父は絵に描いた通りのフツーの会社員だ。毎朝7時に家を出て、昼は社食の安いそばをすすって、家に帰れば母に小言を言われて、家の隅に追いやられるような人だった。
休日は庭の草取りが父に与えられた仕事だった。作業の合間に古いバドミントンのラケットと羽を持ち出して、父と私で下手な打ち合いをよくしたものだった。普段はあまり話さない父を相手にどうしてそんなことをしていたのか、当時の自分の行動も不思議だが、休日のバドミントンは私が高校2年生になるまで続いていて、それが父と私の静かな会話だったのである。
私が高校3年生になると、いよいよ進路の問題に直面し、バドミントンどころではなくなった。毎週のように予備校の模試を受けてはD判定だのE判定だの、アルファベットに心を振り回されるようになり、希望の職業、将来の夢などという大仰な言葉に私は追いつめられ、日に日に生きていることがめんどうに感じるようになった。私は何がしたくて生きているのか。生きていて楽しいのか。そんな思いを抱えていた私は、ついに父へこんな言葉をあびせた。
「お父さんは毎日同じような生活で、安いお給料しかもらえないのにせっせと働いて、生きていて何が楽しいの?」
父は怒るわけでもなく、諭すわけでもなく、唐突な質問に目をパチクリとさせながら「かなちゃんとバドミントンをすること」と当たり前のことのように答えた。
その答えはあまりにも意外な言葉だった。私は自室へ戻り、静かに泣いた。生きることの意味に悩んでいた若い自分にとって、父の言葉はとても嬉しかった。そして、高級車に乗ったり、ゴルフに行ったりするような友人の父たちと比べてかっこよくもなく、甘美な優越感もないと思っていた父から生きるうえで大切なことを教わったように思った。
「あなたがいることが私の生きる喜び」親子間だからこそ、父の言葉は私の自信となり、生きる力となるのだ。
そんな父と会えなくなって何年が経っただろう。膨大な仕事に追われ、職場とアパートの往復の日々を過ごす私がこうして胸を張って生きていられるのは、父の一言が今でも私の中に息づいているからなのである。