私は昨年の7月から今年の7月まで日本に留学していました。中国で地震を経験したことがほとんどない私、東京で今回の東日本大震災を経験しました。正直にいうと、地震と言ったら、すぐ倒れた建築、廃墟の下に埋められた体、さんざん泣き叫ぶ姿など次々と頭に浮かびます。私にとって、地震は死と絶望などのイメージと結び付いています。
地震発生から、すでに半年以上に経ちましたが、今までもその日のことはまだ記憶に新しいです。その日午後2時45分にアルバイト先についた私は店長さんとあいさつをしたとたんに、突然大きな揺れを感じました。それに、アルバイト先の室内は木造の内装だから、ぎしぎし音がしていました。外を見ると、道路を通りかかっている人が急に立ち止まり、大きな揺れに耐えられず、近くの電柱に手を伸ばし、しっかりとつかむところが目に入りました。それに、近くの高層ビルは振り子のように大きく揺れ、外に逃げる社員さんの姿も見えました。それを見て、不安で居ても立っても居られなくなり、私は早く逃げようと言わんばかり、店長さんを見つめました。
でも、店長さんはずっとにこにこしていて、平気な様子でした。た日本人は、もう地震に慣れているからでしょうか。でも、私は平静ではいられませんでした。次の入ったニュースを聞いていると、私はますます心配で頭が真っ白になりました。親の元から遠く離れたままもうすぐ死んだら、親はどれほど悲しむのか、またやりたいことがいっぱいあるから、死にたくないと考えて、これまで感じたない瀕死感にせめられていました。
その日東京ではJR全線が止まり、もう寮に帰れなくなり友達や家族に心配をかけるのではないかと思って、さらに怖くてせつなくて、私の目に思わず涙があふれてきました。
けれども、その時、一緒に仕事をしている店員さんは「大丈夫だよ。私たちがそばにいるから」と声をかけてくれました。また、店長さんは「ご両親はきっと心配しているだろう。連絡して」と言って、パソコンを貸してくれました。それに、「お腹空いた?おにぎり、食べてね」と店員さんは作りたてのおにぎりを私に渡してくれました。また、店員さんたちから「心配しないで。きっと大丈夫だよ」「泣かないで、お菓子食べてね」「頑張れ」という多くの感動的な心遣いに私の気持ちも少しずつ晴れて、不安も解けてきました。その心遣いにある国境を越える温かさに心が癒されました。「日本にいても、私は一人っぽちじゃない」と私は気づくようになりました。
地震発生から私はずっと店にいたまま、時間は深夜12時を過ぎました。店長さんは私の帰りたくてならない気持ちを見通したようで、ある店員さんに私を車で寮まで送らせると言ってくれました。通常であれば、電車で40分ぐらいの道のりを3時間もかけて、私を無事に寮まで送り届けてくれました。私は店員さんたちに感謝の気持ちでいっぱいでした。私は深くおじぎをしながら、「どうもありがとうございました」と言う以外ほかの言葉が出てきませんでした。
震災の後、あるCMで次の詩歌が流れていました。それは宮澤章二さんの書かれたものです。「心は誰にも見えないけれど、心遣いは見える。思いは見えないけれど、思いやりは誰にでも見える」というものです。私もそれを確信しています。思いやりの心は一種のやさしい気持ちで、家族や友人などの親しい関係に存在するだけでなく、さらに国境を越えて人と人の間の深いつながりとなると思います。
目を覆うような災難は確かに恐ろしいものです。降りかかる災難は人々につらい思いをさせますが、そこから現れてきた愛の絆と心遣いは傷づいた心をなぐさめると感じました。
災難は人々に絶望をもたらしますが、思いやりの心は人々に希望を与えます。ですから、皆さん、思いやりの心で生きてゆきましょう。