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聖帝オホサザキ

时间: 2024-01-23    进入日语论坛
核心提示:聖帝オホサザキ 都市を発展させながら善政を敷いた聖帝◆庶民の疲弊を敏感に読み取る 弟の死によって即位したオホサザキは、「
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聖帝オホサザキ
 都市を発展させながら善政を敷いた聖帝
◆庶民の疲弊を敏感に読み取る
 弟の死によって即位したオホサザキは、「聖帝」として崇められている。その主な活動
としては治水事業と税の免除が挙げられるだろう。
 この時代には国家としての体裁の整備が進み、生活の基盤が急速に整えられていった。
まずオホサザキは、 かつら城ぎ部、壬み生ぶ部、大おお日くさ下か部を定める。池造り
の技術を持つ秦はた人ひとを使って茨まむ田たの堤つつみや丸わ邇にの池を造り、難波の
水の道も掘り進めて海へとつなげ墨すみの江えの津も整備している。
 開かい削さくについては『日本書紀』がより詳しい。それによると、オホサザキは現在
の河内平野一帯を眺め、「この国は、土地は広いが田たん圃ぼが少ない。水はけが悪く、
長雨が降ると海の潮が道に入り、泥だらけになるという弊害もある。そのため水を海へと
流し、逆流を防いで田や家を安全にしたい」と言ったという。
 こうしたオホサザキの構想に従い、都市計画的な整備事業の意図で開削は進められた。
この事業は、内陸部との河川交通を活発化させ、農地も安定した。また、オホサザキが政
務を行なう難波高たか津つの宮みやを中心とした都市機能の拡大と発展へとつながり、人
と物の交流も活発化。多くの村々が作られていったのである。
 こうした、国家的事業に力を注ぐ一方で、オホサザキは人民の暮らしぶりにも気を配っ
ている。
 ある時、彼は高い山に登り、山上から国を眺め国情視察を行なった。『日本書紀』では
宮の高たか殿どのから眺めたとされ、国史絵画ではこの場面が描かれている。
 するといずれの家からも煙が立ち昇っていないではないか。この情景から人々が貧しい
ため、煮炊きができないのだと判断した天皇は三年間、税や使役を免除した。
 その間、天皇も耐え忍んだ。御殿が破損して、雨漏りがしても修復せずに、桶おけで雨
を受けた。また、天皇自身が雨漏りのない箇所に移るという具合に自らも苦労をいとわな
かったのである。その甲斐あってか三年後に再び視察すると、今度はあちこちから煙が立
ち昇っている。安心した天皇は課税と使役を再開したという。
 これは天皇の王権の変貌を示すものだ。かつては神に近い存在として、宗教的権威を
持って国を支配していた天皇が、統治上の問題に対し、具体的な解決策を示す為政者とし
ての役割を果たしている。それは人民を思いやる慈悲深さなど、儒教的な倫理観のもとで
行なわれる。まさに王権の意味合いが神話の時代とは変化してきているのである。
 こうしたなかにあってオホサザキは、当時、歴史時代の始まりに位置すると捉えられて
いた天皇で、『古事記』としては国家支配者の理想像を示す必要があったのだ。
 しかも天皇自ら苦難を経験しているのも特徴である。
 これは仁慈というものが、いわゆる政治的解決という手段だけでなく、天皇自らも体験
して分かち合うことで、認められるものだったからである。
『万葉集』などで「食をす国くに」と形容される日本の、統治者たる天皇にとって、その
治政の基本は、「おおみたから」と詠まれる人民を飢えさせないことにあった。この基本
を身をもって示している点も、歴史時代最初の天皇の記録として興味深い。
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