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塩を載せた船(3)

时间: 2022-11-03    进入日语论坛
核心提示: どんな船(ふね)が、どんなような色(いろ)の帆(ほ)を掛(か)けて夢(ゆめ)を運(はこ)んでくるか、まだだれも見(み)たものはなかっ
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 どんな船(ふね)が、どんなような色(いろ)の帆(ほ)を掛(か)けて夢(ゆめ)を運(はこ)んでくるか、まだだれも見(み)たものはなかったのです。
ある夜(よ)、若者(わかもの)は、第(だい)三の夢(ゆめ)を見(み)ました。
暗(くら)い晩(ばん)に、雪(ゆき)の凍(こお)った、細道(ほそみち)を歩(ある)いてゆくと、あちらから笛(ふえ)を吹(ふ)いて、とぼとぼと歩(ある)いてくる年(とし)とった盲目(めくら)の女按摩(おんなあんま)に出(で)あいました。
「おまえさんはこの年(とし)になって、どうしてこんな寒(さむ)い晩(ばん)に働(はたら)かなければならないのか。」と聞(き)きますと、
「私(わたし)は不幸(ふこう)な女(おんな)です。最初(さいしょ)夫(おっと)をもって、かわいらしい男(おとこ)の子(こ)が生(う)まれると、夫(おっと)は、その子供(こども)を連(つ)れて家(いえ)を出(で)てしまったっきり帰(かえ)ってきませんでした。しかたなく、それから三年(ねん)ばかりたってから、私(わたし)は二番(ばん)めの夫(おっと)をもちました。そして、一人(ひとり)の男(おとこ)の子(こ)と、一人(ひとり)の女(おんな)の子(こ)を生(う)みました。しかし、私(わたし)たちの幸福(こうふく)は、長(なが)くはつづきませんでした。夫(おっと)は病気(びょうき)をして死(し)んでしまいました。まもなく私(わたし)は目(め)を患(わずら)って、両方(りょうほう)の目(め)とも見(み)えなくなってしまいました。私(わたし)は、二人(ふたり)の子供(こども)を親類(しんるい)にあずけました。その親類(しんるい)は、しんせつではありませんでした。二人(ふたり)の子供(こども)をどこかへやってしまいました。それからというもの、私(わたし)は、所(ところ)を定(さだ)めず、さまよっているのであります……。」
目(め)がさめると、それもやはり夢(ゆめ)であったが、どういうものか、その年(とし)とった盲目(めくら)の女(おんな)のようすが、なんとなくみじめで、目(め)から取(と)れませんでした。
若者(わかもの)は、このごろつづけて見(み)た夢(ゆめ)が、深(ふか)く、彼(かれ)の心(こころ)をとらえて、仕事(しごと)も思(おも)うように手(て)につかなく、海辺(うみべ)へ出(で)ては、沖(おき)をながめながらぼんやりと暮(く)らしていました。
彼(かれ)は、父親(ちちおや)のいったことを思(おも)い出(だ)したのです。
「私(わたし)は、まだほんとうに哀(あわ)れな人(ひと)というのを見(み)なかったが、もし、この後(のち)、おまえが、哀(あわ)れな人(ひと)を見(み)たときは、その人(ひと)を救(すく)ってやらなければならない。これが、私(わたし)のただ一つおまえにいい残(のこ)しておく、大事(だいじ)なことだ。おまえは、それを守(まも)らなければならない。」
父親(ちちおや)は、子供(こども)に向(む)かってこういいました。若者(わかもの)は、遠(とお)く沖(おき)の方(ほう)を赤(あか)く色(いろ)づけて、日(ひ)の暮(くれ)れかかる海(うみ)の上(うえ)を見(み)ながら、父親(ちちおや)のいったことを思(おも)い出(だ)していたのであります。
「俺(おれ)の夢(ゆめ)は、ほんとうのことなのか? それなら、俺(おれ)は、あの哀(あわ)れな少年(しょうねん)と、娘(むすめ)と、あの哀(あわ)れな子供(こども)を失(うしな)った母親(ははおや)とを助(たす)けてやらなければならない。」
ある日(ひ)、沖(おき)に不思議(ふしぎ)な、見(み)なれない船(ふね)が泊(と)まっていました。若者(わかもの)は、すぐにその船(ふね)を見(み)つけて、
「どこからきたのだろう。あの船(ふね)はなにかおもしろい夢(ゆめ)を乗(の)せてやってきた、魔(ま)の船(ふね)ではないかしらん。」と思(おも)いました。
すると、昼(ひる)ごろ、年(とし)とった白髪(しらが)の脊(せ)の低(ひく)い船長(せんちょう)が陸(おか)に上(あ)がってきて、このあたりをぶらぶらと散歩(さんぽ)していました。
