継体天皇の即位
皇位継承を受けて北国を発つも、二十年を要した大和入りの謎
◆北国に住まう皇族に即位を要請する
非道の君主の姿で記された武烈天皇は、御子のないままに崩御した。しかし、允恭天皇
以降続いた皇位争いの中で、有力な候補者が死に絶え、皇位を継ぐべき人物が見当たらな
くなってしまった。大おお伴ともの金かな村むらら朝廷を支える臣たちは思案の末、仲ち
ゆう哀あい天皇五世の孫倭やまと彦ひこ王おう擁立を企図した。だが、王は迎えに上がっ
た兵を見て色を失い、逃亡。後継者選びは振り出しに戻る。弱った臣たちは当時、越えち
前ぜん国三み国くにに拠点を置いていた応おう神じん天皇五世の孫男お大お迹どの王おう
に白羽の矢を立てた。
ところが、男大迹王は「国を治めるというのは大変なことで、自分にはその才能がな
い。もう一度考え直して、もっと優れた人物を選んでほしい」と語って固辞したのだっ
た。
それでも、大伴金村らは男大迹王を必死で説得。その結果、王も「そこまで言われたら
断れない」と、要請を受け、即位に至るのである。
即位した継体天皇は、すぐに仁賢天皇の娘である手た白しら香かの皇ひめ女みこを后に
迎えたが、それ以外にも、尾お張わりの連むらじや息おき長なが氏などから多数の后を迎
えたことが記されている。


継体天皇は即位後も、河内国樟くす葉は宮、山背国筒つつ城き宮、同国乙おと訓くに宮
と各地を転々として、即位後二十年にして大和国磐いわ余れ玉たま穂ほ宮に遷った。大和
に入るのに長い時間がかかったのは、天皇家と遠い親戚にあるに過ぎない人物を迎えるこ
とに反対する勢力が、大和に存在したせいだとも考えられる。手白香皇女を皇后としたの
も、そうした勢力を押さえ込んで、天皇家との結びつきを強めるためだったのかもしれな
い。
あるいは、一説には、継体天皇は地方から大和へと攻め入った大和政権の簒さん奪だつ
者であり、二十年という歳月は、そのための抗争に要したものだったとする見方も存在す
るのである。
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