて、耳(みみ)だけなりと発達(はったつ)させるといい。僕(ぼく)も、君(きみ)のことは考(かんが)えておこうよ。」と、人(ひと)のいい先生(せんせい)は、まずしげな少年(しょうねん)をあわれみながら、こういって、なぐさめてくれました。
 秀吉(ひできち)は、出(で)かけるとき、胸(むね)に描(えが)いた、桃色(ももいろ)の希望(きぼう)の影(かげ)は、どこかへ消(き)えて、家(うち)へもどるときは、失望(しつぼう)の底(そこ)を歩(ある)くように、運(はこ)ぶ足(あし)が重(おも)かったのでした。ただ、先生(せんせい)の考(かんが)えておいてくださるという言葉(ことば)に、はかない望(のぞ)みをかけていたのであります。
 その翌日(よくじつ)から、彼(かれ)はまた山(やま)へてつだいに出(で)かけました。そして谷川(たにがわ)の流(なが)れへくれば、いつに変(か)わらずよかったし、林(はやし)でなく小鳥(ことり)の声(こえ)を聞(き)けば、無条件(むじょうけん)で自然(しぜん)が讃美(さんび)されるのでした。
「だが、学問(がくもん)がなくては、まだほんとうのことは、わからぬのだろうか。」と、彼(かれ)は、急(きゅう)に元気(げんき)がなくなり、気持(きも)ちが重(おも)くなるのでした。そして、いままでのように、自由(じゆう)に、無心(むしん)に、木琴(もっきん)を鳴(な)らして、恍惚(こうこつ)となることができなくなったのであります。ああ、なんで自分(じぶん)が自然(しぜん)のふところへ、いままでのように、自由(じゆう)にたのしく入(はい)ることが、悪(わる)いのだろうか。また、先生(せんせい)のお言葉(ことば)を聞(き)いてから、どうして自分(じぶん)に、それが許(ゆる)されなくなったのだろうか。
「ああ、芸術(げいじゅつ)の規則(きそく)なんていうもの、だれが作(つく)ったのだろうか。」と、彼(かれ)は、まどい、うたがい、そして、煩悶(はんもん)しました。
 実直(じっちょく)な先生(せんせい)は、けっして、少年(しょうねん)を苦(くる)しめようなどとは考(かんが)えなかった。それどころか、願(ねが)いをかなえてやろうと、その後(ご)、心(こころ)にかけていました。
 ある日(ひ)、先生(せんせい)はわざわざ、彼(かれ)の家(いえ)を訪(たず)ねて、さぞ、少年(しょうねん)が喜(よろこ)ぶだろうと、吉報(きっぽう)をもたらしたのでした。
「こんなところが、あるのだがね。N町(エヌまち)の楽譜店(がくふてん)で、唄(うた)や音楽(おんがく)の好(す)きな小僧(こぞう)さんをさがしているというのだ。つい、昨日(きのう)友人(ゆうじん)から聞(き)いたので、早速(さっそく)知(し)らせにきたが、どうかね。いってみる気(き)なら、紹介(しょうかい)するが。」と、いってくれました。
 秀吉(ひできち)は、よくようすを聞(き)くと、そこへいけば、毎日(まいにち)のように、有名(ゆうめい)な音楽(おんがく)や、人気(にんき)のある大家(たいか)の歌(うた)が聞(き)けるので、ぜひ奉公(ほうこう)をして、そこで勉強(べんきょう)しようと、決心(けっしん)しました。先生(せんせい)からの話(はなし)とあって、祖父(そふ)は、わけもなく賛成(さんせい)したのです。
 いよいよ、門出(かどで)の日(ひ)がきました。彼(かれ)は、停車場(ていしゃじょう)への道(みち)を急(いそ)ぎつつ、ふり返(かえ)って、一日(にち)として見(み)なかったことのない、山々(やまやま)をながめました。雲(くも)が出(で)ていて、剣(けん)ガ嶺(みね)だけが、隠(かく)れていました。
 彼(かれ)は、日(ひ)ごろ敬慕(けいぼ)する山(やま)だけに、姿(すがた)が見(み)えなかったけれど、別(わか)れを惜(お)しむよう、頭(あたま)を下(さ)げました。待(ま)つ間(ま)もなく、汽車(きしゃ)がきたので、意気込(いきご)んで、それへ乗(の)りました。
