小学一年生だった僕に、父は一言こう言った。助手席に乗って、どこに行くの?としきりに聞く僕に、父はただ笑って応えた。山と海に囲まれた、いつもの見慣れた景色が遠ざかり、やがて街なかを走る車。どこに行くか分からなくても不安にならなかったのは、赤や緑のネオンに照らされる父の横顔がどこか男らしく思えたせいだった。
父はその日、小学一年生の僕に生まれて初めて映画というものを観せてくれた。静まり返った劇場内、一歩足を踏み出すと同時に、柔らかい赤い絨毯に足が沈み、その度に少しかび臭い空気がそっと僕の鼻を撫でた。同じく赤く、同じく少しかび臭い座席に座ると、もう僕は一言も話さなかった。父に頭を撫でられるまで、スクリーンを見つめ続けた。初めての感覚、初めての感動。「どうだった?」と聞く父に、僕は無言で強く頷いた。父は嬉しそうに、本当に嬉しそうに同じく頷いた。
あの日から20年の月日が経った父の誕生日、僕は「いいとこ連れてってあげる」と一言手紙を添えて、ある映画のチケットを送った。20年前のあの日のように、山道を走り、海岸線を抜け、ネオンに照らされながら車を走らせる父の横顔を思い浮かべながら、遠く離れて暮らす父のことを想った。
『映画素晴らしかったよ。とくにエンドロールだ。名前を探すのに苦労したが』と、淡白な内容には不似合いの、最近覚えたらしい絵文字が踊るメールを寄越す父。僕が映画に携わる仕事を目指すきっかけを作ってくれたあの日の父は、61歳になった。
いつの日か、老眼がひどくなってきた父にも見えるほどに大きく僕の名前が書かれた映画を、父と肩を並べて一緒に映画館で観ることが、僕の小さい頃からの大きな夢なのだ。