東京(とうきよう) (東京都)
日本の首都・東京は、かつて「とうきょう」ではなかった!?
江戸幕府が倒れると、一八六八(慶応四)年四月の江戸城の無血開城を経て、新政府による新たな行政がはじまった。そして、まず七月におこなわれたのが、江戸を「東京」に改め、行政庁として東京府を置くことだった。
しかしこの名前は、現在のように「とうきょう」と読んでいたわけではなかった。それまでの都である京都を、西にある京の意の「西せい京けい」と呼ぶことにし、それに対して東の京という意味で「とうけい」と呼ばせたのである。
東京は「東亰」と書かれることもあったが、どちらも同じ「みやこ」という意味のため、当時の人はあまり気にしなかったようだ。政府の公文書にも亰の文字は使われており、朝日新聞も「東亰朝日新聞」という題字を一九四〇(昭和十五)年まで使い、「東亰日日新聞(現在の毎日新聞)」はさらにその三年後まで使いつづけていた。
東京都に至っては、一九一一(明治四十四)年から現在まで、東京市から東京都になっても編纂がつづけられている史料集のタイトルが『東亰市史稿』のままだという。
ただ、京・亰どちらの文字を使っても、当初の読みが「とうけい」だったことは、英文の公文書、絵葉書などに「TOUKEI」と表記されていることからもわかる。
この新地名は、当時の学者たちのあいだでは、あくまで東の京みやこという意味の符号だから地名とはいえないと不評だったという。それでも、いつの頃から呼称が変わったのかハッキリしないまま、日本の首都・トーキョーは、世界に名高い都市として認識されているというわけだ。