「これが、東京(とうきょう)へいくのだと、もっといいけれどなあ。」と、思(おも)いました。
 なぜなら、彼(かれ)は大(おお)きな都会(とかい)ほど、文化(ぶんか)が発達(はったつ)し、芸術(げいじゅつ)が盛(さか)んであり、それによって自分(じぶん)を成長(せいちょう)させることができると考(かんが)えたからです。
 わずか一時間(じかん)足(た)らずで、汽車(きしゃ)は目的地(もくてきち)へ着(つ)きました。N町(エヌまち)までは、そんな近(ちか)い距離(きょり)でしかありませんでした。
 だが、そこには女学校(じょがっこう)あり、中学校(ちゅうがっこう)あり、また、専門学校(せんもんがっこう)があったから、むろん、喫茶店(きっさてん)や映画館(えいがかん)などもありました。しかも、彼(かれ)のいく楽譜店(がくふてん)は、この町(まち)でも、いちばん人通(ひとどお)りの多(おお)い、にぎやかなところでした。
 店(みせ)は、想像(そうぞう)したほど大(おお)きくなかったが、各種(かくしゅ)の蓄音機(ちくおんき)や、新型(しんがた)の電蓄(でんちく)がならべてあり、レコードは、終日(しゅうじつ)回転(かいてん)していました。いつも店頭(てんとう)へ人(ひと)の立(た)たぬことはなく、ことに夕暮(ゆうぐ)れどきなど、往来(おうらい)まであふれていました。
 秀吉(ひできち)は、いった日(ひ)から流行歌(りゅうこうか)の楽譜(がくふ)や、歌手(かしゅ)の名(な)まえを覚(おぼ)えるのに一苦労(ひとくろう)でした。制帽(せいぼう)をかぶった二、三人(にん)の学生(がくせい)が、店(みせ)の前(まえ)に立(た)って、話(はなし)をしていました。
「H(エイチ)は天才(てんさい)だね。なにをうたってもうまいじゃないか。」
「わけても、エレジーものはね。」
「あれで、美(うつく)しいと申(もう)し分(ぶん)ないがな。」
「いや、目(め)に魅力(みりょく)があるよ。」
「よせやい。顔(かお)だって、声(こえ)だって、K(ケー)が一番(ばん)さ。」
 学生(がくせい)たちは、いわゆる芸術家(げいじゅつか)を、芸者(げいしゃ)かなどのように、品定(しなさだ)めしているのでした。秀吉(ひできち)はびっくりしたというより、あてがちがって、別(べつ)の世界(せかい)へ飛(と)びこんだごとく、後悔(こうかい)が先(さき)に立(た)ち、とまどいしてしまいました。
 あわれな彼(かれ)は、ひそかに、K(ケー)とH(エイチ)の、若(わか)い映画女優(えいがじょゆう)の写真(しゃしん)を見(み)くらべたり、また、派手(はで)な洋服姿(ようふくすがた)をした人気作曲家(にんきさっきょくか)の写真(しゃしん)などを取(と)り上(あ)げて、
「ああ、これが、ほんとうの芸術家(げいじゅつか)というものなのか。」と、いままでの、自分(じぶん)の愚(おろ)かさを恥(は)じながら、茫然(ぼうぜん)と見(み)つめていました。
 そう考(かんが)えると、先生(せんせい)の言葉(ことば)が、いまさらのごとく頭(あたま)に浮(う)かんだりして、なんのために、自分(じぶん)は、こんなところへきたのだろうかと、いくたびとなく後悔(こうかい)されました。そして、ただ自分(じぶん)の野暮(やぼ)がうらめしく、悲(かな)しく、気恥(きは)ずかしくなって、深(ふか)いため息(いき)をつくのでした。
 一、二年(ねん)の後(のち)には、天才(てんさい)の芽(め)は、まったく踏(ふ)みにじられて、あとかたもなく、如才(じょさい)のない、きざな一個(こ)の商人(しょうにん)ができあがるでありましょう。

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