子どもの頃から、母の口癖は「だいじょうぶ!」だった。
山口県の海沿いの町で、もの静かな父と溌剌としたしっかり者の母の元で、私は育った。
私が中学に入ったばかりの頃、父の事業が不況のあおりを受け深刻な状況だった。
いつの頃からか、父は私たちの前から姿を消した。
父の残した借金を背負い、母はその頃まだ少なかった保険の外交の仕事を始めた。
その仕事が合っていたのか、母は以前のような溌剌とした母に戻っていった。
私が地元の大学を出て、大阪の企業に就職が決まった時、母が言いだした。
「私も大阪で仕事をするよ。山口はもうええよ。だいじょうぶ!」
母と私の大阪暮らしが始まった。
とはいえ、母は一人でアパート、私は会社の寮住まいの別々の生活だ。
初めての大阪でも、母の仕事ぶりは代理店でもトップクラス。
一方、私はといえば、なかなか結果が出ない仕事と、うまくいかない家庭。
成功している母に対する負い目もあり、母に連絡することも少なくなっていた。
おそらくそんな私のことにも母は気付いていたことだろう。
年月も経ったある日、母から電話があった。
「そろそろ私は自信が無くなってきたよ。物忘れがひどいんだよ。きのうもガスを付けっぱなし。おまえの近くの施設に入ることに決めたよ。だいじょうぶ!」
そんな母も、施設に移ってからは極端に衰えが目立ってきた。
誤嚥下から肺炎を起こし入院した病院で、胆管に癌が見つかり、
しばらく様子をみることになった。
ひと月近くの入院の末、ある日の未明、母は眠るように静かに逝った。
私は枕元に小さなメモ帳を見つけた。
最後のページには、しっかりとした文字で書かれた母のメモがあった。
「がんばれ!おまえは母さんの子だよ。おまえはまけないよ。だいじょうぶ!」
私は、若く溌剌としていた頃の母の姿を、朝焼けの空に思い出していた。
「母さん。俺はまけない。だいじょうぶ!」