若者(わかもの)は、船長(せんちょう)がそばを通(とお)りかかったときに、呼(よ)び止(と)めました。
「あの船(ふね)はどこからきました? いろいろな夢(ゆめ)を乗(の)せてくるといううわさの船(ふね)ではありませんか。」と、若者(わかもの)はたずねました。すると、船長(せんちょう)は、大(おお)きな口(くち)を開(あ)けて笑(わら)いました。
「お伽噺(とぎばなし)に、そんな話(はなし)があるが、あの船(ふね)は、そんなものじゃない。毎年(まいねん)のように、この港(みなと)へ昔(むかし)からやってくる船(ふね)なのじゃ。」
「昔(むかし)から?」
若者(わかもの)は、びっくりして、年(とし)とった船長(せんちょう)をながめました。
「おまえさんは、だれなのじゃ。」
船長(せんちょう)は、こう若者(わかもの)にたずねました。
若者(わかもの)は、自分(じぶん)の父親(ちちおや)が、海嘯(つなみ)で滅(ほろ)びてしまったこの町(まち)を、ふたたび新(あたら)しく建(た)てた人(ひと)であることを語(かた)りました。船長(せんちょう)は、うなずきました。
「なかなかりっぱな町(まち)になった。私(わたし)は、昔(むかし)の町(まち)もよく知(し)っている。私(わたし)は、昔(むかし)から、この町(まち)に塩(しお)を積(つ)んでくるのだ。」と、船長(せんちょう)はいいました。
「塩(しお)をですか?」
「そうじゃ、この町(まち)では、塩(しお)ができないのだ。」と、船長(せんちょう)は答(こた)えました。
船長(せんちょう)は、しばらく若者(わかもの)の顔(かお)を見(み)ていましたが、
「おまえさんは、夢(ゆめ)でも見(み)なかったかな。」といいました。
若者(わかもの)は、このごろになって、不思議(ふしぎ)な夢(ゆめ)をつづけて見(み)たことを話(はな)しました。すると船長(せんちょう)は、
「それはみんなほんとうのことなのだ。おまえさんと、おまえさんのお父(とう)さんの昔(むかし)のことを知(し)っているものは、私(わたし)ばかりじゃ。哀(あわ)れな小僧(こぞう)や、娘(むすめ)や、母親(ははおや)がいるのは、そんなに遠方(えんぽう)の町(まち)ではあるまいから、おまえさんはその小僧(こぞう)と娘(むすめ)と盲目(めくら)の按摩(あんま)を探(さが)しなさるがいい。人間(にんげん)というものは、意外(いがい)なところに、不思議(ふしぎ)な因縁(いんねん)がつながっているものだ。私(わたし)は、また来年(らいねん)か、来々年(さらいねん)、もう一度(ど)この港(みなと)に塩(しお)を積(つ)んではいってこよう。そのときには、不幸(ふこう)な人(ひと)たちが、しあわせになって、みんなが喜(よろこ)んでいる姿(すがた)を見(み)たいものじゃ。」と、船長(せんちょう)はいいました。
若者(わかもの)は、船長(せんちょう)の話(はなし)によって、深(ふか)く感動(かんどう)しました。そして、自分(じぶん)には、不幸(ふこう)な母(はは)と、腹(はら)ちがいの弟(おとうと)と妹(いもうと)があることを知(し)りました。
まったく、あてのない望(のぞ)みを抱(いだ)いて、彼(かれ)は、その父(ちち)の造(つく)った美(うつく)しい町(まち)を去(さ)って、終(お)わりない旅(たび)へと出(で)たのであります。
太陽(たいよう)は、あいかわらず、にこやかに、彼(かれ)の歩(ある)いてゆく道(みち)を照(て)らしていました。
「昔(むかし)、おまえの父(ちち)は、赤(あか)ん坊(ぼう)のおまえをおぶって、このように、あてもなく歩(ある)いたものだ。おまえも希望(きぼう)を捨(す)てずに歩(ある)くがいい。」
太陽(たいよう)は、こういいました。
夜(よ)になると、若者(わかもの)は、大空(おおぞら)の月(つき)の光(ひかり)を仰(あお)ぎました。月(つき)は、また語(かた)ったのです。
「町(まち)よりも、宝石(ほうせき)よりも、どんな富(とみ)よりも、人間(にんげん)の愛(あい)というものは貴(とうと)いものだ。私(わたし)は、それらの不幸(ふこう)な人(ひと)たちを毎夜(まいよ)のように照(て)らしている。おまえは、いつまでも美(うつく)しい、貴(とうと)い真心(まごころ)を捨(す)ててはならない。」
若者(わかもの)の旅(たび)は、それから、夜(よる)となく、昼(ひる)となくつづきました。

 

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